妻と義妹と娘と




 女の子が好意を持つ男の子に、チョコレートを渡す日。
 はとっくに『女の子』という年齢を――見た目はともかく――通り過ぎてしまったし、夫にチョコレートを渡すことに対し、以前ほどの緊張は強いられなくなった。
 内包する感情は同じだが、違う所を挙げるとすれば。
 昔よりも穏やかで、より感謝が多く含まれている、ということ。
「ふー、出来たー」
 は大きく息を吐き、目の前の甘菓子をチェックして満足げに頷く。
 例年より明らかにサイズの大きな、チョコレートケーキが2つ。
 去年までは悟空があの世の住人であったし、しかもも子育てその他で意図的にあちらへ足を向けなかったから、バレンタインチョコもささやかな物……でもないが、ケーキは1つだった。
 今年は悟空がいるから、多めにケーキ2つ。
 子供と争奪戦にならないための、なりにちょっとした配慮だった。
「ご苦労さまです、さん。……美味しそうですね、これ。すっごく食べたい」
「おやつまでお待ちくださいな。で、は出来た?」
 隣で作業を続けていたの労いの言葉を受け、は彼女の作業状況を見やる。
 彼女は微笑み、
「簡単なのですし。後は焼くだけです」
 器に出来上がったそれを流し込んでいく。
「チョコレートシフォンかあ……難しいイメージがあるんだけどなあ」
「メレンゲがちゃんとしてれば、そう難しくない……みたいです。私も初めて作ったんですけど……」
 うまく焼けるといいなあ、なんて不安そうにしている
 は笑う。
「大丈夫。悟飯なら失敗しても文句言わないから」
「え、悟飯くんですか?」
「……あれ? うちの息子にくれるんだよね、それ。――って、違ってたらゴメン」
 悟飯とは、傍目から見ても物凄く仲が良い。
 だからは、出来上がった物を悟飯にプレゼントするのだと、勝手に決め込んでいた。
 ――いや、でもが誰か男の子に渡すとかだと、うちの悟飯くんは。
 とっても不機嫌になる気がしてならない。
 唸っていると、
「あの、確かに悟飯くんにもあげますし」
 フォローされた。
 悟飯くんに『も』というのは、どういう意味だろう?
 もしかしての作っているコレは、所謂『友チョコ』というやつなのだろうか。
 意図が伝わったと思ったらしいは、に向けてとても可愛らしい笑顔を見せる。
「お世話になってるさんにも、食べてもらいたいんです。それに、悟天くんやちゃんや」
 そこでが「あ」と声を上げる。
 彼女は探るようにを見た。
「あの……悟空さんにも差し上げていいですか?」
「あはは、うん、大丈夫だよ。悟空ならなんでも食べるし。気にしてくれてありがとう」
 他の女性が己の夫にプレゼントなど。妻側からしたら不愉快かも知れないという、のちょっとした配慮からの言葉。
 けれどもは自分たちの家族であり、にとっては義妹だ。
 もっと気を抜いていいと思う。
「それじゃあ、焼き上がりを待ちながら、片付け――」
「お母さん」
 声をかけられ、二人は同時に振り向く。
 がちょこんと立っていた。
 確か、悟空や兄たちと一緒に出かけていたはずだけれど。
「あのねお母さん、わたしも、チョコ作りたい」
 驚いた。
 今までは食べ専門だったし、がバレンタインチョコをあげたいと思うほど好きな人を、はぱっと思いつかなかったから。
 悟天か悟飯だろうか。
 いや、トランクスかも知れない。
 ――って、あんまり探っちゃダメだよね。娘とはいえ。
 チョコレートの残りは、少ないけれどまだあった。
 は微笑み、の頭を優しく撫でる。
「じゃあ一緒に簡単なの作ろうか」
「うん!」



 板チョコを湯銭で溶かして、小さな型に入れて、ちょっとだけアーモンドでトッピング。
 冷やして固めて、ラッピング。
 は不慣れな手つきながらも、一生懸命にチョコレートを作った。
「できたっ!」
「うん、お疲れ様だね
「ねえちゃん、それ、あげるの?」
 余程気になったのだろう。が訊ねた。
 余ったチョコレートが元々少なかったため、が作ることができたのは、きっかり1人分。
 作っている最中のことを考えると、はよほどその人が好きらしい。
 物凄く真剣に作っていたし、今だって笑顔が輝いている。
 ににっこり笑った。
「うん、あげる。お母さん、ちょっと行ってくる」
「ど、どこに?」
「大丈夫、お父さんに連れて行ってもらうから危なくないよ。行ってきまーす!」
 言うが早いか、はぱたぱたと走って出て行ってしまった。
 は顔を見合わせる。
「悟空に連れて行ってもらうって」
「それじゃ、やっぱりトランクス君、でしょうか」



 悟空はいきなりに瞬間移動を頼まれ、快く引き受けたものの、娘が手に持っている物体を見て首を傾げた。
、それ」
「お父さん、今日はバレンタインだよ。お母さんとお姉ちゃんが朝からケーキ作ってたでしょ?」
「ああ。それは知ってっけど……」
 悟空は、はて、と腕を組む。
 確かバレンタインとは、女が好きな男に甘い菓子をあげる日だったはず。
 ――のケーキ、久しぶりだなあ。って、そうじゃなくてよ。
 がしがしと後頭部を掻き、悟空は娘の顔を見やった。
 幼い娘に、もう好きな男が?
 なんだかひどく複雑な気分になる。
 父親が娘を取られる気持ちとはこういうものか。
 それとも、娘の顔が愛しい妻そっくりだからか。
 なんにしても、悟飯と悟天が離れたところで修行していてよかった。
 兄らは、妹をとても大事にしているから。
 悟空は息を吐く。
「お父さん?」
「どこ行きてえんだ?」
「あのね」



 向かった先は、カプセルコーポレーションだった。
 ブルマ達は、珍しくリビングに集合してのんびりしているらしい。
 悟空とが入っていくと、全員の視線がこちらに向いた。
 特に、トランクスは期待に満ちた目での持っている、ラッピングされた物品を見つめていた。
「あら孫くん。はどうしたのよ」
「いや、がさぁ」
ちゃん?」
 ブルマに向かってお辞儀をする
 いらっしゃい、と声をかけながら、彼女の顔は非常ににやついている。
「あっらー! バレンタインチョコかしらソレ」
「うん」
「トランクスに?」
「ううん」
 あっさりと首を振ったに、トランクスが
「オレじゃないのかよ!」
 叫び、がっくりと肩を落とした。
 はにぱっと笑い、真っ直ぐに、ソファでコーヒーを飲んでいる――
「え、、まさかべジータにか!?」
 ブルマの夫に、チョコを差し出した。
 悟空が驚くのも無理はない。
 ブルマも驚いている。己の夫が、少なくとも子供に好かれる性質だとは思っていないからだ。
 べジータも相当驚いているらしく、ぎこちない動きでのチョコレートを受け取っていた。
 普段なら、最初は突っぱねそうなものなのに。
「お、おい……。これはオレのために作ったのか」
「うん! べジータさん、たくさんわたしのこと助けてくれたから。ありがとうってお礼!」
 言い放ち、はぱたぱたと悟空の元へと戻る。
 きゅっと手を握られ、悟空は未だ覚めやらぬ驚きのまま、
「え、っと……じゃあオラ帰るな。が待ってるしよ」
 軽く片手を上げ、瞬間移動でその場から消えた。
 その後、トランクスがべジータに恨み節を聞かせていたことを、悟空もも知らない。


 後に悟空から話を聞いたは、がチョコを手渡した相手がべジータだと知り、なんとなく納得した。
「なんだよ。驚かねえんか?」
「だってあの子、べジータ大好きだもん」



バレンタインなのに全く甘くなくてすみませ…。
2009・2・10