拡変世界 7



 ジングル村を出て、西の方角へ飛び続ける。
 寒い地区はとっくに通り過ぎ、2人とも防寒具は外していた。
 大きな山を幾つも通り越え、川を幾本も通り過ぎた。
 は悟空の後にちょこんと座ったまま、過ぎ行く風景を眺めていた。
「都って、どんなとこかなあ」
「オラも初めてだ」
 この世界においては、も悟空と変わらぬイナカ者。
 異邦人なだけに余計に性質が悪いかも知れないが。
「お、見えてきたぞ!」
「あれが西の都かあ……なんだか不思議な感じ」
 遠目から見て、結構な大きさだが、実際どれぐらいなのかは分からない。
 自分の住んでいた場所と、比較しようがない。
 なにせ、元の地球で、こんなに高い場所から風景を眺めたことなんて、一度もないわけで。
 日本は狭いから、これ以上にずっと建物が続いて見えるような気はするが。


 西の都内に入ると、まず目に付いたのは空飛ぶ車。
「……すごい」
 先ほどから、何度か分からない『凄い』発言をした。
 悟空もあちこち忙しなく視線を動かしているが、も同じように周囲を見ては、気の抜けたような声を上げている。
 どういう原理で浮いているのか分からないというのは、凄く不思議なものだ。
 高い所にあるチューブは、所謂、有料道路みたいなものだろうか。
 車が空中を飛ぶも驚きだが、街中を我が物顔で小さな飛行機が飛んでいるのにも驚きだ。
「とにかく、その辺に下りるか」
「そ、そうだね。ブルマの家探さなくちゃいけないしね」
 同意し、筋斗雲を広い歩道に寄せて降りた。
 筋斗雲に別れを告げ、改めて周囲を見やった悟空は、微かに眉をひそめた。
「なんだか、うるっせえトコだなあ」
「まあ、都会なら普通かなあ……。私の住んでたトコにも、こういう場所は多かったし」
 さすがに車が空中浮遊したりはしないけれど。
「困った。案内板とか出てないかな、ここがどこだかも分からないよ」
 もっとも、現在地が分かったとて、ブルマの家が分かるわけではない。
 誰かに聞くべきかと周囲を見回していると、すぐ近くでクラクションが鳴った。
 何気なくそちらに視線を向け、
「ご、悟空っ、道路に出ちゃ駄目でしょ!!」
 思いっきり道路を横断しようとしていた悟空を引き戻した。
 なんて心臓に悪いことをするのだ、彼は!
 は悟空の手を掴む。
 すると彼は、いかにも不思議そうに首を傾げた。
「なんだ、ドーロって」
「………嘘でしょ。車が通る道なんだけど……知らない?」
「オラんちの近くに、そんなもんなかったぞ」
 確かに。
 悟空の家は山奥にある。当然、道路というような道路はないだろう。
 交通ルールを守ろうね、と教えてもらってもいないに違いない。
 は息を吐き、車の往来が激しい、今しがた悟空が横断しそうになっていた場所を示す。
「あのね、車がいっぱい通ってるとこは、人は歩いちゃ駄目なの」
「なんでだ?」
「そういう決まりなの」
 びっくりするから、横断しようとするのは止めてくれとお願いすると、悟空はニカッと笑い、
が言うなら、オラやらねえ」
 納得してくれて、ホッと一息つく。
「それじゃあ……ええと、ブルマの家を探そうか」
「おう」
 またも勝手に歩いて行こうとする悟空の手を引き、は首を振る。
「ここがどこかも分からないで、適当に歩いちゃだめだよう」
「じゃあどうすんだ?」
「警察のひとを捜してみようよ。きっと知ってるから」
「ケーサツ?」
 うん、と頷くと同時。
 悟空の腹が、盛大な音を立てた。
 は思わず彼のお腹を見つめる。
「オラ、腹へっちまった……なんか食いてえ……」
「お、おなかすいたの? ごめん、お金ないよ。悟空も持ってないでしょ?」
「カネ?」
 だめだこりゃ。
 向こうの世界から来た時から、は金銭を持っていないし、持っていたとしてもこちらの世界では通用しない。
 困って周囲を見回すと、ふいに人だかりが目に付いた。
 悟空もそれに気付く。
「あれなんだ?」
「さあ……なんだろう」
「行ってみっか」
 別に反対する理由もないので、悟空について人だかりの方へと向かった。
 人を少々押しのけながら中心に入る。
 すると、ロープが半四角形状に渡してあった。
 区切られた中には、獣人型の巨漢と、ファイターらしき男がおり、なにやら戦っていた。
 もっとも、戦いというほど凄いものではなさそうだけれど。
 ……って思う私、もしかして普通じゃないのかな?
 が唸っている正面で、獣人型の男は吹っ飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。
 受け身も取れずに倒れた男は、それでも頭を振って立ち上がると、悪態をつきながらロープを越えて人だかりの中に消えて行った。
 中央に立っている上半身裸の男性は、周囲を見回して声を張る。
「さあ、お次は誰かいないかな。わたしに勝てば、10万ゼニー差し上げるよ!」
 10万ゼニー。とっても大金だ。
 周囲の者たちはざわついて、お前がやれだの、無理だだのと言っていて、前に出る者はいない。
「誰かいないのか! わたしと闘って参ったと言わせれば、10万ゼニーという大金が貰えるんだぜ!」
「カネがもらえるのか! 天下一武道会みてえなもんだな。よし」
「え、ちょっと悟空?」
「オラが闘う!」
 思い切り声を出して主張してから、悟空はロープを越えて背中に背負っている荷物を外し、に手渡す。
 手渡されたそれを両手で抱え、は息を吐いた。
「悟空、無茶しちゃだめだよ? 手加減ね。手加減」
「ああ、分かってるさ」
「ぼ、ボク、冗談きついよ。わたしと闘いたいのかい?」
 上裸の男は悟空に問う。
「うん、勝ったら10万ゼニーもらえるんだろ?」
「……ふぅ、分かった。オーケー。じゃあ対決しよう」
 本当なら、試合料として1万ゼニーもらうが、悟空は特別にタダにしてくれるらしい。
 悟空に負けるはずがないと思っているからだろうが。
「ありがとう! 手加減してあげるからね!」
 悟空が言うと、見物人たちは大笑いした。
 人を見た目で判断しちゃ駄目だよ、うん。
「じゃ、おっぱじめようかね」
「よし、いくよ!」
 悟空はニンマリ笑み、軽く手刀を彼の腹に入れた。
 軽いはずのそれは、ズン、とひどく鈍い音を立てた。
 男は膝をつき、前傾姿勢で暫く咳き込んでいたが、ゆっくり起き上がると口元を拭う。
「まいった」
 無邪気な悟空の問いに、男は引き攣り笑いを浮かべて虚勢を張る。
「は、はは……参ったわけないだろ? ボ、ボウヤ、ちょっとだけ拳法ならってたみたいだね」
「うん、修行したんだ!」
 ちょっとの修行どころではない。
 そりゃもう、普通なら死ぬんじゃないかと思うぐらいの修行をした。
「さあ、試合再開だ」
「じゃあまたいくよ!」
 構えを取る男のスキを狙って、悟空は左足を蹴り上げた。
 追う激は男の顎に思い切り入る。
 男は痛みの余りに顔面を抑え、悲痛な声を上げた。
 うーん、早いトコ止めた方がいいよと思うのだけれど。
 しかし男はムキになって悟空に攻撃を仕掛ける。
 大振りで右を揮って避けられ、左ひざを入れようとして避けられる。
 悟空は軽く飛び上がり(といっても、結構高い位置まで上がった)壁際にまで引いている男の、真横に蹴りをくれる。
 男の後ろにあった壁は、悟空の蹴りで大きく崩れてしまった。
 ……人の家の壁な気がするけど、だ、大丈夫かな?
 男はさすがに実力差が身に沁みたのか、小さく震えた声で「参りました」と告げながら10万ゼニーを悟空に渡す。
 悟空は片手に10万ゼニーを持ったまま、もう片方の手での腕を掴み、見物人の輪から離れた。

「オラ腹減ったぞ、なんか食いてえ。カネもあるしさ」
 先ほどのストリートファイトの場所から離れた歩道で、悟空はしきりに「腹が減った」を繰り返している。
「それじゃあええと……先になにか食べようか」
「ああ!」
 嬉しそうに笑う悟空。
 は嬉しそうな悟空に、なんだか顔が緩む。
「おい、そこの少年と少女! ちょっとこっちに来てごらん!」
「え?」
 背後から呼ばれて振り向くと、柄の悪そうな人間の男と、獣形の男が手招きしている。
「なんだ?」
 悟空は全く疑わず、を引いてそちらに歩いていく。
「ご、悟空だめだよ、悪い人だよたぶん……」
 路地裏にいて、咥えタバコでサングラスみたいなのを着けてる人、イコール悪い人、ではないと思うけれど。
 雰囲気というか、そういうものがなんとも。
 けれど悟空は気にせず、そちらに向かう。
 路地裏に入ると、男たちは意地の悪い笑みを浮かべた。
「なにかくれんのか?」
「もらうのはこっちの方だよ。さあ、そのカネ貰おうか」
 男の1人が、の手を掴んで悟空から引き剥がそうとする。
 力が強かったわけではないが、野卑な笑顔をすぐ顔の横で見せられ、はほんの微か、顔をしかめた。
「さっさと渡さねえと、このお嬢ちゃんが痛い目をみるぜ!」
 更に強く引かれ、ちょっとした声が出る。
 反撃などしたら、手加減できなくて彼らを傷つけてしまうかも知れない。
 思うと、手が出せなかった。
 だが悟空は険を寄せ、
「オラのになにすんだ!」
 を掴んでいた男に頭突きをかました。
 ナイフまで取り出していた獣形の男は、悟空の攻撃に吹き飛び、背中から壁に激突して失神した。
 それを目の当たりにしたもう1人の男は、丁寧に謝って逃げ出して行った。
、でえじょぶか!? 怪我してねえか?」
「だ、大丈夫だけど……。ちゃんと手加減したよね?」
「ああ。本気でやったら、この人死んじゃうもんな」
 そりゃそうだ。
 ……それにしても。
「悟空、あの……『オラの』って、恥ずかしいんだけど」
「なにがだ?」
「あの、だから……その」
「オラのって言っちゃだめなんか? オラはのだし、はオラのだろ?」
 けろりと言われ、うんともすんとも言えなくなる。
 恥ずかしくて顔が赤くなっているのか、なんだか熱い。
「い、いいから行こ。お腹減ってるんでしょ」
「そうだな!」
 悟空の手を引いて、はその場を離れた。


2010・9・29