を抱き締めたまま、動けない。
 放せば逃げると思っていたからかも知れないし、ただ単に、手放したくなかったからかも。
 でも、ほんの微か。嗚咽が耳に入って、俺はほんの少しだけ身体を離した。
 それでも、解放は、しない。



綴れない想い 4




……?」
 名を呼ぶけど、彼女は俯いたままで。
 微かな嗚咽が、が泣いているのだと教える。
 泣かせるつもりなんて、全然なかったのに。
 ……やっぱ、俺が泣かせたんだろうなあ、これ。
 俺以外ねえもんなあ……。
 嫌われたか?
 それってスゲー嫌なんだけど。
「あの、?」
 もう一度、控えめに声をかける。
 すると、今度は返答があった。
 必死で声色を平常にしようとしているのが分かる。
 努力は、報われてねえけど。
「……っなんで……なんでそんな『好き』だなんて言うのよっ」
「な、なんでって」
「クーンやカイトが、言った通りに、なっちゃったじゃないっ」
 時折声を詰まらせながら言うが、内容は理解できた。
 ただ、意味はわかんねえ。
 クーンとカイトがなんだって?
 説明が必要な俺を察してか、は続ける。
「『ハセヲはが好きだよ』って。私、そんな事絶対ないって全否定したのに!」
「あ、あいつら……」
 クーンとカイトの会話がどんなもんだったのか、後で聞きだしてやる。
 の全否定ってのは、物凄くやるせないんだが。
 溜息をつき、の頭を撫でてやる。
 びくり、と、ほんの少しだけ体が跳ねた。
 嫌がられてるのか……?
 不安に思いながら彼女を見ていたら。
 急に、服の裾をつかまれた。
「おい?」
「……カイトが、すきなの」
 取りこぼしなく耳にした言葉は、俺を抉るには充分だった。
 彼女を撫でていた手が、ぴたりと止まる。
 力なく、腕を下ろした。
 ――凄ぇショック。
 分かっていた事とはいえ、当人の口から言葉が出てくると破壊力がある。
 何も言えずにいる俺に、は俺の服の裾を掴む力を強くしながら、続けた。
「でもっ……なのにっ。ハセヲもすきなの!」
 搾り出されるみたいに差し出された言葉は、それまで落ち込んでた俺を、一気に浮上させた。
 緩みそうな顔を、慌てて引き締める。
 不意打ちもいいとこだろ、今の。
「私っ、自分の気持ちがぐちゃぐちゃで、意味わかんなくて! ハセヲに感じるのは、友達としてよりは大きい気持ちだけどっ、でもそんなの駄目だし!」
 駄目? 何が駄目なんだよ。
 俺はの首元に手をやって、彼女の顔を上げさせた。
「オイ。勝手に駄目だって決めてんなよ」
「……だって」
 正面から見た彼女の顔は、PCながら涙でぐちゃぐちゃ。
 苦笑して、涙を拭ってやる。
 あーもうコイツ、リアルでも泣いてんだな。
 普通のPCなら泣くモーションしてるだけだが、俺たちのPCは精神とくっついてる。
 のも似たようなもんだし、モニタの向こうで泣いてるに違いなかった。
 こんな風に触れるのが、誰か別の男だったらなんて、考えるだけで腹が立つ。
 俺以外の誰かが、に触れるのがムカツクなんて、今まで思った事もなかった――多分。
 顧みれば、あるのかも知れねえけど。……あるに違いねえけど。
。俺は、カイトからあんたを奪うって決めた」
「うっ……奪うって」
「ああ、奪う。それは俺が勝手にする事だし。……まあ、それでアンタが悩んでくれんのは、俺にとっちゃ嬉しい事だけど」
 悩むくらい、好きになってくれてるって事だろ? それってさ。
 今はまだ遠いかも知れない。
 けど、少しずつでも距離を詰めて行けたら。
 いつか――なんて気の長い話だけどさ。
「……私、二股に近いんですけど、それ」
「いずれは俺の方向いてもらうし。言ったろ、勝手にするって」
 言葉にすると、自分の気持ちにすとんと落ち着いた。
 それは、前からあった事みたいに簡単に心の中に宿る。
 言い切ったら、なんかスッキリしたな。
が悩んでも文句言っても、俺の気持ち変わんねーもん。多分、カイトも。諦めんだなw」
「wを付けるな、wを!」
 は眉をギュッとひそめて困りながら、俺の胸を軽く叩いた。
「……男らしく生きてやる。ハセヲが呆れる位、男らしく!」
 握りこぶしを作って言う彼女に、俺は思わず噴出した。
 無理だろと言うと、
「やるとも!」
 ふい、と横を向きながら言った。
 けどその顔は赤くて。
 ちらりと俺を探るように見て、また慌てて逸らす。
 ……うわ、マジやべーんだけど。
 キスしてぇとか言ったら、張り倒されんだろうな……。
「……と、とりあえずさ……ここから離れようよ」
 服をくくっと引きながらが言い、周囲の視線がいい加減痛々しいし、頷いた。
 動こうとして、ぎくりと足を止める。
 妙に目がキラキラしたガスパーと、シラバスが側に立っていたからだ。
 ぐっと詰まる俺に、シラバスは妙な声を上げた。
「うわぁアァ! ハセヲっ、凄かったよ!!」
「そうだぞぉー、おいら、カンゲキだぞー!」
「頼むから、何も言うな……」
 騒ぐカナード2人組みに、ぐったりしながら言う。
 周囲の好奇の目を引っ張りながら、俺はと、とにかく船着場の方へと歩いて行く。
 言わずもがな、シラバスとガスパーも付いて来ている。
 俺がの手を掴んで歩いている事が、2人には興味の対象みたいだ。
 見世物じゃねえっての。
 横を歩くは、向かっている先を察したらしいが、嫌がらず、軽く俺の手を握り返していた。
「それでハセヲ。イベント行くんだね?」
「行く。……あーあ」
「どしたの?」
「なんでもねェよ」
 本当は、イベントが終わってからちゃんと告白するつもりでいたんだ。
 なのに訳の分からないうちに、勢いで……クソ。
 ちゃんとした返事を期待してた訳じゃない。
 断られなかっただけ、よしとすべきなんだろうか、これは。
「ハセヲ」
「なんだよシラバス」
「……とりあえずさ、アトリちゃんとは、一度きちんと話した方がいいよ?」
 そんなの。
「言われなくても……分かってる」
 アトリとの間に、確たる何かがあった訳じゃない。
 それでも好意を持っていてくれたのは、間違いがないと思うから。
 話は――すべきだと、思う。
 ガスパーは、場の雰囲気などお構いナシで、
のドレス姿、きっと綺麗だぞぉ」
 嬉しそうにしていた。


「……ホントの式じゃねえのに、めちゃくちゃ緊張する」
 独りごち、壁に向かって溜息をついた。
 結婚式イベントの登録を済ませた後、俺とは別々の部屋に転移させられた。
 周りに誰もいない事で、昂ぶったまま落ちてこなかった気持ちが、少しだけ落ち着いてきた。
 ……今更ながらハズい。
 初恋より重傷なのに、俺は未だ、リアルの『』を知らない。
 お互い、本名も知らない。
 それなのに突っ走ってる俺って、昔の俺が見たら、せせら笑いされるんじゃないか?

(おいおい、お前は『死の恐怖』だろ? 必要なのはチカラのみだ。他のモンなんて斬り捨てろよ)

 ……我ながら言いそうだ。
 あの頃の酷い俺と、よくいられたよな、
 俺だったら無理だぞ。
 そうこうしているうちに、ぽぉん、と音が響いた。
『ハセヲさま。準備が整いましたので、転送します。宜しければ、転移ゲートの前へどうぞ』
「へいへい……」
 部屋の端で青白く回転しているゲートに触れると、周囲の風景が一変する。
 アリーナで宮皇になった時に乗った、高台の上に居た。
 隣を見ると――が。
 白い服、っていうかウェディングドレス姿で。
 リアルの彼女が着てんじゃねえけど、それでもなんか嬉しくて。
 顔が、緩む。
 の方は、微妙な顔だ。
 ドレスの裾を指で掴み、むー、と唸る。
「……勝手にドレスになった。ハセヲは普通だね?」
「お、おう……。あの、えーっとだな……」
 一応こういう時は、褒める……べきだよな?
 普段見慣れないPCは確かに、なんつーか、綺麗だが……リアルじゃないし。
 正直、褒めていいんだか悪いんだか、わかんねえ。
 は直ぐに俺の困ってる理由が分かったらしく、小さく笑った。
「無理に褒めんでいいって」
「べ、別に無理してる訳じゃねーよ。き……綺麗だし……」
「ありがと! まー、リアルの自分より、絶対に似合ってるね。そこだけは自信あるわ」
「……リアルで、式とかしてねーだろ?」
「残念ながらしてないね」
 実はカイトと既に結婚してました、とかだったら暴れてやる。
 その場でくっちゃべってたら、先に進めと指示が出た。
 俺が手を差し出すと、は少しだけ驚いて。
 照れて、ふわって笑って、手を取った。
 少し前に出て行くと、階下が視界に入る。
 見ただけで一発で分かる知り合いから、そうでない奴まで、ぞろぞろと並んでこっちを見ていた。
 フツー、こんなにいねえだろ、という位にいやがる。
 サバ落ちしねえだろうな……。
「……ハ、ハセヲ。物凄く恥ずかしいんですけど」
「ある意味、晒しモンだな、こりゃ」
 中央広場で、物凄いパフォーマンスしちまった俺が悪いんだけど。
 ぽぉん、と頭の中に声が響き、次の指示が出る。
 それを見て、俺との身体が一気に硬直した。
 表示された文字は。

『お相手と口付けをして下さい』

 そりゃあるよな、結婚式だもんな。
 後頭部を掻いて近づく俺に、は引き攣る。
「や、やんないと、だめデスカ」
「なんだよ。嫌なのかよ」
「いいい、嫌ってゆーかっ、そのっ……ハセヲはなんでそんな平気な顔してるの」
「っ、動揺しねえように、目一杯なんだよ! お、俺だってテンパってんだ!」
 一連の行動をしないと、イベントが終わらない。
 それに、公衆の面前じゃなければ幾らだって……いや、それはいいや。
 よし、少し落ち着け、俺。
 深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。
 これはゲームだ。本物のとキスすんじゃねえから、大丈夫だ。
 ……いや、ちょっと待てよ?
 ふと気付いたと同時に、がいきなり握り拳を作り、大股で俺の方へ歩いてきた。
 純白のドレスで大股歩きかよ……。
 俺の前に立つと、妙に迫力のある声で、
「よぉし、来ーい!」
 胸を張った。
「……お、お前、もう少しさあ」
「は、恥ずかしいんだもん、しょうがないでしょ」
 つまり、照れ隠しな。隠れてねえけど。
 俺は苦笑し、の曝された両肩に手を置く。
「――お前そんな、顔赤くすんなって」
「しょうがないでしょ、自然現象、だしっ。そーいうハセヲだって似たようなもんじゃないの」
 自分の顔は見えないからいいんだよ。
 掴んだ手から、彼女の体温が流れてくる。
 そう、さっき気付いた。
 彼女に触れた者は、五感がハッキリ感じられる。
 じゃあ何か?
 キスしたら、その感触や温もりって、やっぱしリアルののもんなのか?
 ――うわ、抑えろ俺。
 一瞬顔を背けた俺に、は急に不安顔になって。
「ハセヲ? ……やっぱ、やだ?」
 自分じゃ駄目かと問う彼女の声に、俺は苦笑いした。
 暴走しねえように、我慢してんのに。
「ばぁか……」
 文句が返ってこないうちに、口唇を触れ合わせる。
 思った通り柔らかくて、温かくて。
 頭――クラクラする。
 手放すのが勿体無くて、肩を引き寄せて抱き締めて。
 抵抗ごと閉じ込めて、必要ねえぐらいキスした。
 俺、トロけて消えちまうんじゃないかって、思った。
「んぅっ! ハセ……ハセヲっ、やり過ぎ!!」
 胸を圧されて、仕方なく身体を離す。
「……ワリィ」
 照れて頬を掻くと、はちょっとびっくりして、それから笑んだ。
 階下から、絶叫じゃねえのかって思う位の、歓声が上がっている。
 は何をしていいのか分からないらしく、困ったまま手を振っていた。


 人から逃げるようにしてカナードに戻ると、シラバスとガスパーがすぐさま追いかけてきて、俺との手を取って大げさに上下に振った。
「ハセヲオオーーー! 凄かったよっ、感動したよ!」
「分かったから落ち着けよお前ら!」
「クーンさんもいたんだよ?」
「他にも、知り合いが結構いたんだぞぉ」
 その全員に、後で突っ込みを受けるんだろうな。
 思う俺に、が笑みかける。
「まあ、宿命ってことで」
「……そうだな」
「ハセヲとは、The Worldではこれで夫婦だね」
 シラバスの言に、俺たちは顔を見合わせた。
「でも別に、なんか変わる訳じゃねえだろ?」
「変わったんだぞぉ」
 互いのPCを見ても、なんら変化がない。
 ガスパーは嬉しそうに、ギルドの奥を示した。
 ……ん? なんか増築されてる??
「ハセヲ限定、寝室部屋だぞぉ!」
 ナンデスカ、ソレハ。
 シラバスを見ると、彼はからから笑った。
「ハセヲとのみ入れる、寝室なんだって。だから僕たちは入れないんだ」
「お、おいちょっと待て。なんだそれ」
「欅くんのプレゼント」
 ………どーいうつもりだ、アイツはっ。
 書斎、とかなら百歩譲って分かるが、寝室って!
「まあハセヲ、せっかくの好意だし、受け取っておきなよ」
 受け取って、なにしろってんだ……。
 はその日、最後までそちらに目を向けなかった。




結婚してみました。…色気がないなあヒロイン。
2007・2・9