※時間軸無視っぽく、かつ、とらが似非臭かったりします。
 それでも許容して下さる方はどうぞ。



スタート地点




 とらと呼ばれるその化生は、その時、非常に厭(あ)いていた。
 金色の毛並みを風に揺らして、自分が目下、取り付いている人間を見やる。
 人間の名は、蒼月潮といった。
「おおい、うしお。わしゃー暇だぞ」
「ああそうかよ。オレは見ての通り、忙しいんだ」
 潮は真っ白いキャンパスに、とらから見たらワケの分からない物体を描きなぐっている。
「相変わらず、ミョーな絵を描いていやがるなあ」
 長い爪先で頬を掻くと、潮はあきらかにムッとした。
「化け物のおめえには、絵心がねえからな!」
「……エゴコロねえ」
 潮の友人の中村麻子、井上真由子、両名以外は、誰も彼の芸術を認識できない。
 つまり、とらが物の怪だから、彼の絵が分からない訳ではないのだが。
 気分を害したからといって、絵を止める訳でもない潮。
 とらは仕方なく、その辺をふらふらしてくる事にした。
 窓から身を踊り出すと、うしおが
「夕飯前には帰って来いよ!」
 背中に呼びかける。
 とらはケッと言い放ち、目的地もなく移動し始めた。


 小1時間ほど辺りを散策し、公園の上空に差し掛かった時だった。
 ふいに、何かに後ろ髪を引かれた気がして止まる。
「……?」
 とらが今いるのは空である。
 当然だが、後に誰かがいるはずもない。
「なんでえ、気のせいかよ」
 髪を引く者など誰もいない。
 気にせずそこから飛び去ろうとして――できなかった。
 代わりに、引き寄せられるように下を向く。
 公園の真ん中に、女――と呼ぶには年端の行かぬ者が立っていた。
 立って、とらを真っ直ぐに見ていた。
 否、化け物はふつうの人間には見えぬはずだから、そう感じているだけだろうが。
「……なんでえ、あのオンナ」
 いつもなら無視して行くであろうとらの、それはほんの気まぐれだった。
 大きな体躯をゆったりと地に降ろし、とらはそのオンナをじろじろ見る。
 見えているはずがないのだが――。
「…………おい、お前、わしが見えるのか」
 試しに声をかけてみる。
 返事はないが、彼女の目を見て、どうやら見えているらしいと理解した。
 とらを見ている黒髪の少女は、一瞬驚き、それから大きな目にめいっぱい涙を溜めて。
 何を思ったのか、いきなりとらに抱きついた。
「うぉ!? なっ、なんだおめえは!!」
「……………かった」
「はぁ?」
「会いたかったよぅ……!」
 胸にすがり付いて泣き続けているオンナをどうすべきかと、とらは思案する。
 そうして思案している自分に気付き、思い切り鼻先に皺を寄せた。
 この至近距離だ。
 普段なら、喰らってやろうと思うだろうに、今は全くそんな気にならない。
 このオンナが喰いにくいかと言われれば、否だ。
 金気のものは全く身に着けていない。
 これだけ近づいても、いい匂いしかしない。
 絶好の食品にも等しいオンナだが、やはり食べる気がしなかった。
 戯れに、とらは爪で彼女の髪を引っ掛けた。
 艶のある黒髪は、するりと爪先から逃げる。
 幾度かそうしていると、彼女の身体が、ふるり、震えた。
「……おい?」
「ごめんね」
 唐突に謝られ、疑問符が頭に浮く。
 彼女は困惑した表情でとらから離れた。
 それでもどこか離れ難く思っているのか、片手はとらに触れさせたままだ。
「いきなりなんだってんだ。お前、わしを知っとるのか」
「分からない。君を見たら、急に胸がぎゅーって……」
「訳がわからん。……ん?」
 ふいに、彼女の顔を見て記憶に何かが奔った。
 泣き顔では分からなかったが、確かにこいつを見たことがある。
 磔にされる以前だったと記憶しているから、もう軽く500年は前のことだ。
 詳しいことは、覚えていないが。
「……まあいい。お前、なぜわしが見える? ふつーの人間は見えんはずだ。坊主なのか?」
「坊主って……お坊さん? ううん、違うよ。ただの高校生」
「ほぉ、コーコーセーか。うしおのチューガクセーってのより、偉いんだろ?」
「偉いわけじゃないよ。ただちょっと、トシ取ってるだけ」
 くすくす笑う彼女に、とらはふぅんと頷いた。
「あ、ねえ君。この辺りに住んでるの?」
「まあ、一応な」
「じゃあ、光明宗芙玄院って知ってる? 蒼月さんの家」
「蒼月だとォ? お前、うしおの知り合いか何かか」
 ぎろりと睨むとら。
 だが彼女は全く怖がらず、首を振る。
「うしおって人は知らないけど……」
「なんぞ用事でもあるのか」
 うん、と彼女は頷いた。
「私、芙玄院に引き取られることになってるの」
「売られたのか」
「ち、違うけど……。とにかく、案内してくれると嬉しい」
 とらは、非常に面倒くさそうな顔をしたが、彼女の不安気な表情を見て、深々と溜息をついた。
 人間ごときが気になるとは、非常に、それこそ激しく不本意であるのだが、このまま放って行くのは、妙に目覚めが悪い気がした。
「チッ……しようがねえ。わしの背中に乗れ。連れて行ってやる」
「ありがと! ちょっと待ってね。荷物があるんだ」
 彼女はバックパックを背にし、とらの背中にしがみ付いた。
「しっかり掴まっとれよ。落ちても知らんぞ」
「あの、君の名前は? 私、
「わしは『とら』だ」
「そっか。とら、宜しくね!」
 人間なんぞに宜しくされたくねえや。
 いつもならそう言うであろう自分の口から出たのは、ちょっとした舌打ちだけだった。




何を唐突に思ってか、うしとらです。とら愛。…全然名前変換なかった。
2007・1・6