落明愁夢 3




 ソファに座り、何食わぬ顔をしてコーヒーを飲んでいるブルマ。
 その胸には、蒼い石がトップにあるネックレスを身に着けている。
 が身にしていて、消える際にただ一つ残った物だ。
 逆側のソファに腰を下ろしている悟空は、コーヒーに口をつけることはせず、彼の隣にいるクリリンもカップに手を付けてはいない。
 夕方を過ぎ、勢いをつけて薄暗くなっていく景色。
 橙色の光はブラインドに跳ね返され、殆ど室内に入っては来ない。
 誰も口を開こうとせず、時間だけが過ぎていく。


 天下一武道会を終えた後、帰るブルマに悟空は声をかけた。
 、と名を出した瞬間にブルマはそれ以上の質問を許さず、何かあるならウチに来てからにすれば、と言い放ってさっさと飛行機のカプセルを取り出し、同行すると言い出したクリリンや、ヤムチャたちを連れて西の都へと飛び立った。
 悟空は仕方なく筋斗雲でブルマの後を追った。
 ――チチを連れて。


 そうして来たはいいものの、ブルマはチチをヤムチャに頼んで別室に移動させ、話をするかと思えばただコーヒーをすすっている。
 悟空は我慢できず、声を出した。
「なあブルマ」
「なによ」
「なあ、なんとかしてを戻せねえか?」
「さあ?」
 ブルマは最後の一滴まで飲み干したらしいカップを持って、コーヒーメーカーの前に移動すると、残っていたそれを淹れる。
 ソファに座り込むブルマにクリリンが呆気に取られた。
「さ、さあって……ブルマさん、そんな簡単に」
「ブルマッ! 真面目に答えてくれよ!!」
 悟空の言葉に、ブルマの目がすぅ、と細められた。
 鋭い視線に一瞬怯む。
「そう。じゃあ真面目に答えてあげるわ。たとえを戻す方法があったとしても、わたしは協力しないわよ」
「な……なんでだよっ!」
「なんで、ですって?」
 ブルマの声は震えていた。
 今にも怒鳴り出しそうなのを、必死に押し止めているような。
 瞳には、はっきりと怒りが浮かび上がっている。
「じゃあ聞くけど。あんた、が戻ってきたらどうするつもりなのよ」
「どうって……オラ、一緒に――」
「一緒にいたい、とか言うんじゃないでしょうね」
「ブ、ブルマさん、少し落ち着いて……」
 横合いからクリリンが制止を促す。
 だが彼女は乱暴に、手にしていたコーヒーカップをテーブルに置いた。
 衝撃で中身が揺れる。
「落ち着いてるわよっ!!」
 どう見ても落ち着いてはいないのだが、クリリンにそれを言うことは出来なかった。
 本気で怒っていると、容易に知れたからだ。
 悟空に対して――否、悟空のに対する対応に。
 キッと睨みつけ、ブルマは言葉のあちこちに棘を含んだまま喋り出す。
と一緒にいてどうすんのよ。あんたはチチさんと結婚するんでしょう。その横にあの子を置いて、笑顔でも向けさせるわけ!?」
 大きく息を吸い、また言葉を発する。
「孫くんはいいでしょうよ。でも、は、あんたとチチさんを見せ付けられる度に、どんどん壊れていっちゃうわよッ!!」
「ブルマさん……」
 クリリンが俯く。
 悟空は眉根を寄せ――けれどブルマの言葉に退く様子はなく、叫ぶように言う。
「イヤだ! オラはに会いてえんだ!!」
「ならっ、どうしてチチさんと結婚するなんて口にしたのよ」
 ブルマの言葉に悟空が詰まる。
 彼女は攻撃の手を休めない。
 今この場にいない、のために。
 おそらくは、泣いている自覚すらないまま、消えて行った彼女のために。
がこの世界にいてくれればいいの? 孫くんの側にいれば? ――でも、それでに何が残るの。あの子はどうやって幸せになればいいの」
 クリリンも悟空も、黙して動かない。
「孫くんを好きで好きでたまらなくて……一生懸命、不慣れな土地で自分を磨いて、あんたに負けないようにって頑張ってた。そののことを考えもせずに、他の女の子と結婚しようとしてるあんたが……あの子になにが出来るって言うの!!」
 たまらず叫び、ブルマは手で顔を覆った。
 泣いてはいない。
 泣きそうなほど悔しい。
 まるで自分のことのように。
 悟空もクリリンも何も言えないままでいると、ブルマは2人に手を振る。
 彼らの顔を見ぬままで。
「少し頭冷やしたいから、外出て」
「ブルマさん……。分かりました」
 クリリンが、まだ話したがっている悟空を連れ、リビングの外に出た。


 ――これは罪だ。
 ブルマは、頭が怒りで焼かれていると理解していた。
 目の前が眩むほどの怒りを感じたのは、これが始めてな気がする。
 ソファに深く腰を下ろし、天井を仰ぐ。
 ――これは、悟空の罪。
 悟空自身がどう認識しているかは知らないが、彼はを愛しいと思っている。
 天下一武道会で再会した彼らは、恋人のようだった。
 ほんの少しの時間しかなかった再会の時間だけれど、ブルマには、悟空が彼女を心底愛しいと思っていると理解できた。
 壊れ物に触れるみたいに、けれど力いっぱい抱きしめ、嬉しそうに、幸せそうに微笑む悟空など、今まで見たことがなかったのだ。
 それなのに。
 それなのに、だ。
「……あのバカは……っ!!」
 ブルマは顔を歪める。
 怒りに満ちた思考と表情は、今しばらく治りそうにない。
 の最後の姿を思い出すと、悲しみとやるせなさで胸が押しつぶされそうになる。
 あの時、彼女を止められなかったのか。
 何も出来なかったのか。
 何か出来ることはなかったのか。
 あんな――寂しそうな、悔しそうな、諦めたような顔をさせる前に、何か。
「……わたしも同罪だわ」
 を救えなかったという点については、悟空と大差ない。
 救うなどというのはおこがましいが、ブルマは自分を彼女の親友だと思っている。
 その彼女を絶望の淵に落とした『悟空が別の女性と結婚』という事態を、なんら回避することもできず。
 ――このままでいいのだろうか。
 悟空の言う通りではないが、少なくとももう一度、彼女と悟空に話をさせてあげるべきではないか。
 考えたところで、異世界への通信手段などないし、移動装置もない。
 深く深くため息をついたところに、見知らぬ声が割り込んできた。
「えっ……だ、誰!?」
 声は言う。
 自分はの父親だ、と。



個人的にタイトルをつけるなら、ブルマ大激怒。悟空がへたれっぽいのは、こういう話の王道というか…(汗)
2006・5・26