拡変世界 16



 ――大丈夫。
 身体のどこかが、大丈夫だと、そう言っているみたいだった。



 ふわり、頬に暖かいものが触れ、それでは覚醒した。
 目を擦ってから瞼を開く。
 心配そうな悟空の顔が目の前にあって、なんだか立場が逆じゃないかと思った。
「よかった、……オラ、目ぇ覚まさねえかと思ったぞ」
「悟空こそ。死んじゃったかと思ったよ……」
 彼は頷く。
「オラもそう思ったさ。でも、じいちゃんが助けてくれたんだ。懐に入れてたドラゴンボールのおかげだ」
 は悟空の手を借りて起き上がる。
 軽く頭を振って意識を揺り起こしてから、周囲を見回した。
 当然かも知れないが、桃白白はいなかった。
「私、よく助かったなあ」
さん、悟空さん!」
 ウパが背後から元気よく声をかけ、手になにやら袋を持って駆けて来た。
「よかった。ウパも無事だったんだね」
「はい! 悟空さん、これをどうぞ。少ししかないけど、食べ物と水です」
「……?」
 疑問符を頭に浮かべるに、悟空は側近くにあるカリン塔を見上げた。
 も同じように見上げる。
「オラ、これからカリン塔のてっぺんまで行って、強くなるって水を飲んでくる。桃白白をやっつけて、ドラゴンボール全部集めて、そんで、ウパの父ちゃんを生き返らせるんだ」
「……ボラさんを生き返らせる……うん、そうだね!」
 それはとてもいい考えだ。
 ドラゴンボールはどんな願いでも叶えてくれるのだし、きっとウパの父親だって生き返るに違いない。
はどうする? オラと一緒に登るか?」
 申し出に、は悩む。
 できることなら、一緒について行きたい。
 けれど、彼と一緒に自分がついて行ったら、迷惑になりそうな気がする。
 悟空ほど早くは登れないだろう。
 彼に先へ行けと言っても、きっと待つと言って動かないだろうし。
 悩むに、悟空はいつも通り、にかっと笑って手を差し出した。
「悟空?」
「なに心配してんだ? でえじょぶだ。オラと一緒に強くなりに行こうぜ!」
「でも迷惑かけるよ、絶対に」
「たとえそうだとしても、オラは別にメイワクなんて思わねえよ。おめえと一緒にいると、オラすっげぇ頑張れるんだからさ」
 なんだか当たり前のことように言われ、赤くなることも忘れてしまう。
「……うん分かった。私、頑張るよ」
「決まりだな!」
 悟空は腰に装着した布袋の中身――ドラゴンボール――を確認するみたいに2度叩き、それからウパに貰った袋を同じく着ける。
 もウパから水を貰い、腰に付けた。
「よし、そんじゃ行くぞ!」
「うん」
「2人とも気をつけて……」
 心配そうにしているウパに手を振り、悟空が先に、次いでがカリン塔に登り始めた。


「……青い世界だなあ」
 は力なく笑いながら、よいしょ、と塔の突起に手をかけ、身体を思い切り引き上げる。
 周囲に見えるは空の青ばかり。
 下を見れば、ウパがいるであろう森のはずだが、こんな超高度の所から余り下は見たくない。
 見ればいっそ気持ちいいかも知れないが。
 落ちたら当然死ぬわけで、手に妙に力が入ってしまうし。
「ひぃ、ふぅ……まだてっぺん見えねえなあ」
「豆粒ほどの大きさすら見えないね」
 愚痴を言っても仕方がない。
 とにかく一生懸命に登り続けるしかない。
 決してのんびり進んでいる訳ではなく、恐らく常人以上の速度で登っているのだが、それでも先がまだまだありそうだ。
「平気か?」
「だいじょぶ。問題なし……ってことにしとく」
 は苦笑した。

 とにもかくにも、延々と登り続ける。
 周囲の世界は青から橙に、そして濃紺へと変わり往く。
 けれどもと悟空がすることといえば、いつ終わるとも知れぬカリン塔を登り続けることだ。
 一緒に頑張ると決めた以上、弱音は吐きたくないが、実際、言いたい気分ではあった。
 腕は自分の体重を持ち上げることに痛みを感じ、足は疲労を感じすぎて徐々に踏ん張りが効かなくなってきている。
 爪をどこかに引っ掛けたか、割れていたりもする。
 痛いが、手を離したら下までまっ逆さまだし。
 息をつくに、上から悟空が声をかけてきた。
、おめえ手ぇ真っ赤じゃねえか。治した方がいいんでねえか?」
「だめだよ……こんなトコで力使って、万が一くらくら来たら、落っこちちゃうもん」
「そっか……にしても、オラ腹減っちまった。も食うか?」
「ん」
 ウパから貰った、乾パンらしきものを頬張り、水を飲んだ。
「……少し眠った方がいいかもなあ」
「私、こんな所で寝たら落っこちちゃうよ……たぶん」
 残念ながら、修行を重ねているとはいえ、には塔に掴まった形のまま眠るなんて芸当、きっとできない。
 目覚めたらあの世だった、とかありそうだ。
 固定用の紐かなにかを持ってくるべきだった……。
 悟空は、自分もと同じぐらい確実に疲れているだろうに、彼女が寝られるよう、思考をめぐらせている。
「……筋斗雲に乗って寝りゃいいんだ、そうだよ」
「だめだよ。自分の力だけで登らなくちゃいけないのに」
「登らなきゃええんだ。同じ位置から、また始める。オラはここ、おめえは筋斗雲の上だ」
「でも……」
 やっぱり駄目だと言おうとしたが、それより先に悟空が筋斗雲を呼んだ。
 果たして来れる位置なのかと訝ったが、筋斗雲はいつもと変わらぬスピードでやって来た。
 側近くに浮いているそれに乗れば、気持ちよく眠れるだろう。
、落っこちちゃ意味ねえ。だから寝ろよ、な?」
「……えらい仙人さま、許してくれないかも」
「そしたら、うんとお願いすればいさ」
 そんなに必死で休ませるほど、自分は酷い状態なのだろうかとは首を傾げた。
 考え、ひとつ頷くと、は筋斗雲に、自分の下の位置に来るようお願いした。
?」
「私も塔にくっ付いて寝るから」
「でもよぉ……でえじょぶか?」
 不安そうな悟空に、落ちて死ぬことは筋斗雲が下にある限りないわけで、だから大丈夫だと頷く。
 それで彼も納得したのか、ひし、と塔にくっ付いたまま無言になった。
 は目を閉じ、でも手足の力を抜かないようにしながら、それでも少しでも眠ろうと努力する。
 ――結果。筋斗雲に受け止められることもない代わりに、殆ど眠れなかったのだが。

 次の日の朝早く――まだ世界がまどろんでいる頃合い――から、悟空とは塔を登り始めた。
 2人とも、当然のように昨日までの元気はない。
 疲れたと泣きを入れても、引き返す道のりがまた辛い。
 だったら進む方が得策であるように思えるし、今ここで折れたら、桃白白を倒すことも、また、ドラゴンボールを集めてウパの父親を生き返らせることもできなくなる。
 分かっているからこそ、2人は歯を食いしばって登り続けた。
 時折心配から声をかけたりもするが、互いにほぼ無言で進む。
 夜がはっきりと払拭され、太陽が朝を告げ、皆が朝食を摂るであろう頃。
 の視界に、豆粒大のなにかが入った。
 円盤のようなそれの先には、塔がない。
「悟空……てっぺん、だよ、あれ……きっと」
「ぐ……っ……も少しだ……!」
 励まし、励まされ、必死で先に進む。
 最初は小さかったそれが、どんどん近づいてくる。
 身体全体をぎしぎし言わせながら、それでも先に進んだ。
 半ば死ぬ思いで天辺に到着し、建物の底に開いた四つの穴のひとつ、その淵に手をかけて、悟空が先に内部へ入る。
 は彼の手を借りてよじ登り、なんとか内部に転がり込んだ。
 息を弾ませ、地面があることに安心してそのまま、は座り込む。
 悟空も彼女の横に、ぺたんと座った。
「着いたな……!」
「う……うん、着いた……はぁ……」
 周囲を見回し、仙人はこの場にいないらしいことを見て取る。
 屏風(びょうぶ)があったり、瓶があったりする所を見ると、誰かが住んでいることに間違いはないようだ。
「早く……強くなる水を貰って、戻らなくちゃね……よし!」
 ボロボロの身体に気合を入れ、2人は立ち上がった。
 勝手に強くなる水を持ってのは悪いし、どれかも分からない。
 ということで、仙人を探すことにした2人に、すぐさま声がかかった。
「こっちじゃ、上に来い」
「……? 今の、仙人さまかなあ?」
「分かんねえけど、行ってみっか」
 言い、悟空とは外階段へと足を向けた。



2016・10・26