落明愁夢 12 悟空は駆けて行ってしまったを追おうとして、に止められた。 の顔を見ると、彼女は振る。 「止めときなさいよ、は必死に頑張ってんだから」 「でもオラ……」 「心配なのは分かるけどね」 悟空は暫くがいなくなった方向を見ていたが、小さく息を吐くと階段に腰を下ろした。 は、悟空がを追って行かないのを確認すると腕組みをし、階段の縁に背を預けた。 1日中宝物庫の中で作業をしていたため、体が軋んでいる気がする。 「まったく。『私を甘やかさないで』――か。……気をつけてないと倒れるな、あれは」 ガリガリと後頭部を掻き、は深い息を吐く。 悟空が首を捻った。 「どういうことだ?」 「あんたの前じゃどうだったか知らないけど、は簡単に無理するからね……しかも今はチチとのことで、微妙に自分を追い詰めに掛かってるし」 小学生からずっと友達としてやって来ただからこそ、よくよく分かることだ。 は悟空と出会って、精神的に強くなった。 だけれども、脆い部分も当然ある。 頑張りすぎるという脆さを、は知っていた。 「大丈夫、大丈夫なんて言ってさ、限界過ぎちゃうんだよね」 本気で大丈夫な時はいいのだが、そうでなくて大丈夫なんて言っている場合がある。 大丈夫だと口にすることで、辛い気持ちを誤魔化そうとする。 精神的気にたいへん良くないと、は思う。 悟空は眉をひそめた。 「オラ、やっぱ」 「止めときなさいって言ってるでしょ。甘やかされたくないって必死んなってるのに、当のあんたが崩してどうすんのよ。もう暫く様子見しなさいよ」 「でもよ、それで倒れちまったら……」 「………あんたさあ、実はすっごいのことが好きなのね」 悟空が何かを応えようとした時、被さるように階段の上からチチの声が聞こえてきた。 「悟空さ!」 駆け寄り、悟空の腕に手を回すチチに、は少々ムッとした。 別に自身が、悟空がどうのと思っているわけではない。 が必死になって頑張っているその横で、彼女の想い人に簡単にベタベタするチチを、少なからず苛立たしく思っただけだ。 べたべたしてくるチチに、悟空は眉をひそめる。 振りほどこうとしているようだが、相手が女性だからか強く引き剥がせずにいるようだ。 チチはを見やると、微妙に険のある表情で口を開いた。 「おらの悟空さに、妙なことしなかっただべな」 「妙なことしてんのは、あんたでしょう。腕組んじゃってベタベタベタと……」 「おらと悟空さは結婚するだよ、こんくれえなんでもねえべさ」 「チチ、離れろよ」 「やんだあ悟空さ、テレなくてもええのに」 はなんだかムカムカしてきて、無言のまま階段を上る。 上り切ってから悟空を見やり、腹立たしい気持ちを乗せて怒鳴った。 「孫悟空! あんたが余りにも不甲斐ない行動を起こしたら、あたしは間違いなくとあたしの兄貴をくっつけるわ!」 言い放ち、きびすを返して部屋へ駆けた。 チチと悟空が腕を組んで仲良く歩いている姿をが見たら、どんな気分になるかを考えると苛立たしかった。 頑張れば全部が丸く収まるわけじゃないと知っているからこそ、余計に腹立たしくなるのかも知れなかった。 卑怯な方法でもなんでもいいから、と悟空をくっつけてやろうかと考え――首を振る。 そんなことをしたら、真っ直ぐなは逆に悟空に触れられなくなるかも。 「ったく……ほっんっとに馬鹿正直なんだから」 それから約1週間が過ぎた。 毎日たくさんの仕事をこなすは、それが当然のように全然文句なんて言わなくて。 けれども、日、1日と疲れが溜まっていっているのが、誰の目から見ても分かる。 肉体的に疲れているところへきて、精神的にも余裕がない。 自分を追い詰めるように動き続けるを、悟空は心底心配していた。 その日、は朝食を済ませると、すぐに大量の洗濯物を抱えて牛魔王殿の洗濯室に籠もった。 それはもう素晴らしい量の洗濯を済ませ、牛魔王殿の外に干す。 どうも、牛魔王宅に済む召使いさん方のものも洗濯したらしい。 すっかり干し終わって一息ついていると、チチが悟空を連れて庭を歩いているのが目に付いた。 腕を組んで歩いている2人を見て、の胸がちくりと痛む。 ――だいじょぶ。頑張れる。 言い聞かせ、自分を落ち着かせてからチチに声をかけた。 「チチさん、洗濯終わったよ」 チチはと洗濯物を見比べ、うんと頷いた。 「じゃあ次の仕事を与えるべ」 「チチぃ、おめえちっとを働かせすぎだぞ」 「悟空さは黙っててけれ。これは、おらとの問題だべ」 それでも、と言葉を続けようとする悟空を見やり、は苦笑して手を振った。 大丈夫だからという意味で。 「……とにかく、次の仕事だべ」 次の仕事は、牛魔王統治村より先にある薬草屋(くすりや)に行って、頼んであるものを受け取ってくる、というものだった。 が準備をしていると、側で様子を見ていたが苛立たしげにため息をつく。 「買い物くらい、自分で行けっつの。……あたしが代わりに行こうか?」 「大丈夫だよ。お役目だし、筋斗雲で行けるし」 言い、はバックパックを背負うと筋斗雲を呼んだ。 すぐさま現れる金色の雲に飛び乗る。 心配そうな表情を浮かべているに微笑み、は行ってきますをして目的地へ飛び立った。 その薬草屋は、山を2つばかり越えたところにあった。 ログハウスのような造りで、一見すると店だなんて思えない。 看板も出ていないし。 はとりあえず玄関をノックし、ドアノブを回した。 それはあっさりと回り、口をぽかりと開ける。 周囲を森の木々に覆われているせいか、店の中は昼間だというのに灯りが点いていた。 「いらっしゃい。何をお探しですか?」 店番をしていたのは、30代程に見える女性。 長袖に手袋という、周囲の気温からすると暑そうな格好をしていた。 「あの、チチさんに頼まれた物を引き取りに来たんですが」 「チチお嬢様のですか、遠いところを大変でしたでしょう」 筋斗雲で飛んできたので、その辺の苦労はなかった。 足でやって来たのなら、それは相当大変だっただろうけれど。 女性はカウンターの下から茶色い袋を取り出し、に渡した。 「お代は貰っているから、このままどうぞ。それより、あなたとてもお疲れね?」 「えっと……そう、ですね。少し疲れてるかも知れません」 実際は物凄く疲れているはずなのだが、自分に対してあまり気配りをしていないはそれに気付いていなかった。 女性は、またもカウンターの下から錆色をした缶を取り出す。 「少しだけ、お茶に付き合ってください。疲れが取れますからね」 「あ、でも」 「帰る道のりで倒れては、お話にならないでしょう?」 笑顔で棚から木製のカップを取り出し、女性は缶の中から薄紫色の粉を取り出すとカップへ入れ、更に水を入れる。 「はい、どうぞ」 差し出されたカップを手にとって中を見ると、なぜか琥珀色の液体が。 「…………あの、失礼ですがこれは」 「わたしのお店に昔から伝わっている、野草を粉にして入れたお茶です。怖がらずに飲んでみて下さい」 正体不明のお茶を出され、じゃあ遠慮なくとあっさり飲めはしなかったが、恐る恐るひと口含むと――。 「わ、おいしい……」 意外なほど美味しかった。 女性はにこりと笑み、同じものを飲む。 「気休め程度だから、帰ったらしっかり休んだ方がよろしいですよ。……ところで、チチお嬢様に言伝をお願いできますか?」 「はい、いいですよ」 頷くに、女性はほんの微か、眉をひそめて言う。 「『それ』を使うのは、お勧めしないと」 「それって、この荷物のことですか」 「ええ。それから、あなたにも言うことが」 初見の人に言うことがあると言われ、は目を瞬く。 彼女は暫くカップの中を見つめていたが、ふいに顔を上げた。 「自分を大切に。それと、炎に気をつけて」 「……あの、占い師さんか何かも兼業で?」 女性はにこりと笑うだけだった。 帰宅してチチに荷物を渡した後、入浴を済ませたは、同じく下働きをしている女性から、 「あんた酷い顔しとるねえ。甘いもんでも食べるとええわ。食べかけで悪いけどもね」 チョコレートを頂いた。 部屋で食べてもよかったのだが、少し風に当たりたくて、牧舎道へ通じる勝手口くぐる。 正面には放牧場。今は牧舎に戻されている。 は勝手口から少し離れ、座って牛魔王殿の壁に背を預けた。 半分ほど折られた板チョコレートの銀紙を剥がす。 「頂きます」 ぱきりと適度な大きさに折り、口に放り込んだ。 甘い味が口いっぱいに広がる。 体にほんのり活力が戻ってきた気がして、体が甘い物を欲していたらしいことに、今更ながら気付いた。 チョコをもう一欠けら折り、口へ。 口の中で甘さを堪能しながら、ふと空を見上げる。 青闇に巻かれた世界。 周囲に誰もおらず、虫の声も聞こえず。 微かに、往く風が草葉を揺らす音だけが耳に入る。 夜の世界は優しい。 休めと言ってくれている気がする。 明日になったらまた頑張る、頑張れる。 言い聞かせるようにして瞳を閉じた。 翌朝、が部屋にいないと気付いたは、彼女を探し――そして、牧舎へ通じる勝手口の傍で、干草に半身を預け、小鳥を肩と膝に乗せて眠っているのを見つけた。 「……なんと言うか、画になるけどね。横になっていないんじゃ、疲れが取れないじゃないのよ」 呆れたように溜め気をつき、を揺り動かした。 「ほら起きて。また辛い1日が始まるわよ」 チチが嫌な人ですみません…今後も嫌な人のままです…(汗) 2006・6・23 戻 |