落明愁夢 8 「!」 ほぼ1ヵ月ぶりほどのブルマの声に、は苦笑する。 ああ、本当に戻ってきてしまったのだなあと。 喜びのあまりに抱きついてくるブルマを落ち着かせ、は小さく息を吐いた。 「悟空が私の世界に来る手伝いをした、その理由を聞いてもいい?」 「ええ、いいわよ。存分に語ってあげるわ。でもその前に……なんか人数が多いわね」 自分の後ろに向けられた視線。 も同じ方向を向く。 そうして、驚きの余り少し口をぽかんと開けた。 そこにはいるはずのない人がいたから。 「やだ……と克兄も来ちゃったの!?」 そう。 床に座って呆然としているのは、紛れもなく『あちらの世界の住人』、香坂兄と妹であった。 悟空はお決まりの「腹減った」を連発し、現在クリリンと一緒に食事中である。 達の感覚ではまだ午後3時を過ぎた頃だったのだが、こちらの世界では既に7時を回っていた。 飛ぶ際に何かの作用で、時間軸がずれてしまった様子。 ともあれブルマは達をリビングに通すと、コーヒーを淹れてそれぞれに渡す。 「ど、どうもありがとうございます」 克也がブルマに、少しだけぎこちない笑みを浮かべた。 ブルマはにっこり笑いかけ、ソファに腰を下ろす。 「さてと。まずは自己紹介するわね。わたしはブルマ。ここの家の娘」 そっちは? と克也を示す。 彼は慌ててお辞儀をした。 「俺は香坂克也です」 「私は香坂」 「へえ……2人は家族なんだ。まあいいわ。あなたたちもの世界の人なんでしょう?」 首を捻り、よく分からないという面持ちで――克也が問う。 「あの……もしかして、彼女が言っていた『異世界の地球』というやつなんでしょうか、ここは」 「ええそうよ。転移してくる際に、あなたたちを巻き込んじゃったみたいね……ごめんなさい。予測できなかったわ」 謝るブルマに、克也は恐縮した様子で首を振る。 「いいんです。の事が気になってましたし……問題ありませんよ。戻れるんでしょうから」 その言葉には眉を寄せる。 ブルマも同じような表情だ。 が不安げにに聞く。 「もしかして、戻れないの?」 「そんな事ないと思うけど……ブルマ?」 喚ぶなんていう事をされた事がなかったため、の力では2人を帰す事が出来るとは思わない。 恐らくは帰ろうと思っても、自分独りならばともかく、2人を連れてはいけないだろう。 その辺は自分の力がどうなっているのか分からないし。 案の定、ブルマは困ったような考え込んだような顔をしている。 「……2人分のエネルギーを溜められれば、恐らく帰す事は可能だけど……今は残量ゼロだし、少し時間がかかるわ」 「……そう、ですか」 肩を落とす克也とは逆に、の方は実に自然体だ。 むしろ、この状況を楽しんでいるとすら思える。 「兄貴、いいじゃん。折角だし楽しめば」 「しかしお前、学校がだな……」 「ブルマさん、あたしたちこっちのお金がないんです。できる事ならなんでもしますから、置いてもらえます?」 思い切りのいいの言葉に、ブルマは頷いた。 「気にしないで、お客でいてよ。部屋なら余るほどあるし。後で案内するわね」 一旦、与えられた部屋に移動した香坂兄妹。 リビングに残っているのはとブルマのみになった。 「軽く食事しておく? 夜食でもいいけど」 ブルマがソファから立ち上がり、少なくなったコーヒーを足そうとドリップを始める。 は窓の外を見ながら、小さくため息をついた。 「どうして呼び戻したの? って顔してるわね」 言いたい事をずばり言われた。 嘘をついても仕方がないので、静かに頷く。 無言のままでいる。 「ねえ……わたしは、孫くんの気持ちばかりを重視してた訳じゃないわ」 「……どういう」 「あんたも、しっかりしなさい、って事。孫くんを忘れようと必死になってるのかも知れないけどね、そんな必死さはいらないわよ」 自分のためでもある、とブルマは言う。 2人の気持ちを酌んでいるからこそ、言えるセリフだ。 「孫くんはあんたを心から望んでる。だから手を貸した」 「でも、チチさんが」 「だーかーらー、チチさんの言い分は『結婚の約束をしたから結婚は当然』でしょう」 勿論それは、彼女なりの愛情に裏打ちされたものだけれど。 「孫くんは、『が好きだから、と結婚する』」 そして、 「アンタは、『チチさんと結婚するって言ったんだから、孫くんを忘れなくちゃいけない』」 否定はしない。 むしろその考えで間違いなく合っているのだから、否定なんぞできもしないのだが。 「分かってんの? 孫くんはアンタを求めてるのよ?」 求めていると言われても、なんだか凄い罪悪感があって。 俯くに、ブルマは深々と息を吐く。 「忘れようと必死になってるって事は、あんたは孫くんを忘れられないほど好きなのよ。ほんっとにアンタは自分の気持ちを押し殺すわね」 多少呆れの混じった声で言うブルマ。 ――押し殺している、だろうか。 悟空が好きなのは確かで、けれど一旦彼は結婚すると言ったし、待っていたチチの事を考えると。 そこまで考え、ふと気付く。 ――自分は、酷いことをしている。他人に、酷い嘘をついている。 悟空が好きで、誰にも渡したくなくて。 なのに今こうしてまごついている自分は、自分の気持ちに嘘をついている。 誰かのためにと言いながら、心の中ではそうやって『誰か』を裏切っている。 弱くて醜悪だ。 彼の気持ちに乗っかっていると言ってもいい。 悟空が自分を好いていてくれるからこそ、何もしないでいられる。 そうして適当な所で、やはり忘れられないと手の平を返す? そんな事はできない。 それは卑怯者のする事だ。 自分の気持ちを闘わせずにいるのは、チチに失礼な事。 自身、悟空を求めているのだから――闘うべきだ。 本気で忘れようとしていない今、やるべき事は決まっている。 「……?」 無言でいたにブルマが声をかけた。 すっと向けられた視線に、小さく笑む。 力のある目だった。 消える以前と同じ目。 「気持ちを殺すのを止めたの?」 「……分からない。でも、自分にずっと嘘をついているのは……みんなに失礼かなって思う。……まだ、気持ちが治まってなくて上手く笑えないかも知れないけど……でもやっぱり、私は悟空が好きだから……」 それで充分だとブルマは微笑んだ。 ブルマはお姉さんですねー。 2006・6・13 戻 |