暗闇の中にいる。
 これはもう、過去のことだと分かっていても、苦しみは今でもそこにある。


悪夢


 その日、や悟天、が寝静まった頃、は咽喉の渇きを覚えて、寝室を抜け出した。
 キッチンで水を一杯のみ、さて寝ようと戻ろうとした時、悟飯の部屋から何か物音がして。
「……ドロボー?」
 ちょっとびくつきながら、でも強い悟飯のことだから、泥棒程度ならば撃退してしまうだろうし。
 色々考えた末、悟飯の部屋を訪ねることにした。
 寝ているだろうけれど、一応ノックしてそっと扉を開ける。
 泥棒がいるような気配はなかった。
 しかし――
「っ……うぁ……!」
「ご、悟飯くん!?」
 ベッドの上で、激しく苦しんでいるらしい悟飯に、慌てて駆け寄る。
 悟天とは、今日は母・と一緒に寝ているので、今悟飯の部屋には彼1人しかいない。
 汗をかき、シーツを掴んで眉根を寄せ、何かとても――そう、本当に苦しんでいる様子に、は思わず彼を揺すっていた。
「悟飯くん! 悟飯くんっ!!!」
「お父さ……っ……?? ……、さん??」
 ばっと目を開いた悟飯は、を目にして一瞬固まった。
 それから暫くして、事態が飲み込めたのか、落ち着いた様子で起き上がり、ベッドの縁に腰かけた。
 申し訳なさそうにに謝る。
「ご、ごめん……さん、どうしてここに」
「こっちこそゴメン。勝手に部屋入っちゃって……でも、何か物音がして……それで覗いて見たら、悟飯くんが苦しがってたもんだから」
「ううん、いいんだ」
 は椅子を借りて悟飯の前に座った。
 ……暫しの沈黙。
 どう切り出せばいいのか、にはよく分からなかった。
 病気ということではないのだろう。
 先ほどのあれは、多分――悪夢。
 にも似たような経験があったからだが、それにしても先ほどの悟飯の苦しみようは酷かった。
 悟飯は小さく息を吐き、困ったように笑んだ。
「母さんには言わないで欲しいんだ。……って言っても、もしかしたらとっくに気づいてるんだろうけど」
 聡い母だから。
 絶対に表に出さないようにしていても、不安や気分は伝わってしまう。
 は聞いた。
「言わないよ。でも……差し支えなければ、どうしたのか教えて欲しい。単純な悪夢かとも思ったけど、でもそんな感じじゃなかった」
 あんなに――悲しそうに、苦しそうに。
「……たまにだけどね、夢を見るんだ。もう終わってしまったことだけど」

 は悟飯の言葉を静かに聞いていた。
 セルとの戦いのこと。
 そして、その戦いの中で自分が調子に乗ったせいで、父親が帰らぬ人になってしまったこと。
 一時期よりは大分よくなったけれど、今でも、その時のときのことを思い出したり、夢に見たりすること……。

「母さんも父さんも……誰1人として僕を責めないんだ」
「だって……それは」
 が言いよどむ。
 悟飯は首を横に振った。
「分かってるんだ。皆が本心から、僕に頑張ったって言ってくれたことぐらい。僕を責めたって意味がないし、それ以前に、責める気がないことも分かってる」
 でも、と彼は付け加えた。
「僕は……僕の傲慢がお父さんを殺したって知ってる! 僕が殺したんだ!!」
 震える口唇から零れ落ちる言葉は、多分今まで誰にも言わなかったことなのだろう。
 苦悩に満ちた表情が、彼の今まで抱え込んでいた悩みや苦しみを物語っている。
「母さんが物凄く泣いて、苦しんだのを知ってる。母さんにとってお父さんは、必要な人だったのに……」
 は当然ながら、悟飯を責めるなんていうことをしなかった。
 ただ、『頑張ったね』、『お父さんの分まで、これから頑張ろうね』と、酷く優しい言葉をかけてくれた。
 悟飯はと悟空の間に、見えない力が働いているのを知っていた。
 あの世にいる悟空に、会いに行く力を持っていることも知っている。
 けれど、どんなに会えるとしても、そこには今までにない絶対の隔たりがある。
 悟飯の前ではいつも通りにしていても、夜1人で、声を殺して泣いていたのを知っている。
 以前、悟空は言っていた。
と自分は多分引き合っているのだろう』と。
 両親を見ていると、運命と言う言葉が信じられた。
 その片方を自分が切り取った。
 奢りが招いたこと。
 忘れられるはずがない。
 彼の心を象徴するかのように、セルと父が消える場面が、夢の中に現れるのだ。
 何度繰り返しても、変えられない。
 夢の中でさえ自分は、父親を見殺しにしてしまう。
 自らの声でうなされて起きることもあれば、終わりのない夢の如く続いていき、朝、目が覚めると、全身が汗でびっしょりになっていることもあった。
 悪夢。
 しかし単なる悪夢ではなく、悟飯が実際に目にしたものが映し出されている。
 それは彼にとっては悪夢以上の存在だった。

 しん、とした部屋の中。
 は悟飯の苦しみに――涙が溢れた。
 今の彼の目の前で涙を零すことは、不謹慎な気がして、慌てて雫を拭う。
「悟飯くん、いっぱい苦しんでるんだね……」
 言葉をかけるのが、とても難しかった。
「私はその場面を見てないし、ホント言うと……その、苦しみは分けられないから、どうしようもないんだけど……。悟飯くんの苦しみは、やっぱり悟飯くんのものだし。さんの苦しみは、さんのものであるように」
「……うん」
「でもね、そのことを引きずって生きていくのは、お父さんとさんに、とっても失礼なことじゃないかなって思う」
「……失礼な、こと?」
 顔を上げて不思議そうな顔をする悟飯に、は頷く。
 あくまで自分の観点からの話だから、と付け加えて先を進めた。
「お父さんは、悟飯くんに『頑張った』って言った。さんも。悟飯くんの気持ちの重石になろうとは、思ってないと思うんだ」
「でも……お父さんは死んでしまって……それは変えられない」
「変えられないけど、過去の自分の過ちに囚われすぎてるのは、助けてくれたお父さんや、育ててくれてるさんが悲しむんじゃないかな」
 無言になる悟飯。
 はなおも続けた。
「しっかりしすぎなくても、いいと思うんだ。人なんだから。苦しい時はさんや私や……助けてくれる人を頼ったって。……私がそう思うだけだから。ごめんね、色々言って」
「……さん、ありがとう」
「元気出して、って言うのは簡単だよね……。今度また悟飯くんがうなされてたら、私絶対に起こしに来るからね!」
「そう、だね。頼りにしてます」
「じゃあ、お休み。今度はゆっくり休んでね」
 にこりと笑いかけ、は悟飯の部屋を出て行った。

 ベッドに入った悟飯は、暫く寝付けなかった。
 ……も形は違えど、両親を亡くしたから……自分が抱いている
 気持ちを少し、理解したのかもしれないと思う。
 自分のように、父親を自分の責任で殺してしまったわけではないが、それでもやっぱり親の死というのは衝撃なことに違いはない。
「過去の過ちに囚われすぎは……か」
 父は笑って死んでいった。
 クリリンが言っていた言葉を思い出す。
『悟空は、お前の成長した姿がとても嬉しかったんだろう』
 自分がこんな風に苦しんでいる姿を見たら、心配するだろう。
 母だって、こっそり心配しているのかも知れない。
 しっかりしようとする心は確かに大事だが、それは1人で何でもやれということではない。
 1人で背負いすぎているのだと、は言外に言っているのだろう。
「……お父さん、そうだよね。お母さんだって悟天だってだって、さんだっている」
 天井を仰ぎ、息を吐く。

 ……その後、悪夢を見る回数は少なくなった。



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割合シリアスな回でした。何より悟飯が一番辛い部分だと思うのです。
2005・8・5