小さな村にて



 戦乱中、約束の石版が置かれていたその少し向こう――ビュッデヒュッケと同じように、湖のふもとに、小さな小さな村があった。
 村の側には、ビュッデヒュッケ城側の湖が続いており、漁も行われていたが、それでも、その小さな村は、一部の行商人を除いては、知る人も少なく。
 知られざる村は、創設者の名前を取って、カシュ村といった。

 朝…というよりは、少し昼に近い時間。
 ベッドの中で本と共に睡眠を貪っていたルックは、一人の少女の声に起こされた。
「ルックさま、朝です」
「…ん……、ありがとう……セラ」
 起き上がったのを確認すると、セラは「いいえ」と答え、食事を済ませてしまうように願い出て、自分は別の部屋へと移動して行った。
 着替えを済ませ、ベッドの上を見る。
 本が乗っているところを見ると――、また、読書しながら眠ってしまったらしい。
 注意されているのだが、どうにも癖になりつつあるようだ。
 窓の外を見ると、綺麗な湖が木々の間から見て取れる。
 今日も、外は快晴のようだ。

 食事はしっかりと用意されていて、一礼するとそれを食べ始める。
 微妙な時間だから、昼食は軽く摂らなければならないだろう。
 セラが、グラスに水を入れてくれた。
 ……そういえば。
「セラ、は何処へ?」
さんなら、朝早くに薬草を摘みに行った後、泥だらけで戻ってきて――今は、多分湖の方で釣りをしていらっしゃるかと」
「…ふぅん」
 簡易的な食事を終わらせ、ご馳走様をし、食後の休みもなく立ち上がる。
「ちょっと、その辺散歩して来るよ」
「はい、いってらっしゃいませ」
 ルックは何でもない風な顔をして、歩いて出て行った。
「…素直に、さんの所へ行く、と仰ればいいのに」
 クスクス笑うセラの声は、以前とは明らかに違い、明るい音を奏でるようになっていた。


 外に出ると、村人が挨拶をしてくる。
 ルックがどんなに遠ざけようとしても、この村の人間は暖かく彼を迎えた。
「おや、ルック。出かけるのかい?」
 初老の女性は、湖で取れた魚を、干している所だった。
 ルック達の住んでいる家の、ご近所さんなので、何かとお世話になっている。
「…まあね。は釣りだって聞いたけど、見た?」
「ああ、なら、少し北側の漁場にいるだろうさ」
「……どうも」
 ありがとう、と言わないルックだが、この村ではそれで充分通用する。
 暖かい村なのだ、本当に。

 三人がこの村に来て、早一ヶ月が経とうとしている。
 ビュッデヒュッケを目指して旅してきて、偶然ここを見つけた。
 あの大きな城の中にいるより、こういう静かな村の方が、何かと都合がいいとルックが言い出し、それに賛同する形で、とセラも一緒に住んでいる。
 村の長は彼らを快く受け入れ、家を与えてくれた。
 口にはしないけれど、三人とも多大な感謝を心に持っている。
 また旅に出てしまうかもしれない身だけれど、<家>があるというのは、安心するものだ。
 静かな村。
 ルックは、案外とここを気に入っている。

 北の漁場――その桟橋の所に、はいた。
 ぼんやりと釣りをしている。
 近づいていくと、気配を察したのかこちらに振り向いた。
「あ、ルック〜、おはよう!」
「…君はまた、一人で何をしてるんだい」
「ナニって、釣り」
 だが、バケツの中は空っぽだ。
「へぇ、随分と大量だね」
「い、イヤミくさーーーー!!! いいの!これから船借りて、もう少し釣ってくんだから」
 その時、丁度いい具合に、船が戻ってきた。
 船長さんが、にオールを渡す。
 壊すなよーと笑いながらいい、壊さないよう!とが叫んだ。
「…一人で行くの?」
「もち、ルックも一緒」

 ……船を借りて、ポイントまで行き、ぷかぷか浮きながら釣り糸をたらす。
「お、また一匹」
「…一時間で三匹。君にしては上出来だね」
「わー、ホントに嫌味くさいんだから」

 プカプカ。

 ちょっと、休憩。

 プカプカ。

 湖の光が反射して、実に綺麗な場所。
 もっと下れば、ビュッデヒュッケ城名物、突っ込んだ船、が見られるだろうに。
 帰ってくることを考えると、それはとうてい無茶な話だが。
 温かい風が、二人の髪を優しく撫でた。
「…ねぇルック、ここは…あったかいね」
「……そうだね」
 バランスをとりながら、二人で話をする。
 並んで側に寄り添いながら、揺れる水面に目を落とした。
「私ね、今凄く幸せなんだよ」
「……」
「セラさんと――ルックと、一緒にいられて」
「ふぅん」
 随分気のない返事。
「ふぅんって……ルックは?」
「…幸せじゃないなら、傍になんていない」
 ぶっきらぼうな答え方だったが、は付き合いの長さから、
 それが本心だと分かって、思わず微笑んだ。
 照りつける光に喉が渇いたか、持ってきた水に口をつけて、こくん、と飲む。
 ルックにも、飲む?と聞いてみると、彼はほんの少し赤くなりながら受け取り、飲んだ。
 そういえば、彼女はこういうのを気にしないタイプだった…。
 ふと、見てみると――が何となく赤くなっている。
「……、君、顔赤い」
「え、嘘、何で??」
 焦りながら、鏡は手元にないので、水面を見ようと覗き込む。
 ジャプン、と船が揺れた。
「馬鹿!落ちる!!」
「わ!」
 ルックがあわやという所で、彼女を押さえつけた。
「だいじょぶなのにー」
「…落ちたら、引き上げるのに苦労するからね」
「……意地悪」
 頬を膨らませると、ルックはそれを見て口の端を上げた。
 彼は、の前ではよく笑う。
 しかも二人きりの時限定だけど。
「それにしても、間接キスでそんなに慌てると思わなかった」
 前は、全然平気だったはずだ。
 解放軍リーダーしかり、同盟軍リーダしかり。
「前とは違うのっ!」
 ルックだから、こんなに慌ててるっていうのに…。
 当人が気づいていないのでは、こちらの苦労が増えるばかりだ。
 はふぅとため息をついた。
「…ふぅん、じゃあ、キスしたらどうなるだろうね?」
「…………え」
 心持ち、「え」、に濁点がついた気がした。
 ルックがの手を掴んで、引っ張る。
 上手い事体重が移動したのか、船は少し揺れただけ。
「ル…っん………」
 抵抗する間も与えぬほど素早く、ルックはの口唇を奪った。
 そっと、触れるだけのキス。
…」
「ルック…どうした、の??」
 急に不安そうな表情になった彼に、思わずキスされた高揚もそのままに聞いてしまう。
 ルックは彼女の目を見つめたまま、口に出すのを、何度か躊躇う素振りを見せつつも――言った。
「…約束してよ。僕の傍から、離れないって」
「…何を当たり前の事言ってるのよ。ルックこそ、消えたりしたら、許さないんだから」
 ルックが――幸せそうに微笑んだ。
 その微笑みに、が真っ赤になる。
「…殺人的笑顔……」
「……ま、たまにはね」
 は赤くなった顔をルックから背け、森の木々を見た。
 風に揺れて、実に気持ちよさそう。
「あったかいね、ほんとに」
「顔が熱い、じゃなくて?」
「もう言わないでよー!」
 妙に意識してしまうではないか!
 アワアワしていると、彼はクスクス笑った。
「ホントに君、見てて面白い」
「ルック、もっかいキスしようか」
「……」
 逆襲―――のつもりだった。
 だが、彼は何の事もなく、の口唇をふさぐ。
 それも先ほどと違い、深く舌の根を絡めるのを、何べんも――。
「ん、ちょ…ぁ…待っ……」
、好きだよ…」
「……ル……」
 がその言葉に喜び、彼に思い切り抱きついた。
 いきなりの事にバランスを崩し―――

船は、転覆した。


「まったく、二人ともずぶ濡れです」
 セラがため息をつきつつ、洗濯籠に服を入れ、早速洗濯に取り掛かった。
 残る二人は、の部屋で、シーツに包まっている。
 着替えは済ませたが、流石に水に濡れて寒い。
「君の暴れぶりは、目も当てられないね」
「なっ、ルックがっ…」
「僕が、何?」
 口の端を上げただけの笑み。
 悪戯を思いついたような表情。
 ……これ以上何か言うと、実に見事に突っ込み返されそうなので止める。
 折角魚も釣ったのに……今は湖を悠々と泳いでいるだろう。
「…何でもないデス」
「……ま、僕も悪かったから、今度はちゃんと釣りに付き合ってあげるよ」
 は微笑み、ルックに寄り添った。
 二人は、窓の外を見る。


 気持ちのいい風に、セラが干したばかりの服が、はためいていた。




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妃音さまのリクで、3の甘いルック…です。確か裏ではなかったような(曖昧)
遅くなってしまって、大変申し訳ありませんでした。
でも、話は私的にお気に入りな仕上がりに。セラがまるでお母さんですけど…(爆)
リク、どうもありがとうございました!お納めくださいませ〜。
2002・10・28
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