落明愁夢 10




「は!? この雲に乗って行くわけ?」
 目の前に飛んできた金色の雲――筋斗雲に乗れといわれ、は目を見開いていた。
 は過去の自分を思い出して小さく笑む。
 確かに車が空を飛んでいるだけでも驚きなのに、それ以上に在り得ない『雲』に乗れと言われたら、そりゃあ驚くというものだ。
「ちょっと……は乗れるわけ?」
「え、うん。こっちのは私の筋斗雲だし」
 向かって右側に漂っている筋斗雲を呼ぶと、すぐにやって来た。
 じゃれるように、の足元にすりつく。
 悟空が注釈を入れた。
「きれいなココロって奴を持ってれば乗れっぞ」
「……ふぅん」
 いぶかしむような目で筋斗雲を見つめ、軽く息を吐いて片足を乗せた。
 ――いや、乗せようとした、のだが。
 ずぼ、と雲をつきぬけて地面を踏みしめている。
「…………。ちょっと」
 が気分を害されたような顔になる。
 もう一度足を乗せてみるが、やはり突き抜けてしまった。
 きぃー! とギャグのように地団太を踏む。
「ちょっとー! あたしは汚れてるってかー!?」
「いや、そういう事でも……ないと思うけど、多分」
 濁す事しかできない
「悟空、どうしようか?」
 が考えていると、悟空はあっさり頷く。
「んじゃ、オラの背中に乗っかれよ。、チチ連れてってくれっか」
「いいけど――」
「おらは悟空さと一緒に!」
 チチが不満の声を上げるが、じゃあ代案があるのかとブルマに問われると、何も言えなくなってしまって。
 確かに小型ジェット機などで行くことも可能だが、そうなると少し時間がかかる。
 運転できるかと言われれば、悟空もも、当然もできない。
 チチもできないとの事なので、結局筋斗雲で飛んでいくしかなくなった。
「仕方ないわね。……紐でくくっていってよね、落ちたら洒落にならないから」
「おう」

 かくて、は悟空の背中に括り付けられ、チチはの筋斗雲で一緒に、一路フライパン山を目指して飛ぶ。

「ギャーーー! もう少しスピード落としなさいよーー!!」
「う、うるっせえ……ちっと声落としてくれよー」
「そんな事言っても……あんぎゃーーー!!」
 悟空の背にいるは、筋斗雲のあまりのスピードに、咽喉をからすまで悲鳴を上げ続けた。

 一方のとチチは、実に居心地の悪い思いで、悟空たちの後についていっている。
 は会話を振ってみるのだが、返ってくるのは極々短い言葉だけ。
 下手をすると単語で返ってくる。
 チチの事を特別嫌いでもないにしてみると、本気で嫌われている事がまざまざと分かってしまい、なんだか気落ちしてしまう。
 航路の殆どを無会話のまま、結局フライパン山についてしまった。



 清涼山、俗称フライパン山は、かつて炎に包まれていたという。
 けれど今は山のふもとを中心に、村人たちと領主である牛魔王一家が平和に暮らしている。
 村の一番奥――山の一番ふもと――にある大きな屋敷が、チチの家。
 そこに降り立つと、悟空はまず後ろに背負っていたを下ろした。
 肩をぐるぐる回し、ふぅと息を吐く。
「はー、こいつ耳元ですげえ叫ぶんだもんなあ……」
「悪いわね。でもあんなスピードは常人にはキツイ」
「……私普通に飛んでるんだけど」
 の言葉に、
「あんたは慣れ過ぎなのよ!」
 叫ぶである。
 とにもかくにも、とチチが悟空の腕を掴んだ。
 少し胸が痛むが、はその胸の痛みを無視した。
 の心配そうな視線に気付き、無理矢理笑ってやる。
「おっとうは中にいると思うだ。悟空さ、早くいくだよ」
「ちょ、待てって……も行くぞ」
「あたしも行くわよ!」
 を押しながら、がズカズカ入っていく。

 屋敷の中は中華風で、はあちこちに目を走らせた。
 表から見てもそう思ったが、まさしくここは豪邸だ。
 お城のようである。
 カプセルコーポレーションも相当大きいが、あれは近代化しているために装飾品のようなものは殆どない。
 しかしこちらの家は、あちこちに細かいレリーフが刻まれ、柱のひとつにしても相当手間をかけているように思えた。
 なにもない自分が、改めて小さく感じられてしまう。
 チチに片腕を掴まれているにも関わらず、悟空は逆手での手を握った。
 ――温かい。
 父親を探して叫んでいるチチに気取られぬよう、彼はに微笑みかけた。
 冷えそうになっていたの気持ちに、温もりが宿る。
 も知らず、硬い表情を崩して微笑んでいた。
 その様子を見ていたがニヤニヤしていた事に、2人は気付いていないが。
「おお、孫悟空でねえだか! 久しぶりだなあ!」
 ずん、ずん、と音を立ててやって来た人物は、巨漢の男性だった。
 つなぎの服を着ており、優しそうな表情。
「おっとう、悟空さをやっと連れてきただよ!」
「おうおう。よう来たよう来た。はて、そっちの娘っ子はどなただんべ」
 背後にいたたちを見て、彼――牛魔王が言う。
 は慌ててお辞儀をした。
「は、初めまして。あの、といいます」
「あたしはです」
「ワシは牛魔王だべ。おめさんがたも悟空さと知り合いみてえだから、うんともてなしてやるべ!」
 酷く嬉しそうに笑う牛魔王。
 チチは牛魔王の横に立ち、深々とため息をつく。
「ん? どうしただチチ」
「……おっとう、それが」
 そこから先は自分が言うとばかりに、悟空が会話に割り込む。
「牛魔王のおっちゃん、オラ、チチと結婚できねえ」
 ずばり言う。
 むっとして眉を寄せるチチの肩を叩き、牛魔王は先を促す。
「……オラ、が好きなんだ。だから結婚できねえ」
「こっちの娘っ子だべか。確かにめんこい子だけんど……悟空さ、うちのチチをヨメに貰うと約束したべさ」
 悲しげに言う彼に、けれど悟空は退かない。
「悪ぃ……。でも、オラ……」
「とにかく、こんな場所でする話でもねえべ。奥へえってくんろ」
 牛魔王は悟空との背を押し、奥へと連れて行く。
 チチもそれにならった。
「ちょっと! あたしを忘れていかないでよー!」
 慌しくもその後を追った。


 お茶を出され、共々それを頂く。
 中華風の綺麗な部屋に通され、は牛魔王やチチを前に、ひどく居心地の悪い気分を味わっていた。
 チチには睨まれているし、悟空は困っているし、は普通だけれど、牛魔王も気落ちしている様子で。
「……あのさ、そんで……オラ」
 言葉を発した悟空を、牛魔王が止める。
「悟空さ、ほんとにその娘っ子の方がいいってか」
「おっちゃんやチチには悪ぃと思ってっけど……だけど……」
 心底申し訳なさそうに言う悟空だが、チチの方はそんなものでは全く治まらない。
 一度は結婚すると言ったのに、いきなり手の平を返されて、怒らないはずもないのだけれど。
 冗談ではないと、思い切り机を叩いた。
「悟空さっ! おらは認めねえだぞ! おらの方がこの女よりずぅっとずぅっと、おめえさんの事を好きに決まってるだよ!!」
 他人の気持ちを決め付けるほどに、チチは頭にきている。
 普段であればそんな事はしないだろうが、幼少時からずっと思い続けてきた男性を奪われたくなくて、衝動のままに言葉を発していた。
 は、チチの気持ちが突き刺さってくるのを感じながらも、ここで引いてはいけないと唇を噛む。
 自分の気持ちに嘘をつかないと決めた。
 だから――自分が納得するまで、頑張ろうと。
「チチさん、本当にごめんなさい。でも……私も悟空が好きです。一度は逃げちゃったけど……やっぱり、大好きだから……」
 震えそうになる体を、拳を握る事で抑える。
 チチは顔を真っ赤にして怒り散らそうとし――ふいに何かを思いついたかのように、口を結ぶ。
「……そうか。じゃあ、おらから条件を出させてもらうべ」
「条件ですか?」
「ああそうだ。暫く、おらの下女をしてもらうべさ。ちゃーんと全部終えられたら、おらは悟空さをすっぱり諦める」
 ただし、と彼女は付け加える。
「その間は、悟空さと2人で会っちゃなんねえ。長話もダメだ。それから、触れてもダメだぞ」
「――っ、な、なんだよそれっ! チチ、ひでぇじゃねえか!」
 悟空が眉根を寄せて文句を言うが、チチの方は全く引かない。
 顔を背け、そうしてから改めてを見た。
「どうするだ? 悟空さを諦めるだか?」
 は瞬きの間ほども開けずに、
「やります」
 しっかり答えた。




という事で、フライパン山です。お友達つき。
2006・6・16