感触




 虚像の世界での自分に与えられた<それ>は、まるで関わりあうのが運命や定めだったと言いた気に。
 手に、足に、体全てにもたらされた。
 今やその<感覚>は、完全にのものになっていた。
 杖を持つ手に、震えが走る。
 額に浮かぶ汗は、もはやリアルでの物かゲームの中での物か分からない。
 橋の上で、その手すりに触れると、がっしりとした木々の感触があり、下を流れる川から、水の匂いまで漂ってくる。
 これは、普通じゃない。

 確かに、自分はモニタ前にいるのだ。
 コントローラーを握っている感覚だってある。
 それなのに――全身で、このザ・ワールドの世界を体感している。
 普通じゃないのは明らかだ。
 本来、日常的に…ごく普通に自分が感じている感覚が、これほどの恐怖になるなんて、誰が想像つくだろう。
 は恐怖で、手すりから離れられなくなっていた。
 ログアウトしてしまえ。
 自分の理性がそう言うのに、体はそれをしない。

 ダメだ。
 今、自分に何が起こっているのか認識しなくては。

 逃げ出したくなる気持ちを必死に抑え、は呼び出す。
 蒼海のオルカを。
 彼なら何か分かるかも知れない――そう思った。
 だが、彼は現在ログインしていないらしく、呼び出しに応じる事はなかった。
 ならば――彼の友人なら?
 この間、少しの間だけ一緒にプレイした――確か、メンバーアドレスを貰っているはず。
 は、祈るような思いでPC――カイトにメールを出した。

「来てくれて、ありがとね」
 マク・アヌの街のごくごく端っこの待ち合わせ場所に、カイトはそう時間もかからず来てくれた。
 彼は、大丈夫だよと微笑む。
 カイトとの出会いはつい先日。
 それまでバルムンクと行動を共にしていただったが、オルカの友人がログインするとの事で、一緒に初心者として少し育成してもらおうと、彼と共に行動を共にした。
 そして、その時出会ったのが――今、目の前にいるカイト。
 フィールドの敵を倒した後、オルカとカイトはダンジョンへ潜ったのだが、は都合があり、ダンジョンには行かず、そのままゲートアウトし、ゲームを中断、ログアウトした。
 だから、実際一緒にプレイしたのはほんの数時間――いや、数十分。
 それなのに、呼び出しに応じてくれた彼に、心底お礼が言いたい。

「えと、あの――って…あれ?」
「?」
 適当な所に座り、話を切り出そうとしたが、突然いぶかしげな表情でカイトを見やる。
 ――おかしい。
 彼と会うのが二度目だから、何か勘違いしているのだろうか?
 いや、そんな事はない。
 明らかに変化してる部分に、は、気づいた。
「カイト…服の色――赤、だったっけ…?」
「っ!!……これ、は…」
 それと、もう一つ。
 は視線をそこに向ける。
 一瞬だけ見えた気がした、そのもの。
「今、腕輪…してなかった?おっきぃの…」
「見えるの…?」
「一瞬だけ……今は、見えないよ」
 カイトは俯き――暫くそのまま、動かなくなった。
 何か考え事でもしているんだろうか。
 ともかく、は自分の話を切り出す前に、彼の話を聞くことにした。

 そこで、オルカが――どうなったのかを知る。

「…まさか…そんなの…」
 ありえない。
 そう口に出そうとして、止まる。
 ならば、自分が今感じている<感覚>は、ありえる事か?
 答えは、NO。常識ではありえない。
 何かが起こっているのだ。この世界で、確実に。
 それは、只、表には表されていないというだけで――。
「…ううん、信じる。じゃあ、カイトはオルカを助けるために――」
「うん、もしかしたら…無駄な事かもしれないけど、でも」
「私も手伝う!」
 は、カイトの手をとり、きゅっと握った。
 驚いたように、彼が彼女とその手を交互に見る。
、君――」
「…?」
 恐る恐る――カイトがの手に再度触れる。
 ………しばしの、沈黙。
 訳がわからなかった。
 確かに、自分はカイトの――ゲームキャラの体温を感じてはいるが…だが、それが彼になんの影響があるというのか。
 どう言っていいのか、はとにかく沈黙を守ることしか出来ない。
「…」
「どうしたの…?」
「どうしたのって…あれ…僕が、おかしいのか…?」
 手を離そうとしないカイト。
 はその手を無理やり引っ込める事も出来ずに、ただ、小首を傾げるばかり。
 彼は意を決したように、彼女に向かって言葉を吐いた。
 それが自分の異常なのか――そうでないのか、見極めるために。
「…君に触れてると…暖かいんだ、凄く」
「……ふーん…」
 ………。
 え? 暖かい?
 そんな――もしかして。
 カイトはデータドレインとかいう能力と共に…。
 は慌ててカイトから手を離した。
「カイト!床!床触ってみて!?」
「え、うん」
 言われた通り、床に触れる。
 本当に自分と同じ、<感覚>があるのであれば、床――石畳の、冷たい感触だって感じるはず。
 は彼が床に触れ、不思議そうな顔をしているのに気が付いた。
「……冷たかった?」
「いや、それが、全然」
「……嘘」
 触れて、感覚がある――という事は、この世界、ザ・ワールドの世界全てに対して、物理的感覚がある、と言う事ではないのだろうか?
 人によってマチマチなのか。
 が極端なだけなのか…現時点では判りかねた。
、もう一度触っていいかな」
「うん、大丈夫」
 カイトの手が、の手に触れる。
 ………やっぱり、暖かい。勘違いなんかじゃ、ない。
 手を離すと、カイトは何やらメールを出す、と言って、すぅっと目を閉じた。
 は疑問符を頭に飛ばしっぱなしで、とりあえず事の成り行きを見守る。
 誰かを呼び出すのだろうか。
 揺れる水面を見つつ、は自分の体を抱きしめた。
 この不安は、なんだろう?

「初めまして、ブラックローズよ」
「初めまして、…です」
 重剣士の女性――カイトは、知り合いのブラックローズという女の子を呼び出した。
 は丁寧にお辞儀すると、カイトに向かって「で?」と質問した。
 真意は、彼にしかわからない。
 カイトはおもむろに彼女の手を掴むと、ブラックローズの手を握らせた。
 ――握手。
「え!?……うっそ、あんた……」
 ブラックローズの表情が、驚愕に満ちていく。
 その後、先ほど自分が言われたとおり、床の石畳を触ってと告げる。
 何が何やらわからないまま、彼女は床に手を触れた。
「……感覚、あった?」
 が意図に気づき、不安そうにブラックローズに問う。
 すると彼女は、自分の指先を不思議そうな顔で見つめ、首を横に振る。
 ――やっぱり。
 カイトはに向き直ると、彼女も気づいているだろうその事実を口にした。
「…、君だけだよ。君との接触にのみ、五感が働く――みたいだ」
「……なん、で…私何もしてないのに!?」
「落ち着いて…とにかく、僕のこの…データドレインの力と君の感覚……このゲーム、ヘンな事が多すぎる。引き返すなら、今のうちだよ?」
 カイトの言葉に、ブラックローズが、頷いた。
 よほど理由があるのでなければ――今のキャラを破棄して、別キャラを作って…。
 この世界を楽しみたいと言うのであれば、その方がいいように思える。
 だが、は自分の指先を見て――首を横に振った。
 いやだ、と。
 それに、PCを破棄した所で、結果は同じような気がしたから。
 ――なんとなく。
「他の人には触れないようにする、だから…私にも協力させて。オルカ、助けたい」
「……どうしても?」
 きっと、危ないよ?
 カイトがそう言っても、ブラックローズが何を言っても、は首を縦に振らなかった。
 ついには根負けして、一緒に行動する事に決めるにまで至る。
「…うん、じゃあ、今度ログインしたら呼ぶから、都合あえば来てくれる?」
「合わなくても来るよ(笑)…それじゃ、これからよろしくお願いね、二人とも!」

 どうしようもない不安感。
 の中に今でも渦巻いているそれは、
 カイトという、ある意味では似通った境遇の仲間を見つけた事によって、緩和され、原因を突き止めたいという目的に変わった。
 は、これよりザ・ワールドを、深く知っていく事になる――。







2002・11・7

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