落明愁夢 13



 に起こされ、朝食を済ませたは、今日の仕事に取り掛かろうとして牛魔王殿の外に出た。
 今日は、村人達のところへ荷物を渡しに行かねばならない。
 荷物の内容はよく知らないが、生活に必要なものなのだそうだ。


 荷物を渡す作業も残り何件かを残すになった時、既に昼食時間に掛かっていた。
 ――どこかで何か買って食べようか。
 思いながら、もう一件を済ませてしまおうと直ぐ近くのお届け先へ向かった。
「こんにちはー、と言いますが……お魔します。チチさんに頼まれて、荷物を届けに来ました」
 開けっ放しの扉の外から声をかけた。
 屋内から女性の声が返ってくる。
「中へどうぞ」
「お邪魔します」
 断りを入れてから家屋内に入る。
 石造りの家の内部は、外より少しだけ体感気温が低い。
「まあまあ、悪かったわねえ」
 奥手から茶色い髪の女性が出てきた。
 奥から流れてくる香ばしい香りと、身につけたエプロンに白い汚れを付けているところを見ると、昼食準備中だったようだ。
「あの、昼の準備中でしたか? お邪魔して申し訳ないです」
 言い、手に持っていた小袋を渡した。
 女性は袋を受け取り、中を確認してから口を閉じた。
「ありがとうねえ。それよりあんた、お昼は食べたのかい?」
「まだです。荷物を届け終わったら、戻って食べようかと」
 の発言に、女性は首を振る。
「若いからいいけれどねえ、無理はよくありませんよ。しっかり食べてしっかり働く方が、効率がいいに決まっているわ。丁度だし、うちで食べてお行きなさいな」
 の背後に回り、女性は奥の部屋へと押していく。
 困惑しながらも、お腹が減っていることに違いはないは、ありがたく誘いを受けることにした。

 テーブルの上に焼けたばかりのパンと様々な肉、野菜を並べると、女性――レラと言うらしい――は、冷えた水を飲んでから座った。
「さあ、食べて頂戴」
「頂きます」
 は丁寧にお辞儀をし、パンを一切れ貰って肉と野菜を挟み、口にした。
 ――うん、美味しい。
 レラも同じようにして食べ始める。
 の左方には、大きく開かれた窓があり、そこから牛魔王殿が見えた。
「……ああ、あんたはこの近辺の出身じゃなかったんだかしらね? 話は聞いてますよ」
 どんな話なんだ。
 苦笑するに、レラの方は小さく笑った。
「チチ様のご結婚相手を奪おうとする女の子がいる、っていう。小さな村ですからね、話はすぐに広まってしまうのよ」
 レラは息を吐き、パンを咀嚼する。
 は氷の入った水を見つめた。
 ――かつて、フライパン山は火の精霊に包まれて燃え盛り、近辺の温度を上昇させていた。
 そのせいで木々は枯れ、麓にいたはずの村人たちは、退去を余儀なくされていたそうだ。
 今は亀仙人の力によって火の山はなくなった。
 抉れた山の真ん中に牛魔王殿が新たに作られ、裾野には村が広がっていて、今ではとても豊かだ。
 山の火を消す一連の流れの中で、悟空とチチは出会ったとブルマから聞いている。
「チチ様は、悟空様にずーっとご執心でね」
 びくり。の体がその名に反応した。
 だがレラは気付かず、話を続ける。
「小さい頃から花嫁修業をなされていたし、自分を磨かれておられた」
「……小さい頃から?」
「ええ、悟空様と出会われて、それから直ぐでしたかね。少し思い込みが激しくはありましたけれど、一生懸命に家事一式、それから武道も頑張っておられて」
 小さい頃。
 悟空がと初めて会ったとき、既にチチは彼と結婚の約束をしていたのだ。
 が悟空に見合うようにと頑張っていたみたいに、チチも頑張っていた。

「――あんたが邪魔者かね?」
 ふいに後ろから聞こえてきた声にが振り向くと、腰を折り、杖をついた白髪の老女がいた。
 老女は非常に不機嫌そにを見やると、鼻を鳴らす。
 レラが困ったように眉を下げた。
「お祖母ちゃん、何もそんな風に」
「ふん。チチ様のご苦労も知らぬ輩が、横からでしゃばって」
 向けられた敵意に、は少々面食らった。
 その敵意がどこから来ているのかは、当然みたいに分かったけれど。
 老女は顔いっぱいに皺を寄せ、に杖を突きつける。
「あたしら村の者たちは、あんたと悟空様が結婚するような事態を望んじゃあいない。あの方は、チチ様とこそ結婚すべきだ」
 時折咳き込み、老女はレラから水を受け取って咽喉に流すと、更にを睨みつける。
「あたしはチチ様の教育係だったんだ。愛しい男のために尽くさんと、様々なことを覚えてらした。いつか悟空様が迎えに来てくださると信じてね。
 そして、チチ様自らが連れて戻られたと思ったら……あんたみたいなのがくっ付いてきちまって」
 苛立たしげに息を吐き、老女はに突きつけていた杖先を、床に突いた。
「さっさと自分の家へお帰り。悟空様の側に、あんたの居場所なんて最初からないんだよ。だって、あんたは悟空様に何ができると言うんだい?」
 吐き捨て、老女は奥の部屋へと去って行ってしまった。
 は何を言うべきか分からず、手に持っていた食料を口に入れた。
 食べる気がごっそり失せてしまっていたけれど、中途半端に残すのは作ってくれた人に失礼だし。
 レラは苦笑し、に謝った。
「ごめんなさいね、お祖母ちゃんはチチ様贔屓なものだから。――村人は、そりゃあ勿論、チチ様と悟空様に結婚して欲しいと思っていますしね。……あなたには悪いと思うけれども」
「――いえ」
 正面を切って言われると、さすがに言葉が出てこない。
 この村の人たちは、みんな牛魔王の庇護の下にある。
 それだけではなく、幼少期からチチを見ていて、だから大概のことを知っている。
 牛魔王親子と共に日々生活をしてきた。絆が深いのだろう。
 だから、を受け入れる者などない。
 それは当然のことかも知れなかった。
「食事、ありがとうございました。とても美味しかったです」
 は立ち上がり、レラに精一杯の笑顔を向ける。
「またいつでもどうぞ。お祖母ちゃんがいない時がいいわね、きっと」
 苦笑するレラにお辞儀をし、は荷物を持って家の外へと出た。


 全ての荷物を届け終えたは、牛魔王殿への道の途中にある石垣の上に腰を下ろした。
 荷物はなくなって身軽になったのに、心の中が妙に重い。
 息を吐くと、妙に熱い気がした。
「……だいじょぶ。まだ、平気」
 たくさんの人からチチの話を聞いて、たくさん悟空と彼女の結婚を推奨する声を聞いた。
 結婚の準備を始めていることすら知って、それは確かにショックだったけれど。
 周りの人がなんと言おうと、私は私で頑張るだけ。
 言い聞かせ言い聞かせしていないと、何かがあっさりと瓦解して行きそうだ。
 一度逃げた者、一度も逃げなかった者。
 この村において、は弱者でチチは強者。
 本当なら、一度は逃げたがチチに対抗するなんて、おかしな話なのかも知れない。
 悟空が自分を少なからず好いていてくれるという盾がなければ、今頃自分は弱音を吐き、にすがっていたかも。
 自分はとても狡くて、綺麗でなんてなくて弱い。
 もしも悟空がチチを選んだら、という可能性を無視していなければ、動けなくなってしまう程には弱い。
 ――荒れた気持ちを落ち着かせて、城に戻らないといけない。
 悟空に頼るべきじゃない。それは甘えだ。
 あの老女やレラが言ったことは、の胸に突き刺さってなかなか抜けてはくれなかった。
 老女の、『悟空様に何ができるか』という言葉を思い出すと、更に深みにはまって行く。
 は悟空に何もできない。何を与えられもしない。
 いつだって支えられてきて、たくさんのものを貰うだけで、返すことが出来ない。
 出来るのは、好きでいることだけ。
 じわりと溢れてくる涙を強く拭い、は立ち上がる。
 帰って、仕事の続きをしよう。
 そうしなければ、悟空と一緒にいられないのだから。



じわっと追い詰められてますヒロインさん。
2006・6・27