注意:このシリーズの話は、悟チチ好きさんには物凄くお勧めしません。
チチさんが痛いです。ちょっとドロっとしたのが苦手な方はすぐさま戻りましょう。
見てから文句言われてもどうしようもありませんので…よろしくお願い致します。




多重次元 9


 頭を冷やしてくると言って出た悟空は、そのまま夜まであちこちを飛び回り、それから孫悟飯の家へと向かった。
 既に時刻は深夜に近い。
 その月夜の中、家の近くにある大樹の下にがいた。
 また『時空転移マシン』をいじくっていて眠ってしまったのか、樹に寄りかかって瞳を閉じている。
 もうひとりの自分は既に眠っているらしく、家の中の気配は動かない。
 彼女かもうひとりの自分を起こすか考え、結局、そろりと彼女の隣に寄り、腰を下ろした。

 ――なぜだろう。

 いくら考えても分からない。
 の隣に座り、なにを口にするでもなく、ただ静かに世界を感じている。
 それだけのこと。
 なのに、隣に彼女がいるというだけで、こんなにも温かくて、幸せで、落ち着いた心地になる。
 彼女のなにがそうさせるのか、分からない。
 どこも触れ合ってなどいないのに、チチのように抱きついてきたりもしないのに。
 それなのに、なによりも、誰よりも傍に在り、体を触れ合わせている気がする。
 絹糸のような黒髪。
 息をするたび、上下する胸。
 桃色の口唇。
 女性というものに惹きつけられることなど、なかった。
 けれど。
「……ん……」
 ゆるりと瞳が動き、が目を開いた。
 彼女はもう一人の悟空の姿を認めると、あれ、と首を傾げる。
 まだ寝起きで目がぼやけているのか、コシコシと目をこすった。
「う……ん? あれ……悟空さん?」
 自らの夫を『悟空』と呼び、そうでない方を『さん付け』で呼ぶ彼女。
 寝ぼけていても、どんな状況でも、彼女は自分ともう一人を間違えない。
 悟空は彼女に笑いかける。
「よう。こんなトコで寝ちゃ駄目だろ?」
「機械弄くってて、疲れて眠っちゃったんだね……またやってしまった」
 あははと軽く笑い、頭を掻く
 目を下に向ければ、彼女の傍に『時空転移マシン』がある。
 何がどうなっているのか分からないが、悟空にはそれが淡い燐光を発しているように見えた。
「もう、コレ出来上がったんか」
「まだだよ。もう後は転移エネルギーを溜め込むだけなんだけど……容量が結構多くて。いっぱいになるのにまだ少し時間がかかるかな」
 そっか、と頷きながら、まだ少し時間がかかるという言葉に、ホッとしている自分を意識した。
 は、口を噤んでしまった悟空を不思議に思ったのか、首を傾げる。
「どうかした? ――って、今何時なの? 結構遅いんじゃ」
「んー、もう深夜っちゅーヤツだな」
「ちょっとちょっと。悟空さん駄目だよ、家に帰らないと」
 チチさんが心配するよと付け加える彼女に、悟空は俯いた。
 彼女の口から自分の妻の名が紡ぎ出される、ただそれだけのことが、彼女と己の間柄を――変えようのない事実を――示していて、ひどく息苦しい。
 胸になにかが詰まっているみたいに。
「悟空さん?」
 心配そうに聞く
 悟空は動かない。
 心に正体不明の感情があり、それが自分を騒がせる。
「……ね、ねえ、どうかした? 気分でも悪い?」
 それに答えず、悟空は別の言葉を口にしていた。
 多分、彼自身、そうと意識していない――無意識に出てしまった言葉。

「なんで……なんでオラのとこには、来てくんなかったんだ……」

 顔を上げた悟空の目に、が眉を潜めている様子が映る。
 唐突に言われた台詞が、理解できないという感じだ。
「悟空、さん?」
 戸惑い気味に名を呼ばれる。
 ――留め金が弾け飛んだとしか思えない。
 悟空は自らの心を隠すことも、濁すことも、ましてや誤魔化すことすらせず、ただ溢れ出る言葉を彼女に伝えた。
「なんでだよ……なんで……」
「……悟空さん……」
「オラもおめえと出逢いたかった。おめえと修行したかったし、おめえと――」
 言葉が詰まる。
 彼女の夫と同じ顔。同じ声。
 でも、自分にとの出逢いはなく、また、にも自分との出逢いはなかった。
 は、今にも泣き出しそうにすら見える悟空の頬に触れようとし――手を止める。
 おそらくは直感が、触れることを止めさせた。
 漠然と、触れてしまったらいけない気がしていたのかも知れない。
 悟空は小さな、でもしっかりとした声で言葉を発す。
 熱い。
 苦しい。
 ――愛しい。
「おめえのこと、見たり考えたりしてると、胸が苦しくなる。頭ン中ぐちゃぐちゃになる。――とまんねえんだよぉ……ッ!」
 声を震わせる悟空。
 止められぬ、想いの奔流。
 それをぶつける方も、ぶつけられる方も――とても痛い。
 ざわ、と風がの髪を撫ぜた。
 悟空の体の中の熱は、一向に治まらない。
 はを視線を上げ下げしていたかと思うと、深く息を吸ってから言葉を吐く。
 彼女もまた混乱していた。
 急いて喋れば、なにか危うげな発言をしてしまいそうだと、自覚していた。
「でも、悟空さんはチチさんが好きでしょ? 悲しませたくないよね?」
「……おめえ、ずりぃよ」
 悟空は俯き、の手を握る。
 自分の手がかすかに震えている理由は、分からない。
 触れた部分から、優しい体温が流れ込んできて、胸を満たす。
「……オラ、チチのこと、好きだ。ケッコンがよくわかんねえまま一緒に暮らし始めて……でも」
「ま――」
 待って、と言おうとしていたのは分かった。
 だが、それを言わせまいと、悟空は口を開いていた。
 自分の気持ちを、彼女に放つために。
「でも、おめえに感じてる気持ちはもっともっとつええんだ。どっかへ攫っていきてえぐれえに!」
「――っ」
 の目が、大きく見開かれる。
 悟空は視線を逸らさず、彼女の黒い瞳を見つめ続けた。
 掴んでいた手を引っ張り、強く抱きしめる。
 震えながら抱きしめていると、はあやすように背中を叩いてきた。
 ほんの少し、震えの混じった声が耳に入る。
「悟空さん。――違うよ。私は、貴方の妻じゃない」
「分かってる」
「私の夫と、あなたはそっくりだから、隣に私が立ってて、なんか、その、え、影響されちゃったんだよ。変な錯覚しちゃったんだよ」
 悟空はの肩を掴んで体を離し、瞳を見る。
 瞳から感情を汲み取るなんてこと、できない。
 だが今回だけは、分かった気がした。
 ――彼女は、困惑している。
 恐れている。
 理由にまで頭が回らないけれど。
「錯覚なんかじゃねえ」
 きっぱり言い放つ。
「もう一人のオラがおめえの隣にいるからって、こんな気分になったんじゃねえ。オラは――ッ」
 理解して欲しくて。
 自分の気持ちを認めて欲しくて。
 悟空は彼女の首を固定し、その口唇に自分のそれを重ねた。

 一瞬、世界が無音になった気がした。
 動かず、動けず。
 ただ口唇に感じる感触に、全神経を集中させていた。
 長く続くと思われたそれは、唐突に失われる。

「――っだめ!!」
 どん、と胸を押され、口唇が離れた。
 悟空は再度口付けようとは思わず、彼女を見つめる。
 潤んだ瞳は嫌悪のためだろうか、それとも――。
「……悪ぃ。でもオラは」
「もう、言わないで」
 首を振り、彼女の耳元で囁く。

「おめえが、好きだ」





2013・2・3