馬鹿だと思ってたけど、これは本格的に馬鹿だわ。
 


落明愁夢 18



 帰ってきた悟空との話を聞いたブルマは、怒らなかった。
 怒る勢いもなかった。
 ただただ呆れ、力なくソファに背を預ける。
 向かいに座っている悟空は、これがピッコロ大魔王を倒した男かと訝りたくなるほど、縮こまっている気がした。
「なあブルマ、、すぐ戻ってくるよな……?」
 ひどく不安そうな表情の悟空に、ブルマは深い溜息を落とす。
 そんな、今にも泣き出しそうな顔をするのなら、最初からもう少し――。
「ま、文句を言ってもしょうがないわね」
 指で額を掻き、ブルマはまたひとつ溜息を落とした。
 自然と渋い顔になる。
 は父親の元へ行ったと、が言っていた。
 しかも前後の状況から考えて、すぐに戻ってくるとも考えられない。
 戻らない理由は、体の件であるかも知れないし、悟空がチチと契りを交わしたと思っている件でかも知れない。
「すぐ戻るとは思えないわね。たとえそうしたとして、孫くんの側に現れるでもないだろうし」
 ブルマは一旦言葉を止め、悟空を見やる。
「孫くんさ、自分の態度を顧みた方がいいわ」
「……?」
「性格だってのは分かってるけどね。誰にでも優しいって、今の状況では不味いわよ。が誤解するようなこと、したみたいだし?」
 悟空は首を傾げる。
 思い当たることがないらしい。
 それだけ、当人にとっては普通の行動だったのだろう。
「例えば、倒れそうになったチチさんを、過剰なまでに守った――とか」
 彼は眉をひそめ、何かを思い出している。
 そうして唐突に手を叩いた。
「ああ! いっぺんあったなあ、牛魔王のおっちゃんの城から出ようとする時に、チチのこと支えた」
「それが切欠だったのか、踏ん切りだったのか分からないけどさ……、色々ショックだったと思うわよ」
 押し黙る悟空。
 ブルマはがりがり後頭部を掻いた。
 この状況では、どうにかしてやりたくても、何ら手がないのだ。
 の父親がどこにいるか、知らないのだから。



 久しぶり――と言うほどでもないかも知れない再開を果たしたと、彼の兄の克也は、同じ部屋にいるが会話がなかった。
 克也は窓際の椅子に、はベッドに座っている。
 何をするでもなく、ただ2人、静かにその場にいるだけだ。
「……兄貴」
「なんだよ」
「これ上げる」
 はポケットの中から小瓶を取り出すと、それを軽く投げた。
 克也は慌ててそれを受け取り、中身を見やる。
 不思議な色合いの粉が入っている。
「……何だよ、これ」
「惚れ薬だってさ」
「は!?」
 目を瞬き、挙動不審な動きをする克也。
「効くか知らないけど。今度に使ってみたらー?」
 それで少しは孫悟空も痛い目を見るといい、なんて、ちょっと意地悪い思考ではあるけれど。
 実際、効かないと思っているからこその言葉だ。
 惚れ薬なんぞで人の気持ちを動かせるなどと、はこれっぽっちも思っていない。
 克也はひどく顔を歪めてそれをゴミ箱に捨てようとし――結局胸ポケットにしまった。
「なに、使うの?」
「…………保留」


 はゆるりと目を開いた。
 周囲を見回し、ここがどこかを思い出す。
「あっ……つぅ……体がギシギシいう」
 ベッドの端に腰かけ、片手で肩や腕を揉む。
 水でも飲もうと立ち上がりかけ、
「こりゃっ! まだ寝ておらんかっ!」
 怒られた。
 界王はを座らせると、水の入ったコップを彼女に渡す。
「ほれ飲め」
「ん……ごめんなさい。私、どれぐらい寝てた?」
「丸1日とちょっとじゃな。体はどうじゃ」
「熱は……下がったのかな、大丈夫っぽい。体がちょっと軋むけど」
 高熱を出した状態だったせいもあり、異能力の負荷を受けすぎたせいもある。
 元々疲労で熱が出ていたのに、それを圧して力を使ったせいもあった。
 とにかく、には休養が必要だった。
 精神的にも、肉体的にも。
「お前、これからどうする」
「…………どうしよう、かなあ」
 ブルマの家に戻っても、悟空はいなかろう。
 ここで父親とずっと暮らしていくのでもいいけれど、世話になった人たちに何も言わず、ここに住み始めることはできない。
 は息をつき、父親の手を借りて立ち上がった。
「あのね、とりあえずブルマにお礼言わないと。や克兄ちゃんたちも、向こうへ帰さなくちゃいけないし。だから、戻るね」
「お前、大丈夫か?」
「うん、平気だよ」
 とても大丈夫そうには思えない界王だったが、それでも娘の瞳には勝てない。
 ひゅぅ、と息を吹き、界王は腰に手をやった。
「わしは、お前と孫悟空のぜんぶを知らん。じゃが、一面を見て総てを決めるでないぞ」
「父さん?」
「悲しみに曇った目では、見通せぬことが多い。忘れるなよ」
 父親が何を言いたいのか、には分からなかった。
 地に足をしっかり付け、瞳を閉じる。
 ――私は目を曇らせてるのかな。
 分からない。
 小さく息を吐き、は目を開けた。
「よく分からないけど、頑張る」
「……全くお主は、自分のことにはとんと無頓着じゃのう。まあよい、来たくなったらいつでも来い。泣きたくなってもじゃ。1人で泣くなよ、分かったな。お父さん悲しいからな」
「あはは、ありがと。それじゃあ行ってきます!」
 は意識を集中し、位置補正をしてブルマの家へ飛んだ。



「う、うわあっ!」
「ひゃぁっ!」
 お尻と背中に衝撃を受け、は顔をしかめた。
 牛魔王の城で異能力を過剰使用したためなのか、位置補正が上手くいかなかったみたいだ。
 周囲を見回すと、どうやらブルマ宅にある自室のよう。
「……おーい、どいてくれないか」
「え、なに……うわっ! ごめん克兄ちゃん!!」
 尻の下に克也を敷いていたは、慌てて飛び退く。
 克也は茶色い髪に手を入れ、がしがし掻いた。
「さすがに効いた、今のは。お帰り
「ただいま、克兄ちゃん。ところで、ここで何してたの?」
「え、ああいや……が帰ってきてないかなあって、思ってさ。女の子の部屋に勝手に入るなんて、マナー違反だったよな、ごめん」
 申し訳なさそうな克也に、は首を振る。
 別に構わない、と。
 まだ少々くらつく体を持て余し、ベッドに腰かける。
「……具合、悪いのか?」
「まだ少しね。ところでは」
「ブルマさんと、孫悟空と一緒にいるよ」
 ――今、なんて。
 の表情がそれと分かるほど、はっきり強張る。
 克也はそれを見て眉をひそめた。
「孫悟空が、気になるのか?」
「っていうより、どうして悟空がここに。チチさんのところにいるんじゃ」
「それは――」
 答えようとした口が、途中で閉じる。
 何かを思い悩むように視線を彷徨わせ、けれど克也は何も口にはしなかった。
 克也が悟空がここにいるなんて嘘をつく理由がないから、本当なのだろうけれど。
 目的であるブルマとが悟空と一緒にいるのでは、こちらから出向いていけないではないか。
 悟空に会いたいけど、会いたくない。
 相反する気持ちが身体を揺さぶる。
「……?」
 不安そうに声をかける克也。
 は力なく首を振る。
「なんでもないよ、大丈夫」
「……そ、そうだ。俺、飲み物持ってくるよ。顔色悪いし、少し寝てろよ、な?」
 言うが早いか、彼は部屋から出て行った。
 残されたはベッドに座ったままでいたが、体が気だるくて仕方ない。
 ちょっとだけのつもりで、横になった。
「眠いんじゃないんだよー。ただちょっと、体が重いだけー」
 誰が聞いているでもないのに、言い訳みたいに言う。
 ころころ寝転がっていると、ドアをノックする音が耳に入った。
 ――悟空じゃないよね?
 一瞬息を飲む。
 入って来たのは、炭酸飲料の入ったグラスを持った克也だった。
「どうぞ」
「ありがと……」
 克也からグラスを受け取り、ひとくち、ふたくちと飲む。
 冷たい液体が咽喉を通る。
 父親の所では主に水やお茶だったから、妙に甘く感じた。
 克也は微笑み、の頭をよしよしと撫でた。
「少し休め。は後で連れてきてやるから」
「戻ってきたばっかりでなんだけど、そうする。跳んだだけなのに、疲れちゃったのかなあ」
 カリカリ後頭部を掻き、は改めて布団に入りなおす。
 幾分、自分が情けない存在に思えた。
「お休み。起きたら何か食べにでも行こう」
 答えの代わりに、微笑んだ。


 外に出た克也は、胸ポケットに入っていた小瓶を取り出し、深々と溜息をついた。
 中に入っていた粉は、から受け取ったその時よりも減っている。
 効くか効かないか分からない、所謂怪しげな『惚れ薬』を、克也は使った。
 悩みながらも誘惑に絡め取られ、使ってしまった。
 効かなければいい。でも、効いても欲しい。
「――俺、最低だな」
 自嘲的な笑みを浮かべ、克也は廊下を行く。







後2話で終了…予定。
2006・7・18