異変終息


シータ、ラムダ、シグマ。
 3つのサーバに分かれたというを探し、カイトの仲間たちはそれこそ全てのワードの組み合わせをせんばかりの勢いでいた。
 カイト宛てにやって来た、アウラからの例の文字化けした意味不明なメールを読み解き、大よその場所は分かっている。
 ダンジョンの何処の部分に『』がいるか分からないが、メンバーはしらみつぶしに探していた。

 デルタサーバ・隠されし禁断の聖域。
 ここに来る者といえば、ザ・ワールドを始めたばかりの初心者が何かを期待して――または見てみようという単純な好奇心から――やって来る事が多い。
 一度来てしまえば何も起こらない、何もイベントのない場所だと理解し、その後訪れる事は殆どない。
 その場所に、は瞳を閉じて仰向けに寝かされていた。
 そしてその横に、仲間のひとり、ブラックローズが座っている。
 彼女はピクリとも動かない――まるで背景のようになっているを見て、深いため息をついた。
 一応リアルでは、どういう理由か動いているとの事だが、放置しておくわけにもいかない。
 なるべく早く、その3つに分かれた彼女を探し出さなくては。
 ブラックローズがここにいるにも、きちんとした理由がある。
 この場所、確かに人が来る事は稀だ。
 稀だけれど、ゼロじゃない。
 もし人が来て、こんな状態のを見て――見るだけならともかく、噂立てられでもしたら。
 はぁ、と深くため息をつく。



 眠りに落ちてしまっているは、つまり現在のところパーティから欠如しているわけで。
 ずっと一緒だったカイトや、好意を寄せているらしいバルムンクを筆頭として、場にいるメンバー全員が、それこそ労力を惜しまずに、アウラの言である『の欠片』を探し始めた。

 普通ならば甚大な数のフィールドのどこに、彼女の欠片が眠っているかなど分かるはずもないし、偶然で遭遇する確率などとんでもなく低いはずなのだが、個人の努力と偶然の甲斐があり、1週間で全てのパーツがの前に揃えられた。
 あらゆる人脈を使い、情報収集した結果とも言えるが、もしかしたらアウラが導いてくれたのかも知れないと、カイトは思う。
 最も、クビアの差し金か世界の意思かは知らないが、取得するまでにはそれなりに危険な目には遭っているのだが。


 デルタサーバの聖域と呼称されている場所、その聖堂に寝かされているの前に立ち、カイトは3つの欠片を手にした。
「……これをどうすればいいんだろう」
 1つは赤く、1つは青く、そしてもうひとつは緑をした、淡く発光する丸いそれを眺め、カイトは困惑した。
 少し後ろにいたバルムンクとブラックローズが、「とりあえず彼女に渡せ」と言うので渡そうとした時、
「――!?」
 持っていたそれぞれの球体が、聖堂の中を駆け出した。
 ブラックローズたちが、それを捕まえようとするが、手は宙を掻くばかり。
 カイトは困惑し、なにをどうしたらいいのか分からないまま、眠っているの手を握った。
 あの球体はのもので、だから彼女ならばどうにか出来るのでは、と思ったのだ。
 眠っていると知りながらも、彼は声をかける。
、あれは君のものだろ? ちゃんと取り戻して、目覚めなくちゃ」
 バカバカしいとは思う。
 思うけれど、やめられなかった。
 必死で名を呼ぶカイトの姿に、バルムンクが何かを堪えたような息を吐く。
 ――ふいにカイトの手の中で、の手が動いた気がした。
「……?」
 ぽつり、何かの音を口にした。
 傍近くにいるカイトにすら聞き取れない音だったが、それを皮切りにしたように球体の動きが一斉に停止する。
「なっ、なによ、なんなの?」
 ブラックローズが驚いて目を瞬くその顔面を、球体が飛んだ。
 決して遅くはない速度でに寄り集まり、当たったら痛そうな勢いのまま、の胸に入り込む。
 水面に石を投げたような波間が、彼女の胸に広がり、納まる。
 3つ全てが彼女の中に消えてしまうと、面子は固唾を呑んでの様子を見守った。
 だが、2分、3分……5分過ぎても変化がない。
「ちょっと、アウラに言われたものは渡したのに、どうして目が覚めないわけ!?」
「オレに文句を言っても仕方がなかろう……」
 ブラックローズに怒られ、バルムンクは息を吐く。
 10分が経過しても彼女に変化は見られず、カイトは唇を噛む。
 強くの手を握って、ふ、と苦笑した。
、頼むから起きてよ。僕は」
 ――僕は君がいないと。
 告白のような言葉を心の中で呟いた瞬間だった。
「……カイト、腕輪が」
「え?」
 ブラックローズが指摘する。
 カイトの腕輪が、彼が使っていないにも関わらずその姿を見せていた。
 開いてはいない。
 ただの腕輪の状態だけれど。
 同時に彼女の身体が青白く光り出し、頭から足先まで白光の線が駆けて行く。
 服に、それまではなかったはずの、濃い青の文様が浮かび上がる。
 カイトの服についているそれと同じもの。
 光は服の書き換えらしきものを終えると、回線が切断されたみたいにブツリと消えてなくなった。
 カイトの腕輪も視覚できなくなる。
 状況に置いてけぼりを食らっている一行。
 バルムンクは恐る恐るを見つめる。
「……これはどういう事だ?」
 同じものを持つカイトに問うが、彼が返す術を持っているべくもない。
「カイ、ト」
 小さな、声。
 次いで、の目が痙攣して、開く。
「カイト……私、迷惑かけちゃったみたいだね」
 まだ身体を横たえたままの
 カイトは今すぐにでも抱きしめたい思いに駆られながら、強く手を握った。
 ゲームの中でも伝わってくる、手の温もり。
「心配したよ」
「うん、ごめんね」
 起き上がる。
 一同を見回し、
「ありがとう」
 微笑む。


 は自分の服の変化に驚いていた。
 カイトとお揃いだねなんて軽口を聞いているが、内心がどうなのか、カイトには分からない。
 肉体も相当消費しているはずだからと、ログアウトを勧めたが、聖堂に現れた――実際は姿はなく、声だけだが――少女の言葉で話が中断された。
「――アウラ?」
『カイト、にデータドレインを』
「なっ……そんな事、出来るはずないじゃないか!」
 データドレインは、対象に被害を与えるものだ。
 眠り姫の状態だった彼女を折角起こしたのに、また自分のデータドレインで意識不明にするなんて、冗談ごとではない。
『大丈夫。皆にも、そして当人にも認識してもらうだけです。危険はありません』
 はっきりと言うアウラに、それでもカイトは動こうとしない。
 それを見たが軽く言った。
「カイト、いいからやってみてよ」
「でも」
「アウラが言うんだし、だいじょぶでしょ」
 ね? なんて笑顔で言われ、彼は肩を落とした。
 どうなるか分からないのに、どうしてこうも簡単に物を言ってしまえるのだろう。
 無責任といえば無責任な明るさに惹かれているらしい自分を自覚しつつ、カイトは意を決して彼女にデータドレインを使った。
 通常のプレイでは見る事などできないエフェクトを起こし、データドレインはに真っ直ぐ突き進む。
 ぐっと奥歯を噛んだは、確かにデータドレインを受けた。
 だけれども――
「なんもないよ?」
 彼女は普通にそこに立っていた。
 バルムンクとブラックローズが驚き、彼女に近づく。
 特に変化は見られない。
「……どういう」
『例外もあるけれど、彼女にはデータドレインは効力を成さない。彼女は世界の予防薬。彼女は世界への被害を抑えるワクチン』
 意味が分からないと言うに、アウラが小さく笑みを零した気がした。
『五感を持つあなたは、世界に彩を与える。だから世界は正常に胎動していられる』
 更に分からない。
「私がいなくなったら?」
『あなたの存在が消滅すれば、世界の破壊プロセスは進行を早める』
 分からない事ばかりだが、カイトはそれを聞いて何となく理解する。
 たぶん、ログインやログアウトは関係がない。
 「」というPCが在る事が、必要なのだろう。
『どうか最後まえカイトと――』
 言い、それきり通信がなくなった。
 何とも複雑な表情をしているバルムンクとブラックローズに、とカイトは笑みかける。
 それが妙にお似合いに見えて、更にバルムンク達は複雑な表情を浮かべた。





凄く飛びます。後一話で、このお話はお終い。あとはROOTS、またはGUへ。
2006・5・1
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