拡変世界 17



「あなたが仙人さまですか?」
 正面にいる、ふさふさの毛を持つ猫みたいな人に、は首を傾げながら問う。
 綺麗な毛並みのその猫は、ほっほっほと笑った。



「お前たち、超聖水を求めて来たのじゃろ?」
「力が強くなるって水か? チョー……チョーセイ、スイ?」
「うむ」
 仙人――自称は仙猫(せんびょう)さま――は、魔法使いが持っていそうな杖を、部屋の中央にある石柱に向けた。
 石柱は悟空の身長の1.5倍ほどの大きさで、突端には4体の像に抱えられた水入れのようなものがある。
「そこの台の上に乗ってるのが、超聖水の入った壷じゃ。しかし、なんで更に強さを求めるのじゃ?」
 今のままでも充分だろうと言う仙猫に、悟空が口を開こうとする。
 お世辞にも悟空は説明が得意でない。
 が代わろうとしたら、仙猫に止められた。
「よいよい。説明せずともよい」
 説明しないで、どうやって状況を理解するのだろう?
 不思議がると悟空を他所に、仙猫は暫く無言のままだった。
 かと思えば、いきなり2人の今置かれている状況を、あっさりと言ってのけた。
「なっ、なんで分かったんだ!?」
「心ぐらい読めんようでは、仙人とはいえん」
 じゃあ、亀仙人さまもそうなんだなあ、とは独り頷く。
「まあよかろう。とりあえず不純な動機ではなあそうじゃ」
「……? とにかく、この水もらうな」
 石柱によじ登る悟空を、は見守る。
 すると仙猫が唐突に笑い出した。
「ほっほっほ、お前に超聖水を飲むことが出来るかな?」
「え? そんなにマズイのか?」
 別にマズくはないと言う仙猫。
「じゃあなんだ?」
「わしが飲むのを邪魔するだけじゃ」
 悟空が疑問の声を上げるより前に、仙猫の杖が悟空を石柱から突き落とす。
 くるりと一回転して着地し、悟空は怒り出す。
 そりゃあ当然だろう。飲んでいいと言われたも当然なのに、ジャマされるのだから。
 は状況が分からず、目を瞬く。
「あ、あの、仙猫さま……?」
「超聖水が欲しかったら、壷を取って飲んでみろ」
 悟空は嫌な奴だと言い、気を入れて壷に向かって飛び上がり、手を伸ばした。
 しかし仙猫は悟空を蹴り飛ばし、杖の先の超聖水の入った壷の取っ手を引っ掛け、からからと揺する。
「……失礼。2人がかりでもいいの?」
 卑怯かなと思いながら訊いてみると、
「よいよい」
 仙猫は存外あっさりと承諾した。
 だったら、と悟空とは目配せをし、2人で一気に追い込みにかかる。
 悟空の移動速度より上の仙猫に、の速度が追いつくはずもない。
 仙猫の動きは半端ではなく、2人でかかっても全くかすりもしなかった。
 殆ど飲まず食わずで塔を登ってきた2人にとって、本気の追い込みは長く続かない。
 少しの時間で完全に息が上がり、目が回ってきてしまっていた。
「なっ……なんてすばしっこい奴なんだ……」
「指先もかからないよ……はぁっ……」
 膝に手をやり、息を整えようとする
 仙猫は軽い調子で笑った。
「っ……くそぉ、腹減ってなきゃ、お前ぐらい簡単に……!」
「ほう! じゃあメシ食わせてやろう」
 どこから取り出したのか、仙猫は悟空に小さな何かを投げて渡す。
 にも同じ物を投げて寄こした。
 手の中にあるそれは、見た目には綺麗な緑色をした豆。
「枝豆?」
「こんなんで腹いっぺえになるかよ!」
「文句を言うとバチが当たるぞ。それは仙豆じゃ。1粒でゆうに10日間は飢えを凌げる、ありがたい豆じゃんじゃ」
 一見枝豆みたいな、これが?
 は疑問に思いながら、それでも豆を口に入れた。
 ナッツのような音を立て、豆は噛み砕かれる。
 ……別に、物凄く美味しいというわけではない。味のない豆だ。
 味はともかく、飲んだ瞬間にお腹が膨れ、は驚いて思わず自分の腹を見つめる。
「すごい……」
「ほ、ほんとだ! どうなってんだ、信じられねえ! でも、オラたち腹膨れたし、壷ぜってぇ取ってやっからな!」
「ほう、それはどうかな」
 普段的に笑っているような顔の仙猫の表情。
 より笑みが深まった気がした。

 結果として、どんなに悟空との腹が満たされいても、仙猫から壷を奪うことは出来なかった。
 悟空は地面に仰向けに寝転がり、はぺたんと膝を曲げて床に座っている。
 額に流れる汗を手の甲で拭い、思いきり息を吐き出した。
「なんじゃ、お前らもうバテたのか」
「な、なあ……ここまで登ってきたの、オラたちの前に1人いたんだろ?」
「そうさな、300年ほど昔じゃが」
「……お、おめえ、いってえトシいくつなんだ?」
 悟空はむくりと起き上がる。
 も同じように立ち上がった。
 仙猫はしれっと、
「800歳とちょっとじゃ」
 答える。
「お、オラよりずーっとずーっと、トシが上だったのか!?」
 尊敬しろ、と言い、仙猫は咳払いをした。
「今までに登れた1人は、お前達の師匠じゃ」
 動きを見れば分かると言われた。
 と悟空の師匠。それはつまり。
「じゃあ、亀仙人のじっちゃんも昔ここに来たのかっ!? 不思議な水を飲んで、もっと強くなったのか!?」
「そうじゃ」
 物凄く軽いことのように言う仙猫。
 悟空は、実は物凄く偉い人……いや猫を相手にしていたらしいと気付いたのか、口を開けて驚いている。
「これからはカリン様と呼べよ」
 こくこく頷く悟空。
「カリン様、あの……仙人さまは、亀仙人さまは、どれ位でその水を飲めたの?」
 ぴ、と指を3本立てる。
「すっげぇ、3分か!?」
「いいや、3年じゃ」
 ……。
 悟空もも、余りの数値に一瞬思考が停止する。
 亀仙人――師匠が3年かかったのなら、一体や悟空はどれ程かかるか分からない。
「じょ、冗談じゃねえ。オラそんなに待てねえよ!」
「じゃったら、早く壷を奪えばよい」
 たったそれだけのことだと言い放つが、決して簡単ではなかろう。
っ、頑張るぞ!」
「は……はいっ!」
 悟空に背中を押される形で、も気合を入れなおす。
 カリンを間に等間隔で距離を保ち、けれどは動かずにじっとカリンを観察する。
 悟空の方は、多重残像拳を展開した。
 けれどカリンは笑い、悟空のうちの1人に蹴り飛びかかる。
 しかし悟空の姿を突き抜けた。
「こっちでしたー!」
 悟空が上からカリンに飛びかかる。だが、こちらも姿を突き抜ける。
 カリンもまた残像だった。
 は残像ではないはずのカリンに飛びかかり、けれどあっさりと避けられる。
 悟空と一緒に必死に彼を追い掛け回し、だがやはり指先すらかすらない。
 そうこうしている間に、は息苦しさを感じて足を止めた。
「はぁっ……はぁ……」
、でえじょぶか……? ぜぇ……。くそっ、おかしいなあ、すぐに息が切れてくるぞ」
「当然じゃ。ここはかなりの上空にある。空気が薄いんじゃ」
 確かに、地球が丸いと分かりそうなほどの高度にある場所だから、空気が薄いだろう。
 動きに無駄があるから、すぐに息が切れるのだと言われ、納得した。
「ところでお主ら、まだ気づいておらんようじゃな」
 意味がサッパリ分からないと悟空は顔を見合わせ、カリンに向き直る。
「この高いカリン塔を登りつめたことで、相当に体が鍛えられているという事実にじゃ」
「え? そうかなあ……」
 悟空は確認するように腕を回すが、やはり実感はないようだ。
「よう分からんか? では、もう一度鍛えてやろう」
 カリンの手には、今の今まで悟空の腰に着いていた、ドラゴンボールの入った布袋が。
 悟空は返せと喚くが、カリンは意にも介さず、袋を外へ放り投げる。
「ああっ!」
、待っててくれ! オラ取って戻ってくる!」
 言うが早いか、悟空は下へと急いで駆けて行った。
 残されたは頬に手をやり、考える。
 カリンは、かつん、と杖を床に打ち鳴らした。
「さて。あやつが戻ってくるまで、お前さんはどうするね?」
「そりゃ勿論――壷を奪わせてもらいます」
 は息を吸い、吐き、それからカリンの持つ杖に狙いを定めた。

 動きの無駄を剥がしていけば、無用な息切れもなくなる。
 相手の動きを読んで動くべし。
 分かっていても身体が動かないことはままあるが、それでもは諦めずに必死にタイミングを掴もうとする。
 呼吸のリズムを掴み、徐々に間合いが詰まってきた。
 息を吐いて速度を上げ、吸って微かに速度を落とす。
 同じ動きをしていては、決して捕まえられない。
 なれば呼吸を掴み、先読みすることが必要。
 まるで誰かに先に習っていたかのように、どんどんカリンとの修行で、間合いというものを学習していく。

「っ……!」
 指先がカリンの杖に近づく。
 しかしそれだけだ。
 近くなったと思った次の瞬間には、既に遠い。
 またも弾みきった息を整えるため、は動きを止めた。
「っく……はぁ……」
「ほう、ずいぶんわしに付いてくるようになったのう」
ー!」
 下から声が聞こえ、次いで悟空が物凄い勢いで上がってくる。
「面倒なことさえやがってっ! ぎゃふんと言わせてやる!!」
 汗を拭いながら言う悟空に、は落ち着くようにと手を動かした。
 カリンはにんまり笑う。
「どうじゃ? 更にずいぶん鍛えられたじゃろ」
「へ?」
「最初に登った時は、1日近くかかった。しかそ今度は往復3時間ほどじゃ」
「あ……」
 驚き、自分の手を見る悟空。
 カリンはかつんと音を立て、杖を打ち鳴らした。
「さて、それはともかく、壷を奪わねば超聖水を飲めんぞ。それに、お主が時間を潰している間に、こっちの娘子も相当強うなったぞ」
凄ぇなあ……ようし、オラも頑張るぞ!」
 全く自覚のないは、仙人の言葉に首を傾げるが、とにかく一刻も早く壷を奪わねばと、また悟空と一緒にカリンを追いかけだした


2017・1・22