エーユー


 わたしには、きらいなコトバがある。
 かいほうぐんのリーダー。
 くにをすくったえいゆうの・マクドール。
 えいゆうのむすめ。


 その日、はグレミオと一緒にちょっとした買い物に出かけていた。
 まだまだ小さいは、グレミオがたくさん持っている荷物の中の、果物の入った小さな袋しか持つ事が出来なくて、ちょっとだけ申し訳なく思ったりしていた。
ちゃん、アイスクリームがありますよ。食べますか?」
「うんっ」
 グレミオの服の裾を掴んで、こくこくと頷く。
「グレミオの作ってくれるシャーベットもおいしいよ?」
「でも、今日はこれで我慢して下さいね」
「うん」
 グレミオはにお金を渡し、アイスクリームを買ってこさせる。
 普段はあまりこういう事をしない。
 たいてい両親のが、自然にある果物やお菓子でもってのオヤツにしてしまうからだ。
 こういうのも、たまにはいいだろう。
「グレミオも食べる?」
 買って来た乳白色のアイスクリームを差し出すが、グレミオは首を横に振った。
「ベンチに座って食べましょうね」
「はぁい」

 隣でアイスクリームを食べているを見て、自然に笑みがこぼれた。
 しかし頭の隅で、やって来るその日が可愛いこの子を打ちのめしてしまわないか、ひどく恐れている。
 一日一日成長していく。
 それは即ち、一日一日彼女の元から、両親が姿を消す日が近づいているという事でもある。
 ソウルイーターとその裏の紋章である、紫魂の紋章。
 それらを持つ両親は不老。
 死が訪れるその時まで変わらぬ姿を持つ。
 その二人の子供であるは、きっと普通の子にはない苦労を強いられる。
 ため息が零れそうになり、無理矢理それを飲み込んだ。
 は人の気持ちにとても敏感なのだ。
「グレミオ、手がベタベタだよう」
 見ると、の手に溶けたアイスの汁が流れていた。
 お店の人が奮発してくれたらしく、やたらと大きなアイスはの手にあまったようだ。
「ああああ……仕方ないですね、アイスを食べたら水場で手を洗っていらっしゃい」
「はぁい」
 素直に返事をし、一生懸命に乳白色のそれと格闘してすっかり平らげてしまうと、グレミオからハンカチを借りて水場へと走った。



「ふう。よかった。ベタベタ取れた……」
 ぷるぷると手を振り、それからハンカチで水を吸い取る。
 そこへ、見知らぬ男の人と女の人がやって来た。
 女の人の方が足を止め、じぃっとの顔を見る。
「……?」
 小首を傾げると、女の人が
「わー、可愛い女の子!」
 にこにこしながらの頭をなでた。
 びっくりしたものの、嫌な感じのする人ではなかったので、されるがままになっていると今度は男の人の方がよく分からない事を言い出した。
「なあ、この子誰かに似てないか?」
「え、そう??」
「………ああ、似てるよやっぱ。俺、似た肖像画見た事あるもん」
 男の人は暫く考え、それから
「あーーー!! そうだよ! この子あの人にそっくりだ!!」
「なによ」
 女の人がの頭をなでるのを止め、男を見る。
 すると今度は男の方がの顔を覗きこんだ。
 びくりと肩を震わせているのに気づかず、興奮気味に声を上げる。
「マクドールだよ、・マクドール! 解放軍の英雄! 俺ファンでさぁ!!」
「ええっ!!?」
「この子、英雄の娘だよきっと!!」
 はなんだか怖くなって、グレミオのところに走って戻った。
 なんでもないような顔をしながら。
 グレミオに心配かけたくなくて。



 それから、何度も何度も――数えるのがバカらしくなるぐらい、そういう事があった。
 言われるたびに、はそのコトバが嫌いになっていった。

 英雄。
 英雄の娘。
 不老。
 解放軍のリーダー。
 救世主。

 呼び方、言われ方は色々あれど、には心地いいものではなかった。
 一度、
「お父さんはエイユウなの?」
 そう聞いたことがある。
 に他意は勿論なかった。
 けれどその時がした表情は――とても寂しそうで。
 それ以来、はそのコトバを禁句にした。
 そして、子供ながらに悟った。
 父は――そして母も――なにかとても辛い事があったのだと。



 シチューを煮詰めているグレミオに、言った事がある。
 何度も何度も『英雄の娘』と言われ、どうしていいか分からずに困った時の事だった。
「グレミオ、わたし、えいゆうのむすめ?」
「……嬢ちゃん…?」
「えいゆうのむすめって言われる。でも、それをお父さんに話すと、とてもかなしそうな顔になるの」
「……そうですね」
「お父さんとお母さんがかなしむの、いやだ」
 今にも泣きそうになっているの頭をそっと撫で、グレミオは優しい声で言った。
嬢ちゃんは優しい子ですね。……確かに坊ちゃんは、一部ではそう呼ばれます。それは坊ちゃんにとっては辛い記憶を呼び起こす事にもなります」
 でも、とグレミオは続けた。
「世の中の大半の人は、坊ちゃんやちゃんの気持ちを考えません。英雄という表現は、彼らにとっては尊敬の言葉であり、称えの言葉なんです」
「うー…?」
 一生懸命考えている
 そこへきて、いかに自分が難しい言葉を言っているかと思い当たった彼は、砕いた表現で言い直そうとしたが、先にが口を開く。
「ええと、お父さんがダイトウリョウのヒトと同じぐらいエライっていうこととにてる?」
「そうですね。とても似ています」
 利発な子だと、心底思う。
 それゆえに苦労してしまう事も多いかもしれない。
嬢ちゃん、そういう事を言う人がいても、嬢ちゃんが気にする事はありませんよ。もっと大きくなれば分かりますから」


 グレミオはに、一部始終を話して聞かせた。
 その日の夜、は寝る前にの頭を撫でながら、優しい言葉をかけてやった。
は僕との大事な子供だよ」
「うん」
 小さな手が、の服を掴んでいる。
 目は眠たげに瞬いているが、それでも話をきちんと聞いている。
「英雄の娘って言われたら、こう言えばいいんだ。『わたしは、わたしです』って。だって、だろう?」
「うん……そうする。お父さんとお母さんがかなしいのはイヤなの。わたしも、ふたりを守るの……」
……?」
 すぅすぅと静かな寝息が聞こえてくる。
 安らかな寝顔。
 は小さく笑った。
 親という贔屓目を抜きにしても、この子は可愛い、と。
「……不甲斐ない父親でごめん……」
 英雄という名称の責め苦。
 全く関係ない娘にまで背負わせてしまった事が、には辛い。
 でも。
 がいなかった方がよかったなんて、思ったことは一度もない。
 何度も存在に助けられている。
 さらさらとした髪を撫でると、は幸せそうに笑った。
「……僕も、を守るよ」
 誓いを胸に呟く。


 わたしには、きらいなコトバがある。
 かいほうぐんのリーダー。
 くにをすくったえいゆうの・マクドール。
 えいゆうのむすめ。
 でも、そういうひとにはこういえばいいって、しってる。

「わたしは、わたしだよ? エイユウなんてナマエのひと、しらないもん」


-----------------------------------------------------
娘のお話。個人的には結構好きな話です。
タイトルだけ見ると、なんのこっちゃ、っつー話ですが。
2004・3・13
ブラウザback