注意:このシリーズの話は、悟チチ好きさんには物凄くお勧めしません。
チチさんが痛いです。ちょっとドロっとしたのが苦手な方はすぐさま戻りましょう。
見てから文句言われてもどうしようもありませんので…よろしくお願い致します。


多重次元 8





「チチ!」
 勢いよく帰って来た父の夫である悟空は、妻の姿を見やると眉を潜めた。
 昼食が終わって今はゆとりのある時間らしく、ひとりで静かにお茶を飲んでいる。
 今しがた、ともうひとりの自分を――言葉は悪いが、追い出した――とも思えないような姿である。
 チチは戻ってきた悟空に笑顔を向け、側によると腕を組んだ。
「お帰り悟空さ。今日は早いだな! 久しぶりに、2人でどっか出かけるべか」
 暫くぶりといえば暫くぶりの、夫婦2人だけの空間に、彼女は喜んでいた。
 ――喜んでいるように、彼には見えた。
 事実彼女は部外者がいなくなったことに喜んでいたし、それを押し隠すつもりもないようだった。
 分からない。
 分からないけれど、それがひどく気に触る。
 彼女は悟空の内心になど全く気づかず、ましてや眉を潜めていることなど
 意に介していないか、または全く気付いていないのか――とにかくなんの反応も見せず、ただ悟空に触れ、楽しげに話をする。
「なあ悟空さ。聞いてるだか?」
「……」
「折角久しぶりに2人きりさなっただから――」
 悟空は黙したまま、不快げな表情で床を見つめる。
 今まで、彼女をこんなに苛立たしく思ったことなどない。
 それどころか、他の誰に対しても、だ。
 非道な敵でない限り、悟空は不快感や怒りを露わにしたことなどなかった。
 では、何故、結婚した妻に――こんなに不快になるのか。
 チチが嫌いなわけではない。
 彼女が、助けを必要としている者に対してした仕打ちが不快なのだが、悟空はそれと理解できなかった。
 自分が感じているのは、ただ不快であるということ。
 自分の妻が――どんな理由にせよ――助力を必要とした者を、一度は引き入れたにも関わらず、中途半端に放り出したということ。
 それが酷くカンに触る。
 悟空はチチの腕を外すと、少々乱暴に棚からグラスを取り出して水を飲んだ。
 冷えた水が咽喉を潤し、頭に上った熱が下がった気がする。
 ――多少は、だが。
 チチは悟空に近寄らず、不満気な声色で言う。
「悟空さ。悟空さは、おらの夫だぞ」
「……そんなこと、分かってるさ」
「じゃあ、ちゃんとおらの方見てけろ」
 言われ、すっと瞳をチチに向ける。
 クリリンやウーロンに可愛いと言わしめた面が、今は怒りに満ちていた。
「悟空さの機嫌が悪くなってるのは、あのっちゅーオナゴを、勝手に追い出したからだべ!」
 悟空は答えない。
 チチは更に声高になる。
「おらより、あの女の方がいいっていうだか!? あんな女のどこがいいだ!!」
「なぁチチ。おめえさあ、一度でもオラともうひとりのオラの見分け、ついたか?」
 怒鳴るチチに、ひどく静かな――いつも通りの声で悟空が言う。
 それに気圧されたか、頭が冷えたか、チチは一拍置いた。
「な、なに言ってるだ?」
 疑問符を浮かべる彼女に、もう一度同じことを問う。
「オラと、もうひとりのオラの見分けは、ついたか?」
「……ご、悟空さが2人いるだぞ? 見分けつくわけねえべ……」
 言い放つ。
 そっくり同じ顔で、体で。
 だから見分けがつくはずがないと。
 ――でも。
 悟空は静かに告げた。
 それが、彼女を怒らせることになると知っていても。
「――でも、は……オラたちの見分けがついたんだ」
 この三週間の間、幾度となく――遊びでだが――試してみた。
 気配をそっくり同じにしてみたり、に完全に見た目だけで判断させてみたり。
 なのに、一度たりとて間違えなかった。
 いつもいつも即答していた。
 疑いもせず、自分の夫の方を示す。
 逆にチチは、全く自分ともうひとりの区別がつかなかった。
 それを指摘すれば、一瞬にしてチチの体が怒りで震えるのが分かった。
「だ、だから――なんだっていうだよ。そんなの、どうだって――」
「わかんねえ。わかんねえけど。オラは……」

 ――ひどく、なにかを、間違えた気がする。

 言葉に出せば、それが決定打になりそうで。
 悟空は口をつぐんだ。
 それは同時に、強烈な違和感となってチチをも包み込んだ。
「……おらにも分からねえだ。分からねえけんど」
 チチも同様に、なにかが違っていると感じる部分はあるのだろう。
 言いつぐみ、悟空の側によると彼を抱きしめる。
「チチ……」
「悟空さ、抱いてけろ」
「……」
 絶句する悟空。
 介さず、矢次に言葉を放つチチ。
「悟空さはおらをちゃんと愛してくれたことがねえだ! だからあんな女にふらつくだよ!!」
 口唇を触れさせようと背伸びする彼女を、悟空は思わず避けてしまった。
 抱きついてくる彼女を、強引に引き剥がす。
 ――沈黙が、2人の間に横たわった。

「……チチ。オラ、少し頭を冷やしてくる。だからおめえも、頭冷やせ」

 言い、悟空は滑るように家を出た。


 チチは出て行った悟空の背中を見ることすらせず、ただ呆然とテーブルに手を付き、そのままゆっくりと椅子に座った。
 自分は子供の頃にやって来た悟空を好きになって、それからずっと彼を思い続けて結婚した。
 想いが叶ったと言っていいはずだった。
 それなのに、もうひとりの悟空と一緒にやって来たの姿を見た時、自分の夫に強烈な違和感を感じた。
 と会ってからの夫は、どこかが一瞬で変わってしまったみたいで。
 それと同時に感じる、己が寄り添うべきは、この人物ではないのではという、漠然とした不安と、奇妙な確信。
 どこからその考えが浮かんだのか分からないし、結婚した経緯から考えても、夫以外の人物と結婚するような考えは、まるで持っていなかったはずなのに。
 先ほどは、一方的に悟空のせいのように言ったが、実際のところ自分にも問題がある。
 結婚した頃から、知らない誰かの夢を頻繁に見るようになった。
 寄り添っているのは夫である悟空ではなく、その<誰か>で。
 もうひとりの悟空とを、半ば強引に追い出したのにもその辺に理由がある。
 を見ていると、その<誰か>を強く感じてしまう。
 当然のように理由は分からないが。
 想い続けてきた夫の悟空よりも、気になってしまう、<誰か>の存在。

 チチは深くため息をつき、瞳を閉じた。
 自分と悟空は、なにか――とんでもない間違いをしているのではないかという気がして。



2012・12・31
ちぃと大人表記で申し訳なく。2012年最後の更新です。ありがとうございました。