肌に触れる風は、微かに冬の冷気を含んでいる。
 人が踏み敷き作り上げた街道の上には、ふたつの姿。
 ひとつは男。大きな行李を背負い、浅紫の布頭で灰の髪を押さえた出で立ち。道の先を黙々と行く。
 ひとつは女。少女と女の境目にある彼女は、長い黒髪を下ろし下方で適当に括っている以外に、然したる特徴もない。
 履き古した草履。少しばかり薄汚れた着物。
 それらと小さな背嚢を共に、ただ先を行く男を追っていく。
 ――否。
 追う、というほどの必死さはない。
 道を行く。その先に男がある。只、それだけ。

 いつからこうしているのか、彼女は覚えていない。
 男の背を見ながら、或いは風景を目にしながら、己の始点を知らぬままに、それでも歩を進める。
 己に家族が在ったのか。
 己が何処に住んでいたのか。
 己は数えで幾つになるのか。
 人間として最低限知っているべき事柄を、彼女は持ち合わせない。
 けれど、当の彼女はそれらを必要としていない己を知っていた。
 存在に疑問を挟むことなく。ただ、歩く。
 彼女にとって大事なのは、畢竟、先に行く男が在る――それのみ。

 ふ、と視線を上げ、彼女は立ち止まる。
 木々を飾る花の蕾は、未だ開いてはいない。
 もう少し暖かくなれば、これらも色付き、人の目を楽しませてくれるだろう。

「――

 今迄、ひとつの咳払いすら立てなかった男が、立ち止まったに視線を流しながら彼女を呼んだ。
 上唇に淡紫の紅を薄く差し、朱で目の周りを朱で縁取った男に向かって、は少しだけ足早に近づいた。
 男は側に来た彼女を眺める。
 彼は指先で、少々乱れた彼女の髪を後ろに流した。
「……次の町で、草履を買い替えやしょうかね」
 は自分の履物のことを言われているのだと気づき、首を振る。
「まだ平気ですよ。薬売りさんの懐も、今はあまり潤っていないでしょう?」
「こりゃ手厳しい、な」
 薬売り――本名をは知らない――は、手厳しいことを言われたなどとは塵ほども思っていない態(てい)で、また先を行く。
 今度は幾分、隣りあわせでも歩き出した。
 前の町では薬の売れ行きが芳しくなく、とはいえ常に比べてではあるのだが、そんな時に薬売りの懐を痛ませるのも悪い。
 草履はまだ履ける。
 鼻緒が切れたら、その辺の草でも縒(よ)って着ければ良い。
 そんな思考の持ち主故に、雅な場所では失笑を買ったりする。
 曰く、お前は本当に女なのか、と。
「俺の懐は、草履ひとつで痛みゃしない。だから、安心して言うことを、聞け」
 配慮なのか、それとも脅しか命令なのか。
 いまいち判断に困る薬売りの発言に、は幼さの残る面に笑みを浮かべた。
「ありがとう」


 只、道を行く。
 薬売りの男は、モノノ怪を滅すため。
 なる少女は、そんな男の傍らに在ることが己の存在を繋ぐことのように。

 只、歩く。




モノノ怪薬売りさん。好きなんです、彼。ただ、口調とか雰囲気が物凄く難しい…。けどきっとまたやる。
ちなみに、薬売りさんの人称は、対夢主には「俺」にございます。


2009・1・1