姉と妹



 完全に日も暮れ、微妙にぎこちない夕食が終わり、やたらと世話を焼いてくれるメイドを押しのけて風呂に入り、割り当てられた客室に戻った頃には、もう眠ってもいい頃合いになっていた。
 は洋服をきちんとたたんで、翌日に備える。
 そろそろベッドへ入ろうかと考えていた時――ドアをノックする音が聞こえた。
「入っていいかしら」
「どうぞ」
 入った来たのは黒髪の女の子――立場上はの双子の妹である――ビーデルだった。
 彼女は部屋に入ると扉をきっちり閉め、それを背にしてをじっと見た。
 嫌われているのかと思いながら、無言のビーデルを同じようにじっと見る。
 何を口にすればいいか分からず、でも無言が辛くて。
「ねえビーデルさん、なにか用が――」
「さん付けなんてしなくてもいいわよ。だってあなた、わたしの姉なんでしょ?」
 すっぱり言われ、は苦笑した。
 そんなに直ぐに受け入れてもらえるとは思っていなかったので、少々の驚きも混じりつつ。
「えーと。じゃあビーデル。あなたは私が姉だって……その、受け入れてくれるの?」
「受け入れるも何も、事実何だから仕方がないじゃない。それに、覚えてないの? わたしの事」
 覚えていないのかと問われ、は暫く考え――首を横に振った。
 自分の出生など、聞かされた範疇でしか覚えていない。
 ごめんなさいと肩をすくめながら言うに、ビーデルはため息をついた。
「わたしは少しだけ覚えてるわ。一緒に格闘技の訓練した事とかね。それにウチには写真だって残ってるんだもの」
「――そっか」
 確かにここは自分の家なのだと――改めて実感する。
 守られていた家だと。
 けれど、それはにとっては過去の話になってしまう。
 育ての親が自分の親だと、サタンを見てはっきりと思ったからだ。
 ミスター・サタンの娘であると――それこそ認めてもらったからといって、のなにが変わる訳でもない。
 それに気付いた。
 ビーデルの双子の姉である事に違いはないけれど、今更
『姉だからこれこれこうして欲しい』
 と言う気はない。もとよりそんな望みもないし。
 腕組みをし、ビーデルは静かな瞳でを見続けていた。
 同い年とは思えない、とは思う。
 サタンの娘であるという、風格の問題なのかも知れない。
「ねえ。ここに一緒に住まないって本当なの」
 頷くに、彼女は少しだけ眉根を寄せた。
 折角戻ってきたのにどうして――と言いた気なのが、表面に透けて見える。
「わたし、がここに居てくれると嬉しいのよ」
「どーして? ほとんど見ず知らずなのに。いきなり姉ができるんだよ? 不都合ばかりじゃないとか、思わない?」
「外からウチのパパはどう見えるか知らないけど。……わたし、昔から不思議な喪失感があったのよ。お姉さんとか妹とか欲しいって、本気で思ってた」
 言葉を区切り、彼女は微笑む。
「だからが現れて、嬉しいのよ。ホント」
 ビーデルは扉の前から動き、室内備え付けの椅子に座った。
 はベッドの上に座り、ビーデルの話の続きを聞く。
「もう暫くすれば高校に入るし、さえよければ」
 ここに居てと告げる彼女。
 しかしは首を横に振り――ごめんなさい、と断りを入れた。
「高校は行く。でも、ミスター・サタンの娘はビーデルだけ」
「どうしてよ」
「変に騒ぎにしたくないっていうのが一番。それと――」
 言っていいものか考える間もなく、の口からは言葉が滑り出していた。
「私の父と母は、やっぱり育ての親の方だって思えるから。……でも、ビーデルが姉妹だっていうのは嬉しいよ。本当に」
 真剣にひとつひとつを口にする。
 ビーデルは口を開きかけ――やがて閉じた。
「分かったわ。でも、たまにはウチに遊びに来てよね。それから、が住んでる場所、教えて。遊びに行くんだから」
 はにこりと微笑んだ。



 翌日。
 家へ戻ろうとするを、サタンは玄関まで見送りっていた。
 彼の表情は少し寂しそうだ。
 一緒にいるビーデルが、サタンを慰めるように肩を叩く。
「……門までは見送れんのが残念だ」
 人気者のサタン。
 もし見知らぬ女の子と一緒に、家から出て来たのを記者に撮られようものなら、次の日の大見出しになりかねない。
 それはも困るだろうという、彼なりの配慮だった。
。おまえの名を言えば、すぐに通すようにしておく。……たまには帰ってきておくれ」
「うん、ありがとう……お父さん」
 父、と言われた瞬間、サタンの両目から、ぶわっと涙が溢れた。
 そこまで感激されると、苦笑いをこぼすしかない。
「それじゃ、行きましょ。っていっても、門までだけどね」
「ありがと、ビーデル」
 連れ立って歩くとビーデルの後姿を、サタンは泣き泣き見つめていた。


 門を抜けた所で、はビーデルが持っていてくれた荷物を自分で持った。
「それじゃ、ここまででいいから。あー、そうそう。今住んでる場所はコレ」
 一切れの紙をビーデルに手渡す。
 が住んでいる家の住所が書いてあった。
 孫家の住所は、さすがに教えてはマズイような気がしたので未記載だが、現住所が分かればいいだろう。
 予告もなくいなくなる事もないので。
 ビーデルは紙を受け取って住所を確認すると、ポケットの中にしまった。
「変な事件に巻き込まれたりしたら、直ぐにウチに電話してよね」
「大丈夫。――ありがとね。それじゃ、また」
「ええ、またね」
 手を振り、サタン邸を後にした。



 自活している家に戻ると、部屋の前に誰かが立っているのが見えた。
 誰か――など、聞く必要もないほどに見知った人物。
 その人物はの気配を察し、手を振った。
 もその人に向けて手を振る。
「どうかしたの、悟飯くんー!」
 彼ははにかんだ笑みを浮かべ、
「ちょっと話があってー!」
 と答えを返した。
 話?
 疑問に首をかしげ、それからせかせかと部屋へ歩き出した。




2008・10・28