誰かが、呼んでいる気がした。
 とても優しく、耳障りのいい――愛しい声。
 誰なんだろう。
 私は彼に、覚えがあるはずなのに。



異転流転 9



 ヤムチャから車を貰って約2日。
 特たるなにかがあるでもなく、一行は順調にフライパン山周辺へと到着した。
 の体調といえば、時折襲ってくる頭痛は相変わらずで、けれど熱はあれから出ていない。
 ただ――何か凄く大事な事を、ぼろりと落としてきてしまったみたいな気はしている。
 自分は、本当はもっと大人だった気がするのだけれど、でも、そんな事あるはずがない。
 子供は急に大人になったりしないし、その逆だってないのだから。

 周囲がやたらと暑い。
 ウーロン曰く、元々は涼景山という凌ぎ易い場所だったが、10年ほど前に天から火の精が落ちてきて、燃える山となり、気候すら変わってしまったのだと言う。
「見ろ、あの山だ」
「うわぁ……」
 の目の前に、火に包まれた山が現れた。
 凄まじい勢いで燃え盛る炎は、確かに凄まじい勢い。
 これでは周囲が暑いのも道理。
「な、なあやめようぜ。牛魔王もいるしよ」
「牛魔王さん、そんなに怖いの?」
 が問うと、ウーロンは激しく頷く。
 無茶苦茶恐ろしい奴で、悪魔の帝王と呼ばれる牛魔王。
 あの山に近づく者は、財宝を狙っているとみなされて、皆、屠られるという。
 は車から降りて、山の突端を見る。
 城が見えた。
 周囲は炎が猛々しく盛っているというのに、城だけは燃えず、そこに慄然と建っている。
 ブルマがドラゴンレーダーで確認すると、どうやらボールは位置的に見て城の中にあるようだ。
「なあ、牛魔王は城の中にいんのか?」
「いいや、山のふもとで城を守ってる。牛魔王が子供と出かけてる時に、山が燃え出しちまったんだ。火の勢いが凄くてよ、牛魔王も帰れないんだ」
「あんた、やたら詳しいわね」
 感心したように言うブルマに、ウーロンは学校の教科書に乗ってるんだと告げた。
 教科書に載るほど有名なんだね……。
 嫌がるウーロンを無理矢理車に乗せ、暑さの根源であるフライパン山に更に近づく。
 近づけば近づくほどに暑くなり、窓を閉めてはいられなくなった。
 車から降りて、改めてレーダーで確認。
 やはり城にドラゴンボールがあるらしい。
「孫くん、あそこからドラゴンボール取ってこれる?」
「行ってみねえと分かんねえけど」
 ちっと行ってみると、悟空は大声で筋斗雲を呼んだ。
 ウーロンがでかい声を出すなと慌てるが、とりあえず周囲にそんな凄く怖そうな人は見当たらない。
 悟空は雲を操り、上空から城に入ろうとするが――
「あちゃちゃちゃ!! あっちぃっ!!」
 どうやら無理の様子。
 『火の精が山を燃やしている』というのは、どうやら伊達ではないらしい。
「がー! 根性見せなさいよーーー!」
 ブルマが叫んだとほぼ同時。
 後ろにのそりと表れた気配が、いきなり巨斧を(トマホークみたいに)投げて寄こした。
 斧はブルマの横を通り過ぎ、壁に思い切りぶっ刺さる。
 はきょとんとし、背後を振り返った。
 わぁ、大きい。
「おめえたず。まさか、おらの宝盗みにきたんか、え? どんだ??」
「そそっ、そん、そん、そんな……わた、わたしたちは、ほ、ほんの通りすがりで……」
「はははは、はい、はい、はい……通りすがりで……」
 口が回らないなりに自己弁護をするブルマとウーロン。
 は首をかしげ、それから牛魔王の前に出た。
 止めろとか何とかいう後ろの2人をとりあえず流し、牛魔王に話しかける。
「初めまして。牛魔王さんですか?」
「あんだ、娘っ子」
「私はです。娘っ子じゃないです。私たち、お城のお宝はどうでもいいんです。ドラゴンボールっていうのが、お城にあるみたいだから、それが欲しいだけなの」
「おめさん、城の宝はどうでもいいってか」
 うん、と頷く。
 牛魔王は斧をぎらつかせてに顔を近づけた。
「おめさん、勇気のある娘っ子だべ。わしが怖くねえだか」
「うーん……あんまり」
「こらーーーっ!」
 悟空の声が上から降ってくる。
 彼は筋斗雲に乗ったまま、と牛魔王の間に割り込んできた。
を虐めるなっ!」
 別に虐められていたわけではないのだが、悟空が心配してくれた事に嬉しさを感じる。
 牛魔王は突然現れた少年に驚き――彼が乗っている雲を見て、2度驚いた。
「こ、小僧、それは筋斗雲でねえだべか!? だっ、誰に貰っただ!」
 悟空はを引っ張り上げて筋斗雲に乗せてから、牛魔王の質問に答えた。
「亀仙人のじっちゃんに貰った。それよりおめえ誰だ」
 がちょいちょいと彼の服を引き、牛魔王だと教える。
 強そうだなあ、なんて軽く言っている悟空に、牛魔王は激しく驚いた。
「かっ、亀仙人!? 武天老師さまだ!! おめえ、武天老師さまの住んでるとご知ってるだか!」
 住んでいる場所は、厳密には知らないけれど、亀仙人と会った海岸の、ずっと沖の方だという事は分かる。
 が「大体なら」と返事をすると、牛魔王は腕を振り上げて喜んだ。
 なにがなにやら分からないのだが、とてもいい発見をしたみたいだ。
 城に帰れると喜んでいた牛魔王が、ふと悟空の背中を見る。
「おめえ、この棒は如意棒じゃねえべか?」
「おっちゃん色々詳しいんだな。そうだよ、オラのじいちゃんに貰ったんだ」
「おめえのじいちゃんって、孫悟飯か……?」
 うんと頷く悟空。
 孫悟飯。悟空のおじいちゃんの名前。
 ふいに違和感を感じて、は首を傾げる。
 悟飯の名は、それ以外にも自分にとって、何かとても重要だった気がして。
 考えても考えても、思い出せない。
 考えすぎでか、ちくちく頭が痛み出して。
、でえじょぶか?」
 悟空に心配され、頷いてそれ以上考える事を止めた。
 牛魔王は、武天老師の一番弟子が孫悟飯、二番弟子が自分だと嬉しそうに話す。
 あのお爺ちゃんがそんなに強いとは、には思えないのだけれど。
「だば、おめえにちくと頼みがあるだよ。実はよ、武天老師さまの持っとる芭蕉扇を借りてきて貰いてえ」
「いいよ、そんかわし、ドラゴンボールくれる?」
「そっちの娘っ子が言っとったが……なんだべ、それは」
 悟空がごそごそと腰に付けた袋の中から、四星球を出して牛魔王に見せる。
 牛魔王はそれを見た事があり、芭蕉扇を取ってきてくれたら、ドラゴンボールをくれてやると約束した。
「よーし、じゃあオラ早速行ってくる! も行こうなっ」
「う、うん」
「あ、ちょっくら待った!」
 飛び立とうとした2人を、牛魔王が止める。
 昨日、亀仙人を探しに、一人娘のチチを出かかけさせたので、その子を拾って行って欲しいと言われた。
 写真を見せてもらうと、かなり可愛い女の子で。
「気は小せえが、めんこい娘だど! おめになら、ヨメにしてやってもいいな!」

 ずきん。胸だか頭だかに痛みが走った。

 悟空は体を震わせたに気付き、首を捻る。
「どした?」
「んん、なんでもないよ。へーきへーき」
「……そっか?」
 とにかく、そのチチという女の子を連れて、亀仙人の所へ向かう事となった。
 ブルマとウーロンはその場で居残りだ。

 筋斗雲を飛ばす悟空の後ろにちょこんと座り、はチチという女の子を捜して下を見ていた。
 子供の足だから、そう遠くへはいけていないはずなので、見過ごさないようにしないといけない。
、あんま乗り出して落っこちんなよ?」
 こくりと頷く。
 頭の痛みは治まったのに、胸の痛みがどうしてかまだ少し残っている。
 首を捻り、でも深く気にしない事にした。
「……あっ、悟空、あの子じゃない?」
「そうみてえだな。おーい!」
 筋斗雲を滑降させ、少女の側に寄る。
 驚いている少女にが声をかけた。
「あなたが、チチさん?」
「そ、そんだけど。おめさんたち、なにもんだ? きょ、今日はよぐ名前を呼ばれる日だなや……」
「おめえ、牛魔王のおっちゃんの子供だろ?」
「んだ。おめさん、おっとうの事、知ってるだか」
 牛魔王に芭蕉扇を亀仙人の所へ借りに行くよう言われた事を話した。
 その途中でチチを連れて行くようにも言われている事も。
 それで彼女は納得しれくれた。
「ほれ、オラの筋斗雲で連れてってやるから乗れよ」
「そ、そったら綿アメみだいな奴に乗れるだか」
「心がキレイだったら、乗れるんだとさ」
 自分は水洗便所のように綺麗な心をしているから、大丈夫だとチチは微笑む。
 がちょっとばかし横に避け、彼女が乗るスペースを空けて、手を伸ばしてチチを引っ張り上げようとした。
「す、すまねえだな。んしょ……」
 チチは右手での手を掴み、左手で悟空の尻尾を掴む。
 途端に彼はへなへなと力を失い――筋斗雲から落っこちてしまった。
「ご、悟空!? どうしたのっ??」
 後頭部を打って、後ろ頭をさすって起き上がる悟空。
 心配そうなの顔を見て、彼はにっかり笑った。
「でえじょぶだ。オラ、尻尾をギュッと握られっと、力がなくなっちまうんだ」
「そうだったんだ……」
 知らなかった。

 悟空の後ろで立ち乗りしているとチチ。
 チチは初飛行に目を瞑り、悟空にしがみ付いている。
 はというと、悟空の如意棒の端っこに掴まっているような感じだった。
「そういえば、おめさんたち、名前はなんていうだ? この男っこは『悟空』だろ?」
 目をつぶりながらも会話するチチ。
「そう、悟空だよ。私は
さんけ。よろすく」
「うん」
 ふいに、悟空が動いた。
 どうしたのかと問う間もなく、彼は足を使い――チチにパンパンした。
 は目を瞬き、チチは一瞬止まった。
「ぎえええーーーーっ!! おめえなにするだーーーっ!!」
 大声をあげ、チチは悟空を突き飛ばす。
「うわぁっ!」
「ひゃんっ!!」
 飛行中の筋斗雲から悟空が落ち、彼の如意棒を掴んでいたも一緒になって落ちる。
 チチは、操縦者のいなくなった筋斗雲を操れず、正面の大岩に突っ込んだ。
「あ、あだだっ……いってえ……。っ!! っ、でえじょぶか!?」
 後頭部を強かに打ちつけた悟空は後頭部をさすりながら起き上がり、少し離れた所に座り込んでいるに駆け寄った。
 結構なスピードで飛んでいた筋斗雲から落ちただけあって、痛い。
 腕と膝の皮が擦り剥けて、少々血が出ている。
 もっとも、その程度ですんだのは幸いだけれども。
「あーッ! 血ぃ出てるじゃねえかっ」
「だいじょぶだよ……このぐらい」
 確かにちょっと痛いけども。
 は、それよりチチはどうしただろうと視線を先に向けようとして――膝に生暖かい感触がし、びっくりしてそこを見ると。
「ごごっ、ご、悟空!? なに、して」
 彼は先ほどもしたように、再度ペロンとの傷ついた膝を舐める。
 そうしてから慌てる彼女の手を取り、腕にある傷をも舐めた。
 幾度か舐めると、彼はニカッと笑ってを見やる。
「知らねえんか、。怪我は舐めて治すんだぞ」
「み、皆にそうしてるの?」
「いんや。自分以外にしたんは、初めてだ。は大事だから、オラ治してやろうと思って」
 ……大事の意味が分からない。
 嬉しいような、切ないような。
 でも、悟空が自分を大事に思ってくれるのは分かって、は微笑みかけた。
 だが、
「……でも、パンパンしたりしちゃだめでしょ!!」
 釘を刺す事は忘れなかった。



2007・9・4