日常



 旅籠屋で宿を頼めば、自然、薬売りとは同室になるのが常だ。
 部屋を分けてくれと頼んだことはない。
 別にしますかと訊ねられれば、薬売りがひとつで良いと返答する。
 もそれに異を唱えはしない。
 衝立が要りようかと問われても、否、と答える。
 いつの頃からそうなのかは覚えていないが、もしかすると最初からかも知れない。


 固い物を磨り潰す音を背にしながら、は障子を開け放したまま、その際に体を預けては闇夜の中を往く眼下の人々に注意を向けていた。
 堤燈片手に浮き足立つ男が多いなと疑問に思い、今自分が泊まっている宿が、遊郭の近くだったことを思い出す。
 彼らは郭(くるわ)通いの者たちなのだろう。
「明日は、遊女さん相手にご商売?」
 外を向いたまま、あいも変わらず後ろで薬を作っている薬売りの男に尋ねる。
 薬売りは小さな薬研で薬剤を磨り潰しながら、
「……ああ」
 実に短い返答を寄こす。
 羽振りのいい色町の女人もまた、薬売りの上客だ。
 明日は懐を暖めて帰ってくるだろう。
 基本的に、は薬売りの仕事については行かない。
 薬売り本来の仕事であっても、モノノ怪討伐であってもだ。
 付いて来るかと訊ねられれば共に行くが、請い願って行くことはない。
 はそれでいいと思っている。薬売りがどう思っているかは分からないが。
 戸を閉め、薬を作り続けている男の側に寄った。
 見たところで、何を作っているのかは分からない。
 それでも、彼がこうして作業をしている姿を見ることが好きだ。
 蝋燭の、お世辞にも頼りになるとは言い難い灯りが、彼の手元を、そして室内を、薄ぼんやりと照らしている。
「覚えてみるか?」
 作業は続けられたまま、問われる。
 端的な言葉の意味を捉え、微かな逡巡の後、頷く。
「薬売りさんが怪我した折に使うものぐらいは、覚えておかなきゃいけませんね」
「……俺は、そんなに生傷の耐えない生活をしてはいないが、ね」
「モノノ怪と対峙すると、どこかしらに傷を作っておいでになるでしょうが」
 言えば、沈黙が戻り来る。
 くすりと微笑み、だから、とは続ける。
「怪我用の軟膏ぐらいは、覚えておきます」
 本当は、怪我するようなことをしては欲しくないのだと云えば、薬売りは息を吐いて、
「俺の役目は、モノノ怪を斬ること、だからな。そればかりは無理な話だ。――だが」
 薬研を動かす手を止め、中の粉を紙の上にざらざらと流して落とし、を見つめる。
「気持ちは有り難い。傷を作らぬよう、心得ておくさ」
「はい」
 こくりと頷く
「さて、と。それじゃあ、少しばかり、傷薬の種類でも教えておきましょうかね……」
「その前に、この薬を小分けしないと」
「おっと……そうだった」

 小さな紙に、適量の粉を落としてきちんと畳む。
 存外夜更けまでその作業は続いた。



薬売りの口調は独特なので…句読点を入れるか、行間を入れるか模索中。
句読点だと多すぎる気もするし、行間と合わせて使った方がよいのかなあ…。

2009・1・9