ざわざわと――けれど人の騒音よりもずっと優しい音が耳に入ってくる。 これは夢だ。 空気の流れも、触れる手の感触も、現実味がありすぎるが、けれど夢とは見ている間はひどく現実感があるものだし。 自分を誤魔化しながら、は目の前の風景を見た。 木々が立ち並ぶその中、少し開けた場所に中華風の小さな建物がある。 誰に誘われるでもなくその家に近づき、外観を眺め、 「……悟空の、家?」 思わず呟いた。 そう、それは確かに結婚した時に見た、パオズ山の中にある悟空の家であった。 異転流転 1 白い壁に緑青色の屋根。中華風の窓。 どこからどう見ても、悟空が幼少期に過ごしたという家だ。 一体どうなっているのか分からないが、立ち止まっていても仕方がない。 夢なら夢でそのうち覚めるだろうし、とりあえず家に帰ろうと舞空術を使う事にする。 「――あ、あれ?」 いつもの通りに気を高め、舞空術を使おうとして――失敗した。 足は地にピッタリとくっついたままで、何ら変化がない。 もう一度、と気を高めようとして、気付く。 気の力が定まらない上に、自身の中にある気が非常に弱い。 舞空術は気のコントロールができれば、大して難しくない技ではあるものの、気が足りていない今の状態では、とてもではないが自分の身体を浮かすほどの気を発現できない。 更に気づいた事がある。 ――妙に視界が低い。 恐る恐る自分の手足を見やれば―― 「……どうなってるの」 大人と呼べない体がそこにあった。 地面からの距離から察するに、十代前半程度の体躯だ。 夢だ、確実に。 夢でなければならないに決まっている。 頭を抱えたくなったが、抱えていても事態は一向に進展しない。 ぼうっと突っ立っていても仕方がないよねと独白し、とりあえずは悟空の家に――と、そう思って扉を見た。 蝶番の軋む音がし、扉が勝手に開く。 否、勝手に開いたのではなく、開いた人物がいたのだった。 扉を開けた少年の姿を、は凝視する。 凝視せざるを得なかった。 特徴的な髪、もっと特徴的なのは尻尾。 紫色の衣装に身を包み、背にはまごう事なき如意棒が。 「……夢だ、完全に完璧にこれ以上ないほど夢に決まってる」 混乱していて喋る内容もあるんだかないんだか。 家から出てきた少年は、の姿を認めて眉根を寄せ、如意棒を片手に備えると警戒心たっぷりの様子で、それでも近づいてくる。 まで数歩のところで止まる。 如意棒を向けられている理由が分からないが、は彼に声をかけた。 「……悟空?」 彼は目を丸くし、次いですぐに睨みつける。 「おめえ、誰だッ! 何でオラの名前知ってんだ!」 誰、って。 何で、って。 夫たる人物から言われたひと言に、衝撃を隠せない。 へなへなとその場にへたり込む。 最初こそ油断なく如意棒の先を向けていた悟空だったが、が余りに無防備で敵意がなかったからか、それとも瞳が潤んでいたからか、武器を下ろして不思議そうにする。 「悟空……孫悟空だよね?」 「ああ、オラ孫悟空だ。けど、おめえに会った事ねえよなあ……じっちゃん以外の人間に会うのも初めてだしよお」 じっちゃん――孫悟飯の事だろう。 夢なら早く覚めてくれと思う一方、これは間違いなく夢ではないと思いもする。 原因ならば1つしかない。 ――また私、何かやらかしちゃった? 以前も自分の持つ異端な力の関係で、別の世界――別次元――に迷い込んでしまった事がある。 それと同種だと考えれば、目の前にいる小さな姿の悟空に納得がいく気がした。 今度はどの次元だろうと考えながら立ち上がる。 悟空は、もう如意棒を取り出すような事はせず、ただの動向を見ていた。 は立ち上がって服についた埃を叩き、彼に微笑みかける。 「私は。……こ、この近くに迷い込んで……その、だから……敵じゃないよ?」 迷い込んだのは事実であるし、他にどう言っていいのか分からないためだが、聞く人が聞けば微妙な発言だ。 怪しい人物には違いない。 「何でオラの名前知ってんだ」 夫だからです。――だめだめ、アウト。 瞬時に思考を巡らし、 「お、おじいさん……孫悟飯さんの、知り合い、だったから」 でっち上げる。 どこでどう知り合ったんだとか突っ込まれると非常に苦しかったのだが、そこは悟空。 「ふぅん、まあいっか」 軽いひと言で納得された。 それでいいのかと突っ込みを入れたくなるが、出会った当時の彼からしてこうだった覚えがあるから、今更驚いたりはしない。 あー、尻尾が……。 視界の端でちろちろ動いている尾っぽが、妙に可愛い。 悟飯――自分の息子の方――も、凄く小さい頃はああだったが。 じっと尻尾を見つめていると、 「おめえは尻尾ねえんだなあ。なんか弱そうだしよ」 「普通尻尾はないんだけど。悟空はサ――……なんでもない。私、鍛えてないから、弱いと思うよ」 サイヤ人なんて言っちゃまずい。 この次元には、この次元の歴史がある。 全てが自分のいた場所と同じ訳ではないと知っているは、言葉を差し控えた。 自分と同じ路を辿っている次元であれば、今こうして自分がいる事が既におかしいわけで。 「オラが鍛えてやろうか?」 「え、いや……もう帰らないといけないから」 舞空術が使えずとも、異能力は――。 空間転移をしようとしただったが、いくら力を顕現させようとしても出てこない。 子供の頃でも、空間転移は使えていたはずなのだが、何かに阻まれているかのように力は形を潜めている。 ――帰れない。 「どうしよう……」 困惑するを見やる悟空。 彼はすぐさま声をかけた。 「なあ、行くトコねえなら、オラんちいりゃあいいじゃねえか」 「――でも」 「来いよ。じいちゃんに会わせてやる」 言い、を引っ張って行く。 どうなっているのか分からないが、とにかく暫くは様子を見るべきか――。 そう考え、は悟空に引っ張られながら歩く。 ――私がここにこうやって、子供でいるってことは……本来私がいる次元の悟空は、どうしてるんだろう? 探してくれているのだろうか。 ……けれど、どうやって? 中篇…の予定で始めてみました。お付き合いくだされば幸い。 2007・5・15 ブラウザback |