落明愁夢 11 チチつきの下女になったは、まず彼女に宝物庫の掃除を命ぜられた。 宝物庫があるというだけでも驚きなのだが、そこに収められた宝の山にも驚いた。 ほぼ正方形をしているらしい石造りの大部屋の床のあちこちに、金貨や銀貨が散らばっている。 宝がうず高く積まれ、金貨や銀貨に埋もれて、素晴らしく美しい宝石を埋め込まれた冠や、微に入り細を穿つ彫り物をされた装飾品、燭台などなど。 を手伝うと言って一緒に来たは、宝物の量を見て呆れたように周囲を見回す。 「……それで、これを全部、今日中にどうかしろって? 嫌がらせだわ」 腰に手をやり、微妙に前かがみでため息を転がす。 は牛魔王に持たされた大きな空の宝箱を引っ張り、部屋の中に入れる。 手袋をして、金貨や銀貨を次々に空箱の中に入れていった。 汚れの酷いものは、布で丁寧にふき取って箱の中へ。 せっせと整理をしているに、は目を瞬いた。 「あ、あんた……文句とかないわけ? 凄くさらーっと流して掃除始めてるけど」 は笑む。 「だって、私が決めたことだし。それに、文句を言ってても掃除は終わらない、でしょ? あ、。物に触る前に手袋付けてね、手油で金銀が汚れちゃうから」 さらりと言って作業を進める。 は唖然とし、思う。 元の世界では、彼女はこんな風に強い瞳をしていなかった。 やはりこの世界こそが、彼女のいるべき場所かも知れない、と。 やってもやっても終わらない宝物庫の掃除。 は、少し離れた所で作業をしているに視線をやる。 疲労の色が濃い。 が特に掃除嫌いということではないと思うが、量が量だけに疲れるのも当たり前だ。 亀仙人の元で修行をし、常人以上の体力がついているですら、それなりに疲れているのだから、学校や自室、自宅の年末大掃除ぐらいしか経験したことがないには、相当辛いだろう。 はふと時間を見て、に声をかけた。 「、お昼過ぎちゃってるよ。牛魔王さんに言って、食事してきたら?」 「あんたはどうするのよ。お腹減ってるでしょ」 「私は平気。もう少しやっちゃうから」 あと少しで、とりあえず金貨銀貨のより分けは終わるはずだから。 せっせと作業を続けているに、はため息をつく。 「じゃああたし、ちょっと行ってくるわ」 「うん、行ってらっしゃい」 の方を見ぬままに手を振り、作業を続ける。 扉が開き、閉まる音がして、静かになった。 は自分以外誰もいなくなった部屋で、次々と硬貨を箱の中へ納めていく。 単純作業をしていると、自然とものを考える時間が増える。 何も考えたくはないのに、色々なことが思い起こされる。 思い起こすと辛いことは思考から締め出したいのに、そう考えて逆に思い出してしまう。 たくさんのことを思い出し、は息を吹いた。 今は、すべきことをすればいい。 気持ちや状況が辛くとも、それはのすべきこととは関係がない。 与えられた役目を果たし切るまで、目の前のことに没入してしまえ。 幸か不幸か、修行で身に着いた集中力は、こんな所でも威力を発揮した。 はが戻ってくるまで、周りが見えないほど作業に没入していたのだった。 「全く、あんたってば本当に……まあいいや、ほらお茶」 「ありがと」 が差し出したお茶を受け取り、はそれをノドに流し込む。 冷えた飲料が、いつの間にやら溜まっていた疲れを取ってくれる気がした。 食事を終えたは、に昼食を持ってきていた。 作業が終わるまでは宝物庫から動かないだろう、というの考えがあったからのだが、たぶんそれは正しい。 料理人が作ったらしいサンドイッチを頬張りながら、は残りの宝を見やる。 硬貨はすっかり箱の中に納まったし、次は装飾品類だ。 「っとにあんたは、少しは手を抜くってことをしなさいよ。今日からこんな調子じゃ、あっさり倒れるってえの」 「修行したし、大丈夫だよこれぐらい」 最後の一切れを口に入れ、咀嚼してからお茶で流し込む。 は頬杖をつき、呆れたような目をに向ける。 「ねえ、いっそ本当にうちの兄貴と付き合わない?」 「は? 何をいきなり」 「だってさあ、そっちのが楽じゃん」 楽とか、楽じゃないとか、そういう問題なのだろうか……。 は苦笑し、首を振る。 「私、悟空が好きだもん。だから、頑張るの」 「チチが、一生あんたを下女のままこき使おうとしてたら?」 「在り得ないでしょ、それは」 「もしよ、もし」 「そうだなあ、もしそうだったら……うん、認めてもらえるまでやっぱり頑張るかなあ」 「…………じゃあ、悟空がチチに心変わりしたら?」 の言葉に、は一瞬目を瞬き―― 「そしたら……しょうがない、よね」 微笑む。 微笑んだつもり。 の表情を見たは、額に手をやった。 「ごめん、意地悪いこと言った。謝るから、そんな泣きそうな顔しないでよ」 「……泣きそうな顔、してたかな」 「してた。だからごめん」 「…………別に、平気だから謝らなくていいよ」 大丈夫だと言い聞かせる。 大丈夫だと言っていなければ、悟空を好きでいてはいけない気がした。 気持ちが折れた瞬間に、何かに負けてしまう気がしたから。 結局、一日がかりで宝物庫をきれいにした。 牛魔王の宝の量は半端ではなく、汚れているものを綺麗にしながら整理整頓していたら、すっかり夜になってしまったのだった。 夕食の時間はとうに過ぎている。 綺麗になった宝物庫とは逆に、すっかり薄汚れてしまったは、同じように汚れを身に纏わりつかせているを見て、思わず謝る。 「ごめんね、最後まで手伝わせちゃって」 「いいわよ。それよりあんた、朝からずっと悟空に会ってないけど、平気?」 「……それってどういう心配の仕方なの」 会わないと死ぬみたいな言い方をするに苦笑をこぼし、は廊下を行く。 さすがに疲れた。 横になったら、たぶんすぐに眠れる。 に宛がわれた部屋は2階、の部屋と隣り合わせだ。 お風呂には入らないと、なんて思いながら宝物庫のある地下から1階へ上がると、2階への階段の途中に悟空が座っていた。 彼はの姿を見つけると、至極嬉しそうに笑み、駆け寄ってくる。 「!」 「悟空……っだ、だめだよ、私チチさんとの約束で――」 彼と長話は駄目、触れても駄目だったはず。 チチは見ていないだろうけれど、それでも約束を違えてはならない。 少しだけ身を引くを、が悟空の前に押し出した。 「平気よ。2人きりで話しちゃいけない、が彼女の言だもん。あたしいるし、2人きりじゃないし?」 「どっちにしても、チチさん怒る気がするけど……」 「気にしすぎよ。ほらアンタ、に話があるんじゃないの」 悟空を見やる。 「話っちゅうか……うん、まあ」 悟空はを見やる。 彼は、彼女の髪についている埃を軽く払った。 「さ、触っちゃ駄目だよ。それに私凄い汚れてるし……」 「べつに汚くねえよ。それにさ、おめえがオラに触るんは駄目だっつうけど、オラがおめえに触ることはなんも言われてねえだろ」 ニカッと笑う悟空に、は目を瞬く。 横で見ていたが吹き出した。 あんたなかなか言うわねー、なんて言いながら笑う。 「……それってチチさんには通用しない気がするけどなあ」 言うの頬と耳朶に、悟空は触れた。 びっくりして首をすくめるが、彼の手はそのままだ。 微かに耳朶をなぞる指先。顔だか耳だかが熱くなる。 「、無理すんなよ? ――疲れた顔してる」 「だいじょぶ。ちゃんと休むから」 「やっぱオラ、チチに言ってこんなの止めさせる。ばっかし辛ぇのなんか――」 心配する悟空の言葉に、は首を振った。 「悟空だめだよ。私を甘やかさないで」 「でも」 「私、1度は逃げた。チチさんと戦うことから逃げたの。言い訳して楽な所へ逃げた。それなのに悟空に頼って、自分は頑張らないなんて卑怯だよ。だから、頑張らせて」 そうしなければ、悟空を好きでいていいのだと思えないから。 頑張れる所まで頑張りたいのだと、まっすぐに悟空の目を見て言うと、は「お休み」と言い逃げして階段を駆け上がった。 あのまま悟空に触れられていたら、優しい彼の体温に甘えてしまいたくなるから。 どことなく昼ドラみたいだ…と思いつつ進めます。 2006・6・20 戻 |