満ちよ果て無き祈り 4
足元を、冷たい空気が流れていく。
正面に、暴走しようとしている、真の水の紋章。
吹き飛ばされたルックの傍にはセラがいて、紋章をその手に戻そうとした人物……ジンバと名乗った男は、その策を失敗し、ユーバーに踏みつけられている。
はその所作を、眉をひそめ、嫌悪を露にする。
「ユーバー、やめて!」
彼女の言葉に、彼はつまらなそうにジンバを蹴り上げる。
ゴロリと力なく転がり、仰向けになったンジンバに、慌てて駆け寄った。
真の紋章を引き戻そうとした際の、力の反作用に加え、ユーバーの攻撃……。
助かる類のダメージではない。
ジンバはルックに話し掛けていた。
娘の事を。
想いを託す事は出来るのだと。
その姿に……はテッドを思い出した。
ゆっくりと近寄り、彼の横にひざをつく。
ルックは彼女とジンバに背を向ける。
「…想いなどという不確実なものの連鎖を、僕は断ち切ってみせる」
その言葉が、無慈悲に響く。
知らず…の瞳に、涙が溢れた。
「…どう、した…?」
「……ごめ…なさい…」
ポタン。
涙がジンバの頬に落ち、流れては地面に吸い取られる。
彼はとめどなく溢れてくる涙を、指先でぬぐってやった。
……ぬぐっても、また溢れてくるそれに、困ったような微笑みを浮かべる。
「何故…アンタが謝る…? 敵のために…泣く事もないだろう…」
「何も…出来ないんです…何もっ……!」
余りにも無力。
ルックの支えになれず、人の死を見る事しか出来ず。
悔しくて、やるせなくて。
ジンバの手を握り、目を閉じて祈る。
どうか。
どうかこの人が、炎の継承者に会う前に、事切れてしまいませんように。
私の力が及ばないのは判っているけど……それでも。
「…、行くぞ」
ルックの言葉に、ジンバと視線を合わせ…もう一度謝ると、そっとその手を離す。
セラがゲートを開き、一同はそこから消えた。
ルックがハルモニアへと出かけていった。
真の土の紋章を奪いに。
ルビークで待つ事になった一行は、前と同じく学術指南所を借りて、そこで次の準備をしていた。
「…あら、さんは…」
先ほどまで座っていた所に彼女はおらず、セラは部屋の中を探してみるものの……姿はない。
旅の道具は室内にあるので、遠くへ行ったという事もないだろう。
ふと、外に目をやってみると……彼女は外の掛け橋の所に座り、崖下に足を投げ出して、ボーっとしていた。
……不確実な<想い>か。
<想い>は<願い>…。
人々の希望も夢も、たった一つの<想い>から始まる。
結局の所、願いであれ想いであれ、人の気持ちなのだ。
気持ちが束になって、思想に…目的になるんじゃないの?
私もルックも、それらが束になる所を、目にしているはずなのに…。
それも……彼にとっては、神の手繰り寄せた<運命>に見えるのかな…。
「さん…そろそろ、ルックさまも戻ってらっしゃいます。お部屋へ…」
「…セラさん、ちょっと、話しない?」
立ったままの彼女を横に座らせ、同じように足を崖下へと投げさせる。
最初は正座で座っていたのだが、
どうもの方が堅苦しげに感じてしまうので、強制変更と相成った。
少し心地悪そうなセラの表情に、彼女は微笑む。
「…どうして、貴方はルックについていこうと思ったの?」
「あの方は、私を救い出して下さったんです。私の力だけを求める場所から…」
「……そっか」
セラさんもきっと…色々辛い事があったんだろうなぁ…。
私なんて…好き勝手してて。
なんて思うが、勿論、にだって辛い事はたくさんあった。
泣き叫んで、助けてくれと願った事だってあるし。
「ルックの事、大事なんだね」
「さんは…違うのですか?あの方と、同じ道を歩きたいとは思わないのですか?」
同じ道……それが、破壊を基盤とする道という意味なら、答えは否。
けれど、ルックのしようとしている事が……全て間違いだとは思っていない。
ただ、彼とは少し、歩いている道筋が違うだけ。
炎の英雄を継いだ者の道と、ルックの道。
その間に、の道がある。
互いの主張は、決して間違ってはいない。
ただ、ルックのそれは方法としては最善ではないか……。
そして……。
「真の紋章の封印は、人の手で開かれるものじゃないんだよね…きっと」
「、さん?」
「セラさん、私は…出来る限り、戦おうと思うんだ。消させてなんて…やらないんだから」
「……」
決意の灯る瞳は、あの<炎の継承者>と同じ。
しかし、うら若い炎の英雄にはない、研ぎ澄まされた何かが宿る。
「…あ、ルック戻ってきたみたいだね」
先ほどまでとは打って変わって、明るい微笑をたたえながら手を振る。
……ルックは、真の土の紋章を手に入れていた。
セラとルックは、早々に部屋の中へと入っていった。
は一人、まだ外の風にあたっている。
……一緒に居るうちに、ルックの目的は判った。
五行の真の紋章。
そのうち四つの力を使い、残りの一つ…真の風の紋章…ルック自身を、壊そうと考えているんだろう。
そして、それこそが運命の頚木を解き放つ方法だと……そう思っているらしい。
多分、間違いではない。
この世界の”神”にあたる、27の真の紋章のうち、一つでも欠けてしまえば、後に変化が現れる。
他の方法より、確実に。
元々、不安定な運命の上に成り立っているからなんだろう。
でなければ……レックナート様のような、バランスの執行者なんて、存在しないよね?
風になびく髪を撫で付けながら、そんな事を思った。
「…さん、ルックさまがお呼びです」
「うん。……? セラさんは行かないの?」
「はい」
……人払い?
ともかく、はルックのいる部屋へと足を向けた。
その後姿を見ながら、セラは小さくため息をつく。
願わくば、彼女がルックの道に沿ってくれる事を祈って。
奇妙な静けさがあった。
ルックは正面のテーブルにつき、を見もせず、手にあごを乗せて瞳を閉じている。
……迷ってる。そう感じた。
彼と向かい合わせになる位置にあった、樽の上に腰掛け、彼の言葉を待つ。
……ルックが口にするまで、沈黙を保つ。
こういうのは苦手ではあったが、そう決めた。
しばらくの後、ルックは目を閉じたまま、口を開く。
「…、これから言う事をきちんと聞いて欲しい」
「うん」
「出来る事なら、聞き終わったら…全てを忘れて、魔術師の塔へと帰ってくれ」
きっと、それは出来ないよ。
苦笑いしながらも、頷いた。
ルックは目を開き、テーブルの一点に視線を絞りながら、話を始めた。
……彼自身の、出生について。
ハルモニア神官長、ヒクサク。
彼が真の紋章を自身の手の内に留めて置くために、ルックとササライは作られた。
乳白色の液体に浮かぶパーツが、自分たちなのだと教える。
忌まわしき秘術。
ルックはその犠牲者で。
……彼が、どうしてこの世界に憎しみを持つのか…少しだけ、判った気がした。
「判ったろう?僕は作られた<モノ>なんだ。ただの入れ物。何者でもない、ただのカタマリだ。僕には、何もないんだよ」
「……」
「真の紋章を宿すが故に、指先に現実感を感じる事なんてない。だって、そうだろう? 生と死の紋章に愛された身なんだから…」
右手にある、今は姿を消している紋章を思う。
「…ルック…でも…」
「僕は、ルックという名前を付けられた抜け殻だ。目的を果たすための一つのカードに過ぎないんだよ」
運命というものに、逆らおうとしているカード。
カードが破れた時、そのゲームはバランスを崩して均衡を保てなくなる。
それこそが、ルックの望み。
だが、はどうしてもセラのように、その事柄に対して積極性を持ってない。
彼の望みだとしても。
「違うよ……」
「違わないさ。人為的策謀によって作られた、パーツの集まり。」
不恰好な、人形。
そんなモノに、人間と形容をつけられるものか。
心なんて、存在しようもない。
ギュ、とルックは自分の心臓の上から服をわし掴んだ。
「………」
無言になってしまったを見て、苦笑いする。
事実を知り、嫌悪されたっておかしくない。
「失望した?僕が、心のない作られた模型だって知って…」
「……ねえルック?」
は不思議そうに小首を傾げ、素朴な疑問を口にした。
「心がないって、じゃあ、今そこにある貴方の心は、一体ナニ?」
………今、そこにある心……。
ルックは思わず彼女の顔を、じっと見てしまう。
自分が今、驚いたような表情をしているという、自覚があった。
このかりそめの命と体に……心だって?
一体どこを見て、そんな事を言っているのか。
ちっとも理解できない。
彼女の方も、どうしてルックが唖然としているのか判らない様子で、困ったような表情を浮かべた。
「…なんか、変な事、言った?」
「僕に、心がある?君、何をおかしな事言って……」
ニセモノの体に宿るはずもない。
そういってかぶりを振るルックに、は「うーん」と唸った。
どう言えばいいのか、よく判らなくて。
「ルックは、私と何を考えて話してる?」
「…なんだよ、それ」
意味のない質問だと冷たく言い放つが、熱心に見つめられ、答えを期待されると……。
ため息をつきながら、仕方なしに彼女の問いに答えるために、考え…というか、言葉をまとめる。
と話をする時、何を考えているか…一言で表すのは難しい。
何故なら、相手の態度や話題によって、内容や口調は変わるもので。
考えている事だって、その時々で違うし。
しいて言えば、の事を考えて話をしているとしか…。
それを口に出したりはしなかったけれど。
「…難しいな。色々考えているし…一概にコレとは言えない」
「ほら、やっぱり心あるじゃない」
「?」
彼女の言わんとしている事が判らない。
彼女はルックを見ながら、自分の考えを口にする。
「言葉って、人の起伏を伝えるよね。起伏って、気持ちがあるから出るものだと思うの。思考だって、その事柄に大して意識が働くからこそだし、意識は心が動くから、考えようと思うんだろうし…」
ああ、上手くまとまらない。
は一生懸命、伝えようとしていた。
言われた事を、何も考えずこなすような無機物でもない限り、何かしら心を経由している。
彼女はそう思う。
言葉を発している人間であれば、気持ちを動かし、心を使っているはず。
心を伝えたいという思いや気持ちがあるから、相手と話をする。
意思疎通。
誰だって、無意識だがやっている事。
ルックだってそうなのだから……心がないはずがない。
「、君は……僕の体が作り物だと知っても、嫌悪しないんだね」
「確かに、いい生まれ方じゃないかもしれないけど、でも、生きている命に変わりはないもの」
「…真の紋章を植え付けるだけの器が、命だって?」
小馬鹿にしたような、嫌悪したような顔がそこにあった。
けれど、彼女は気にしない。
……あえて、気にしないように努めているんだけど。
「命だよ。ルックの手足は、誰が動かしてるの? ルックの思考は、誰かが遠隔操作してるの?」
違うでしょう?
ルックを見ながらそう告げる。
……彼は、二の句が告げない。
彼女の言う事は…なんとも珍しく、真面目で…しかもある意味、的を射ている。
押し負けしそうだった。
……まいる。
「……」
深く深くため息をつくと、すっくと立ち上がる。
「…本当の事を知ってもらって…帰らせるつもりだったんだけど…」
どうやら無駄みたいだね。
無表情の中に、小さく苦笑いをしたような感じがあった。
少し…寂しそうな印象も受ける。
「何があってもついていく…なんて簡単には言えないし、ルックと目指すものは違うけど…でも、大事だから」
だから、ついていくの。
最後までは、崩れさせない。
そう、彼女の目が告げている気がした。
----------------------------------------------------------------
五話構成とかって、思いっきり無理でした(汗)
なんてこった;;
次の次ぐらいで、ルックと離脱します、多分。
…それにしても、読み辛い文章でスミマセン。三人称と一人称が混ざって…うわぁ;
2002・8・8
back
|