解放軍で出会った彼女を見て、ひどく不愉快になったのは、多分彼女の行動が愚かだと心底思ったからだ。


宿すものたち


 宿星を記す石版と共にやって来たの紋章師ルックの目には、天魁星である・マクドールの肩割にいる少女が、珍妙な存在に見えていた。
 自分はお世辞にも社交的ではないし、ましてや人を気にする事など殆どない。
 けれども、何故かその少女が気になった。
 『気になった』よりも『気に触った』の方が正しいかも知れない感情だが。
 背中の中ほどまである黒茶色の髪と、大きめな緑色の瞳、平均程度の身長であり容姿が突出している訳でもない、あまりにも普通の少女で、特に目を惹かれるような子ではない。
 その辺にいたら埋没してしまいそうな女の子。
 得物は折って収納可能な棍であり、決して弱くはない。
 だが、ルックが問題にしているのは、そのどれでもない。
 問題は――彼女の右手に宿されている、紋章の方だ。


「ルック、こんにちは!」
「……また来たの」
 冷ややかな声を目の前の少女――――にかける。
 並の人物ならば少しは戸惑いそうなほど、無闇に冷たい声色なのに、けれど彼女は決して怯まない。
 彼女はルックの前まで来ると、
「お裾分け」
 赤っぽい色をした飴玉を差し出す。
「いらない」
「そお? じゃあ欲しくなったら言ってね」
 がさごそとポケットに飴玉をしまい込む
 帰るのかと思いきや、ルックの側に座り込む。
 まただ。
 ルックは形のいい眉を潜め、冷たく彼女に言い放った。
「邪魔なんだけど」
「ごめんね」
 謝りはすれども、決して動こうとはしない。
 実際、その場にいるだけなのだから何の邪魔でもありはしないのだが――。
(なんか、苛々する)
 を見ていると、苛々する自分にルックは気付いていた。
 大した会話もした事がない相手に。
 彼女はちょくちょくルックの元へとやって来はするものの、努めて必死に会話をする――なんて事はしなかった。
 飽きるまでそこにいて、人に呼ばれたり、別の事をしようと思ったりすると立ち去る。
 その間、無理に会話をしようとはしていないようだった。
 言いたい事があれば言うし、そうでなければ黙って側にいる。
 ただそれだけ。
 本を持ってきて読んだりする事もあるが、たいていは静かに側にいる。
 石版の前を通る人々を見つめ、じっとしている。
 ルックはため息をついた。
 そうしてふと、彼女の右手に視線をやり――聞いてみたくなった。
「……あんたさ」
「うん?」
「なんで好き好んで『そんな物』を宿したの」
 右手の甲を示しながら言うルック。
 は2度ほど目を瞬き、自身の手を見やった。
「そんな物、って紫魂の紋章?」
「レックナート様から聞いた。・マクドールのために宿したって。……あんた、馬鹿じゃない?」
 何も言わずに自分を見つめてくるに、ルックは苛々が募ってくる。
 理由も分からず苛々する自分に、更に苛々。悪循環だ。
「それがどんな物なのか、なにを意味してるか分かってるわけ」
「うん。使いすぎれば命はない。の命がなくなるか、紋章が外れるかすると、私もただではすまない」
「分かってて、なんで自分から受け入れたりしたんだ」
 問うルックに、はサラリと答える。
が大事だから」
 さも当然のように言う彼女に、ルックは唖然とした。
 ただ1人のために、自分の命を永劫の闇へ放り投げたのだと、彼女は理解しているのだろうか?
 とてもそうは思えなかった。
 自分が背負ったものを理解しているなら、こんな風に明るくしていられるはずがない。
 理解して尚この明るさなのだとしたら、それはとんでもなく肝が据わっている。
「……僕には理解不能だよ。只人として生きて死ねるのに、わざわざ自分から苦労を背負うなんて」
「小さい頃、が私に手を差し伸べてくれたから、今こうして生きていられるし、笑ってられる。その大切な人が、たった独りで苦しむなんて耐えられない。――だから受け入れた」
「…………ふん」
 ルックはそっぽを向き、から視線を逸らした。
 彼女は多分、紋章の重さを理解している。
 全部ではないかも知れないが、理解した上で笑っている――強い人間だ。
 そっぽを向かれたはほんの少し笑むと、ポケットから飴玉を取り出し、それをルックに握らせた。
 そうしてから歩き出す。
「また来るね」
 その背中に何の声をかけるでもなく、ルックは手の平にある飴玉を見つめる。
 何故かいつも、また来るという彼女の言葉に、もう来るなと言う事ができなかった。


 それから少しの時間を置いて、今度はがやって来た。
「やあルック」
「……なんの用」
「別に。が今日も君のところへ来たって聞いて、僕も少し話をしようと思って」
 は壁に背を預け、ルックを見やると、いきなり話を切り出す。
「ルックはどうやら、が紋章を付けているのが気に入らないようだね」
「……別にどうでも」
「割に、君はその事でに絡むじゃないか」
 それは確かにその通りだった。
 絡んでいる自覚はないが、紫魂の紋章に関して話を振る事はある。
 だからといって、それをにどうこう言われる筋合いはないと切り返そうとし、
を好き?」
「は?」
 のひと言に、思考が思わず停止した。
 誰が誰を好きだって?
 数秒唖然として動きが止まったが、ルックは非常に不愉快そうに眉を潜める。
「……違う、そんなんじゃない。気色悪いこと言わないでよね」
 心底嫌そうな顔をするルックに、けれどは口の端を上げて笑んだ。
 どこか挑戦的とも思える表情。
「そう、ならよかった。を好きだなんて言われたら、ライバルになっちゃうしね」
「安心しなよ。……はあんたしか見えてない」
 紫魂の紋章――呪われた力を躊躇なく身に宿すほど、彼女はを求めている。
 守りたいと思っている。
「ふぅん。で、ルックはそれが気に入らないと」
「違うって言ってるだろ」
「そう? じゃあどうして彼女が紋章を自分の意思で受けたって聞いて、そんなに苛々するんだ?」
「……あんたはならなかったの。自分のためとか言って、兇悪な力を身にした彼女を、すぐに受け入れられた?」
 は苦笑し、長い息を吐く。
 カリカリと後頭部を掻いて、ルックを見やった。
「最初は怒ったよ。今すぐ外せとも言った。でも、って案外頑固でさ、泣きながら『の援けになりたい、お願い!』って必死に言われて」
 そんな彼女の様子を見ていて、ずっと怒ってなどいられなかったとは笑う。
 紋章で互いが強く繋がっているのなら、互いを守ろう。
 そう誓って、この戦争に身を置いている。
 聞いたルックは、ますます顔を険しくした。
「ノロケ話をしに来たわけ」
「まさか。ルックが聞くから、素直に答えたんだけど?」
 肩をすくめるに、ルックは軽く鼻を鳴らした。
「それで、ルックはどうして苛々してるんだ?」
 どうしてもそこを聞きたいらしい
 こうなると、聞くべき事を聞かなければ梃子でも動かないだろう解放軍のリーダーに、ルックはきつく眉を寄せ――けれど結局口を開いた。
 ――このまま居座られても面倒だし。
「……馬鹿だと思ってるだけだよ。己自身で不幸と苦を招き入れてさ。どんな事になるかも分からないのに、軽々しく考えて、が、がって馬鹿の一つ覚えみたいに」
「つまり、ルックのために、じゃないから苛つくんだろ?」
「は?」
「もし彼女が紋章を宿した理由が『ルック』だったら、多分君はに対して苛ついてはいないと思うよ」
 にんまり笑う
 ルックは何かを言おうと口を開け――結局なんの音も出てきはしなかった。
「ルック、自分の気持ちに疎いんじゃないか?」
 言うは、いっそ憎らしいほど爽やかで、けれどこの状態を決して歓迎はしていないだろう表情をしていた。




時軸は1の頃。
2006・5・13
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