落明愁夢 2



「嘘……本物!?」

 久方ぶりに訪れた友人――香坂――は、の姿を見るなり驚き叫び、ついでに号泣し始めた。
 当然と言えば当然である。
 は母が亡くなって殆どすぐ、悟空の世界に移動してしまった。
 それは即ち、この世界で行方不明者になっているということで。
「ごめんね、心配かけて」
「ほんとよ!! あんた一体どこに行ってたのよ!」
 ぐずぐずと鼻をすすり、まあいいわとあっけなく言うと彼女はを自室へ上げた。
 香坂家の両親、そしての兄、克也も驚きを隠せない表情だったが、無事だったことに安心してくれている。
 香坂一家との一家は交流が深かった。
 がいなくなった時、物凄い勢いで探していたほどで。
 今もが戻ってきたため、なにやら家のことやら学校の手続きやらと色々駆けずり回ってくれている。

「それで、あんた一体本当にどこ行ってたの」
 の言葉に、同席している克也も頷く。
 は苦笑した。
「……信じてもらえないとは思うんだけど」
「俺はが言うことなら信じるよ」
 きっぱり言う克也に、が口を尖らせる。
「あたしだってよ!」
 競うように言う2人に苦笑し、は説明を始めた。
 小学生の頃からずっと今まで――つい先ほどまで続いていた、夢のような本当の話を。

 話し終えたは、ただ瞳を伏せた。
 悟空は結婚し、の手の届かない人になった。
 彼と自分の仲は間違いなく終わってしまったのだと――話すことによって再確認させられる。
 は大きく息を吐いた。
「アンタのわけ解んない力を見てなきゃ、一笑に伏してたかも」
「……、もう戻らないのか? その世界に」
 克也の質問に、は分からないとしか答えられなかった。
 もしかしたらまたなにかのキッカケであちらの世界に行くことはあるかも知れないが、今のところはないだろう。
 そう告げると、克也とはホッとしたような――けれどどこか寂しそうな顔をした。

 その日、は香坂家に泊まることになった。
 の自宅に彼女を1人で置いておくことを心配した、香坂夫妻の進言だ。
 もっとも、ずっとお世話になっているわけにはいかないので、翌日には生活面でのことをきちんとして、1人で暮らすつもりだが。
 の部屋に布団を敷き、彼女と一緒に寝る。
 こんな風に友人と2人で寝るのはずいぶんと久しぶりな気がした。
 カチリと音を立てて灯りを消し、横になった。
 ――しんと静かで暗い世界。
 は瞳をなかなか閉じられないでいた。
 眠るためには瞼を閉じねばならず、けれどそれをするには少し勇気がいる。
 ――思い出さないように思い出さないようにと苦心するのに、瞳を閉じれば瞼の裏に浮かび上がる悟空の表情に、思わず嗚咽が零れ出た。
「……、どうしたの?」
 の声には起き上がる。
 必死で涙と嗚咽を止めようとするのに、意志などどこか遠くへ放り出されているみたいにどちらも止まらない。
 余りに泣いているに、も起き上がる。
 電気をつけないでいてくれるのがありがたかった。
 多分、ひどい顔をしているから。
「……ごめ……泣いたりして……」
 彼女は首を振る。
 闇に目が慣れているため、の表情が見て取れる。
 笑うでもなく、困るでもなく、ただ真剣に見つめている。
「……その彼のこと、本当に好きなんだね。今でも」
 はぁ、と大きく息を吸い――吐く。
 涙は止まらない。
「悔しいなあ。私はこんな風にしてるけど、きっと悟空はチチさんと仲良くしてるんだもんね。……ひとりで勝手に期待して、自滅してるんだもん……笑うよ」
 あははと乾いた笑いが室内に転がる。
 もう泣きたくないのに、涙腺が壊れたみたいに止まらない。
 泣けば泣くほどに悟空を思い出してしまうのに。
 抱きしめてくれた腕の感触も、体温も、笑顔も。
 今は全てが痛い。
 見かねたがタンスからタオルを持ち出して、渡してくれた。
 白地のタオルに、次々と涙が吸い込まれていく。
 は背を丸めて膝を抱える。
 がその背中を優しく撫でた。
「……好きにならなければよかった、なんて思ってないんでしょ?」
「それがまた悔しいよね。……私、どうしたいんだろ。悟空のことをひっぱたいて罵れば、すんなり忘れられたかな」
「――無理よ。今のあんたの姿見てたら、それで済むと思えない」
 は苦笑気味にを見た。
 まるで小学生の頃のように縮こまってしまっている彼女。
 中学校での男子からのアプローチを全て断るはずだ。
 は悟空に、魂ごと持って行かれてしまっている。
 誰とも付き合えるはずがない。
「……でも、もう……」
 小さく呟く
 でも、もう、全ては将来のない、意味のないものになってしまった。
 彼を好きになったことで、身についた大切なたくさんのこと。
 それはの糧だ。
 けれど、今でも全ては悟空に向けられている。
 閉じてしまわなければ。
 ――そうしなければ、私は壊れてしまうかも知れない。
 いつも『世界』を移動するときは、なにかしら心に重大な負荷がかかったときだった。
 父親、母親の死のように。
 逆に戻るのは、が望む望まないに限らない場合があったけれど――今回はおそらく、自分の意志だ。
 弱い自分が鎌首をもたげた。
 だから、逃げ出したんだ。
 悟空とチチの結婚を見たくなくて――逃げ出した。
 別離であったかも知れないが、にとっては逃げたに等しい。
 結局、悟空という柱がなければ弱いまま。
 変わったようでいて変わっていない。
 その事実がを浸す。
 ただ静かに俯いているの肩を、が軽く叩いた。
「うちの兄貴とでも付き合えば? 身内自慢みたいだけど優しいし……それにあんたのこと好きなんだから」
「……やめてよ。今、克兄ちゃんに優しくされたら、すっごく弱くなるよ」
「いいじゃない。あんた1人で踏ん張りすぎ」
 微笑む
「悟空が好きな状態でなんて、付き合えない……」
 小さく言うを見て、は首を振った。
 悟空という人物は、の心を引き裂いて――けれど――彼女の心を捕らえて離さない。
 時間が解決してくれることもあるだろう。
 だが、の受けた傷は深すぎる。
 以前までのはつらつとした元気が、すっかり枯渇してしまっていた。
 夜霧に紛れたらそのまま消えてしまいそうで、心配になる。
「だ……大丈夫だよ。学校行ってさ、部活でもやって――少しずつ元気んなればいいんだから」
「……そう、だね」
――そうなら、いいけど。

 今までの全てを忘れるなんて本当に出来るのだろうか。
 今までの全てを無駄だったと割り切れば、忘れられるだろうか。
 考えては見たものの、到底無理な話だけれど。

 心は重く、体も思考もうまく動かない。

 ――ただただ、疲れていた。



…克也の名前変換、できないんですよ。克也と克兄、で書いてるんで(汗)
ヒロインの小学生の頃からの女友達、まだ先も出てきます。原作沿い夢じゃ絡みないのだけども。

2006・5・24