聖域にて



 自分がそうなった理由なんて、分からない。
 理由はともあれ、手に入れてしまったのだから、それから逃げる事は愚かしく思えさえして。
 けれど、いつ、何処からだってやってくるのだ。
 恐怖や不安というものは。

 Δサーバ、隠されし、禁断の、聖域。
 今では何度か会っている、アウラの像を目の前にし、彼女は一人でボーっとしていた。
 特に、何をしにここへ来たという訳でもない。
 ただ、何となく―――、ログインしてみたものの、何をしようという気も余りなくて、気がついたら、ここに来ていた。

 自分はある日突然、ゲーム内ではありえない感覚を手に入れてしまった。
 体温や質感等といった、五感。
 それが自分だけならいざ知らず、自分が他のPCに触れると、その間、関係ないはずのPCにまで五感が働くというのは…、迷惑以外の何物でもない。
 何しろ、他人に触れる事を、出来る限り避けなければならないのだから。
 ルートタウンの人でごったがえす中に、長時間、しかも一つの場所にとどまっているのは危険極まりない。
 ダンジョンでだって、他人との接触には気を使わなくてはならないし…パーティなんて、組めるはずもない。
 ただ、事情を知っているカイトや、ブラックローズや…今まで冒険を共にしてきた人たちは、例外であるが。

 アウラの像の前に並べられているイスに、座る。
 静かな――静かな聖堂。そこに、誰かが入ってきた。

 名を呼ばれ驚いて振り向くと――赤い姿の双剣士、自分と同じイリーガルな存在で、理解してくれる人のうちの一人、カイトが立っていた。
 彼はの横に座ると、アウラの像を見て、それから彼女に視線を移した。
「ここにいたんだ」
「うん。……でも、よく分かったね」
「だって、ここ、めったに人来ないし…」
 人との触れ合いを求めない者にしてみれば、格好の場所。
 だから、彼はここに自分がいると踏んできたのだろう。
「用があったなら、メールすればよかったのに」
「うん、でも、なんとなくここにいる気がしたから」
「そっか」
 二人、しばし無言になる。
 双方とも、ヘッドマウントでボイスチャット使用。
 かといって、無言だからといって、『………』とずっと出ている訳ではないのを、表記しておく。
 先に沈黙を破ったのは、のほうだった。
「ダンジョン、行かないの? 私を誘いに来たんでしょ??」
「……そのつもりだったんだけど、…なんか、さ、僕の勘違いかもしれないけど…疲れてない?」
「…うーん、疲れてるというよりは…怖い、かな」
「………そう、だよな」
 今更だけど、凄く怖い。
 自分の身に何が起こっているのか知らないが、とにかく怖い。
 そして、怖がっている場合じゃないのも、知っている。
「……僕も、怖いよ。でも…一人じゃないから。不謹慎だけど、のもつ力のおかげで、救われてるし。なんていうか、苦労分け合ってるみたいで」
「……うん、そうだよね、私一人じゃない…もんね」

 少し、ほんの少しだけ…ささくれ立った心が、安らぎを得る。
 このマップに流れるBGMと、カイトの言葉が助けになったんだろう。

 立ち上がり、アウラの像を背にして、二人とも立ち上がる。
 ブラックローズを誘って、ダンジョンへ行こうという事になった。
 先に歩くに、カイトは声をかけた。
「…、全部……全部終わったら、僕と……」
「??」
 振り向き、不思議そうな顔をしている彼女に、続けようとした言葉が詰まる。
 彼は苦笑いすると、
「やっぱりいいや」
 と、途中で言葉を切ってしまった。
「なによぅ…。言いたい事は全部言ってよ〜」
「後で後で」
「………んじゃ、後でのお楽しみにしておく…」
 憮然とした表情ながらも、詮索できないと悟ってか、それ以上の追及をやめる。

 カイトとは、二人で聖堂を後にした。
 とりあえず、恐怖心は探究心の下に押しやって。





2002・12・14

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