常人としての幸福



 こんな日が来るなんて、思ってもみなかった。


 こんな幸せを貰えるなんて、思ってもみなかった。



「…、何だか最近落ち着きがないけど、何か――」
「え…? ううん、別に特に何もないけど」

 久しぶりにグレッグミンスターの自宅で、落ち着いて食事を摂っている最中のの発言に、は何の事もなく答えた。
 だが、の言葉に同調する者は、以外の住人達だった。
 グレミオが一番敏感に気づいているらしく、何度も 「本当に何もないんですね?」と、連呼して来る。
「だ、だからぁ…大丈夫だって…」
 パタパタと手を振り、苦笑いをこぼす。
 まだ突っ込み足りなさそうなグレミオだったが、の 『なら、いいけど』 という一言で、その話題は閉じられた。




 就寝前、は珍しくクレオの部屋にいた。
 いつもなら、の部屋か自室で本を読んだり、話をしたりしているか、グレミオと一緒になって、料理食材のチェックをしていたりするのだが、こと、今日に限っては違った。
 それも、何となく重い空気が部屋を支配していたりする。

 その ”重い空気” を発しているのは、だったりするのだが。

 クレオはイスに座り、ベッドに腰掛けている――何も言わない彼女――を見て、小さなため息をついた。
「…、一体どうしたっていうの?何か話があるから、来たんでしょう??」
「…うん」
 ……認めはするものの、話を進めようとしない彼女に、クレオはもう一つため息をついた。

 が ”こう” なっている理由が何かは検討もつかないが、それは彼女にとって、物凄く重たいものらしい。
 過去、何度かしか目にかかった事がない様子は、その重大性を存分に物語っている。
 ……暫く、無言の空間が広がった。

「……あ、あのね、クレオ…その――」
「はい」
「……明日、リュウカン先生のトコ…一緒に来て、くれる?」
「……病気なの!?」
 『うーん』 と、微妙な返事をする
 どうも、病気――という事ではないらしい。
 そもそも、クレオから見て彼女は健康そのもので、食事だって今までと同じ――もしくはそれ以上食べているように見受けられたし、顔色が悪いという訳でも、どこかに痛みを感じている様子もない。
 ――ふと、脳裏に一つの考えが過ぎる。

(…まさか、ねぇ)

 浮かんだ考えを、頭を振って流した。
 もしそうだとしたら、喜びはすれ、困りはしないだろう。

「まあ、分かった。明日ね」
「ありがと…」



 翌日。
 リュウカンの診察を終えたは、部屋から出るなりクレオに抱きついた。
 心なしか、肩が震えている。
「ど―――どうしよう――っ……!」
?? 一体…」


 次に震える口唇から発せられた言葉は、

「妊娠しちゃった……」

 だった。



 ………。



「えええーーーーーーーーっ!!!!??」



 クレオは、泣きそうになっているをとにかく落ち着かせると、中央広場の噴水付近、休憩用ベンチに腰をすえ、何がどうなってるのか、なぜ困った様子なのかを、きちんと聞く事にした。
 幸いにも、周りに人は少なく、これなら落ち着いて話ができそうだ。

「…いつ頃、気がついたの?」
 問いに、は落ち着いたのか、しっかりした口調で話し始めた。
「…つい最近。『アレ』 がなくなって……たまに気持ち悪くなったり、気だるくなったり…。で、まさかと思って今日…」
「リュウカン先生に診てもらったら――かぁ…」
「…三ヶ月目だろうって…」
 ガックリきているに、クレオは不思議そうなまなざしを向けた。
「嬉しい――事、でしょう?」
 それともまさか……。
 はクレオの表情から、言いたい事を読み取ったのか、大きく手を振って否定の意を表した。
「違うよ、父親は――だけど…」
「だったら別に…」
 問題ないように思えるのだが?
 ――が、は深くため息をついた。
「…も私も 『紋章』 がある。は今だって苦労してる…なのに、これ以上――」
「……」

 子供を生む、という事は…にとってもにとっても、容易なものではない。
 普通の人以上に。
 クレオが思っている以上に、色々な障害が生まれるものだった。
 こと、 『この二人』 に関しては。

 ……が。
 何にせよ、打ち明けねばならない事は確かで。
「坊ちゃんに、話しましょう。大丈夫、心配しなくても…」
「……うん」
 肩にポンと手を置き、クレオが笑う。
 はまだ、不安をぬぐいきれていない様子だったが――立ち上がった時には、しっかりした心を持てるようになっていた。



「……」

「………」

「…………」

 夕食の席で打ち明けられた 『妊娠』 の二文字は思いの他――というか予想通りというか――男性陣に、多大な衝撃を与えたようだ。
 グレミオは目を丸くし、パーンは口を大きくあけ、は口にシチューのスプーンを咥えたまま、固まった。
 食事の手は完全に止まり……何の音もしなくなる。

 沈黙が、耳に痛かった。

「…ちょっと」
 クレオが苦笑いしながら、男どもに声をかけると、それで一気に時間が流れだしたかのように…グレミオが突然泣き出す。
 ……いわゆる、感動の涙、というヤツだ。
 パーンは酒持ち出し、「めでたい!」 を連呼して飲み出し、当人達そっちのけで、盛り上がりを見せている。

 は未だに固まっているに、声を書けた。
 少しばかり、恐々と。
「…、あの…」
「…………」
 はスプーンを放り出して立ち上がると、を連れ、食事を中断して自室へと駆け込み、バタンとドアを閉めた。

 広間に残された三人は顔を見合わせ、うーんと唸り、二人が出てくるのを待つことにした。
 ……食事は、中断したままで。



 は座るでもなく、話をするでもなく、ただただ互いを見やっていた。
 どちらも、何をどう口にしていいか、分からなくて。
 室内で無言で突っ立っているという姿は、少々奇妙ではあった。

「…本当に?」
 先に沈黙を破ったのは、
 しっかり発音したつもりが、変に渇き、かすれた音になってしまった。
は俯き、小さく――頷く。
「…っ…!!」
「わっ…!」
 くしゃっと顔をほころばせ、突然に抱きつく。
 いきなりの事に、彼女は驚いて体制を崩しそうになったが、の手の支えもあり、何とか踏ん張る事が出来た。
 彼はの肩をがしっと掴み、喜びの溢れた表情で、彼女の目を見――再度、強く抱きしめる。
 余りの強い力に、少し息苦しさを感じて、彼女はの腕の中でもがいた。
「苦しいよぅ…ってば…」
…僕、嬉しいよ…凄く―!」
……でも、私…」
「……は、嬉しくないのか?」

 抱きしめる事を止め、彼女の瞳を見つめる。
 …複雑そうな瞳が、そこにあった。

「…子供生まれたら、に負担がかかるし…」
「…不老の事?」
 こくん、と頷く。
 不安一杯のを安心させるように――子供をあやすように、は優しく優しく、言葉を選んで語りかける。
「大丈夫だよ。グレミオもクレオも、パーンも…それに、僕もいる。たくさん大変な目にあうと思う。大きな問題を抱えると思う。でも…それは負担じゃないよ。だって、子供が出来て嬉しいだろ?」
「…嬉しいよ…すっごく」
「…。僕らが 『生きてる』 証だよ。後悔したくは、ないだろう?」

 はそう言い、そっとにキスをした。
 も、そっと…キスをし返した。

 もう、迷いは、なかった。



 生む事に決めた。
 迷惑かけると思うけど、協力して欲しい。

 その言葉に、マクドール家の人々は誰一人として、協力を惜しむ事はなかった。


 子供が生まれるのは、まだ先の話だけれど、その日からマクドール家は、生まれてくる子供のために、あくせくと動き出した。
 グレミオなど、既に部屋をどうしようかと考え込んでいたりして。




 こんな日が来るなんて。

 こんな幸せがもらえるなんて。





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坊ちゃん、パパになりますよーな話でした。
……子供がいる3の世界を考えたら、無性に書きたくなったのですよ。
2003・4・23
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