一度強烈に残った印象というのは、年数を経てもなお、中々に抜けないものらしい。
 こと何年も会っていないような仲では。


今と昔の違い



「全く悟空さは変わってねえだなあ。嫁っこさ置いて修行だのなんだのと……さんが可哀想だべ」
 ティーカップを片手に、突然そんなことを言い出した牛魔王の娘であるチチ。
 隣に座る彼女に、は目を瞬く。
 同じくテーブルを囲んでお茶をしているブルマに目を向けると、何やら苦笑いを浮かべられた。
 ブウと戦った記憶もまだ新しく、けれど元の生活に戻るには充分な時間が経った頃。久々に時間をとり、ブルマ宅でお茶をすることになった。
 丁度、チチが所用で都にでてきていた為、そのまま流れで彼女も誘って今に至る。
 は悟空と一緒に来たものの、彼は来るや否や、ベジータに引きずられてトレーニング部屋へと行ってしまった。
 元々、ブルマは女だけでお茶を楽しみたかったようだし、もしかしたらベジータに悟空を連れて行くように言ってあったのかも知れない。
 もっともそんな事を言っておかずとも、彼ならば修行をする為にそちらへ出向いただろうが。
 残った面子であれこれと話をしていた最中に、チチの突然のその台詞。
 としては少しばかり面食らってしまった。
 飲みかけのカップを置き、何やら眉根を寄せているチチに声をかける。
「んー。自分では可哀想だとは思ってないし、いつもの事だから気にしてないよ」
「そったらこと……大体、普段もこうだっていうのが信じられねえだ。家事の手伝いとかしてるだか?」
 家事。
 が天井を仰ぎ見ると、ブルマがけらけらと笑う。
「孫くんにやらせたら仕事が増えちゃうわよー」
「手伝ってくれないわけじゃないよ? ただほら、自分がやっちゃった方が早いとういうか」
 ――あまり悟空のやる事を阻害したくないというか。
 口ごもるに対し、胡乱気な眼差しを向けるチチ。
 は苦笑いを浮かべ、どうしたものかと考えた。
 チチの夫は異世界から来たの幼馴染みだ。かなり良き夫をしているという話なので思う所が色々あるのだろう。
 かといって悟空が何か劣っているとは全く思わない。
 むしろ彼よりいい人がいるとは思えない――なんていうことは言わないでおく。
 惚気になってしまうし、そうしたい訳ではないし。
 どう言えばいいかと唸っていると、チチは大きなため息をついた。
 ブルマが二人の様子にからからと笑う。
「チチさん、そんなに心配しなくても大丈夫よ。孫くんのへの対応ったら、ほーんと、とんでもないんだから」
「でもなぁ、悟空さは淡泊なのではねえか? 愛情表現なんてものと関わり合いがなさそうだ……さん、ちゃんと愛してもらってるだか?」
 ぶふっと飲みかけの紅茶を吐き出しそうになった。
 はけほけほと軽く咽せると、横目でチチを見やる。
 どこからどう見ても真剣な表情で、茶化している風ではない。
 優雅な動きで紅茶を飲みながら、夫婦のマンネリがいかに重大事か、解消に努めなければならない事かを訥々と語ってくれている。
 ――いや、あの。マンネリとかしてないですから!
 心の中で叫ぶも、助けを求めたブルマを見やればにんまりと笑っていて。
 そもそも最初から面白半分だったらしい。は深く深くため息をつく。
 自分としては、悟空が淡白などという印象は全くない。むしろ逆なのだが、遥か以前の印象のままのチチにとってみたらそれが真実なのだろう。
 ブルマは現状を知っているはずなのだが、面白がって手助けしてくれる様子もない――それどころか、
「じゃあ、試してみましょうか」
 にっこり笑って何やらとんでもない事を言い始めた。
「ね、。孫くんに、好きな人ができたのーって言ってご覧なさいよ」
「は!?」
 ぎょっとして口を開ける
 ブルマの発言は悪ふざけにしてはなかなか性質が悪いと思う。
 冗談でも口にしたくない事柄だし、その発言で彼が無反応なはずがないという自負もある。
 兎にも角にもやりたくない。
「わっ、私ぜったいに嫌だ。怖いもん!」
 残っていたお茶を勢いで飲み干し、空にしたカップをそっと置く。
 の言葉にチチは首を傾げ、何がそんなに怖いのかと訊ねてきた。
 ――そんなの決まってる。
「後が! 怖い!!」
 力を込めた声で言うが、ブルマとチチにけらけらと笑われてしまった。
 前者は恐らく起る事を分かっていて、後者はそんな事はないだろうと思って。
 は額に手をやり、はーっと息を吐く。
 チチの中での悟空は、結婚をあっさりと――まあいっか、で決めたその時のままの印象なのだ。
 冗談ではない。『今』の彼にそんな事を言おうものなら――。
 ぶるぶると首を振るが更に拒否の言葉をかけようとした、時。
 リビングの扉が開いて、悟空とベジータが戻ってきた。
「ひゃー、一気に動いたから喉乾いたぞー!」
 悟空は言いながら勝手知ったる我が家の如く、リビング用に設置してある冷蔵庫を開けると中からスポーツドリンクを取り出して一気飲みする。
 念の為と持って来ていた二着目の道着に着替えているところを見ると、修行終わりにシャワーでも浴びてきたらしい。
 ベジータは女性が固まっているテーブル周りにいる気がなかったらしく、ドリンクを取るとさっさと部屋の外へ出て行ってしまった。
 悟空はごく自然にの隣へ椅子を引っ張り、腰を下ろす。
「悟空、お疲れさま」
「ああ。でもちぃっと運動したりねえ気がすっぞ」
「流石にこの家で全力で戦ったりしたら壊れちゃうもん、手加減してもらわないとね」
 くすくす笑うに、悟空も笑顔を向ける。
 どことなく色づいた雰囲気も慣れたものだった――が。
「ところで孫くん。??実はさっき聞いちゃったの」
「なんだ?」
「ちょ、ちょっと、ブルマ……?」
 含み笑いを堪えたようなブルマの声に嫌な予感がし、が彼女を見やれば。
 ――わ、笑ってる。真面目な顔作ってても、口の端が上がってるんだけど!?
 チチはじっとこちらを見つめているし、何とも居心地が悪い。
 悟空はきょとんとしてブルマに視線を送っている。
「ごっ、悟空、ちょっと外出よう! 買い物つきあ……」
、ちょっと気になってる男の子がいるらしいわよ」
 人の努力を無駄にするような容赦なく放たれた言葉に、はびくりと体を震わせた。
 恐る恐る隣の夫の顔を見れば。
 ――凄い笑顔ですね! 目が全く笑ってないんだけど!?
、今の話ってなんだ? どーいう意味かオラよくわかんねえなぁ」
 彼は頬杖をついた状態で、ぐい、とこちらに顔を近づけてくる。
 目の前に来る端正な顔。
 何年経っても慣れない至近距離。急にこられると顔が熱くなるのはいい加減改めたい。
「いやあの、悟空落ち着いて……って」
「んー? オラ落ち着いてっぞ」
「うっ、嘘だ!!」
 至近距離にある彼の目は、普段の黒色とは違って翡翠色をしている。
 超化しているときのそれと一緒だ。興奮しているのか、怒っているのか、それとも。
 視線を逸らそうとしたを逃がさないとばかりに、悟空がの頤をぐっと掴んだ。
 ブルマの冷やかすような口笛が耳に入るも、にはとても視線を向ける余裕はない。
「なぁ。男ってなんだ?」
「い、いや今のはブルマが勝手に……っん!」
 掴まれた顎を引き寄せれられ、強く口唇を吸われる。身体を引いて逃げようとすると、ひょいっと持ち上げられ彼を跨ぐように座らされて。
 がっしり抱き締められて身動きもとれず、再開された呼吸すら奪われるような激しいそれに涙が浮いてきた。
「ひぃえぇぇぇ!! ごっ、悟空さなにしてるだ!!?」
 真横からのチチの悲鳴もなんとやら。悟空は全く行動を自制しようとしない。
 否、できないのだろうか。
「……、どこのどいつだ? オラからおめえを引き離そうっちゅー奴は」
 激しいキスから解放されたものの、息苦しさからくたりと悟空の肩に寄りかかる。
 返答できないのを分かっていて聞いているのか、否か。
 そろりと腰を移動しようとしてみたが、引き寄せられてより密着するだけだった。
「な、。オラ、おめえが居なきゃダメだって知ってっだろ。なのにオラ以外の奴に目ェ向けるなんて酷ぇじゃねぇか」
 声色こそ軽妙な雰囲気を含んでいるが、向けてくる目が全く笑っていない。
「だ、から誤解だってばっ」
「どの辺がだ?」
「最初から最後までぜんぶ!」
 涙目になりながら睨みつける
「私が! あなた以外に好きになる男がいるわけないでしょうが!!」
 そもそも興味がない!
 悟空以外に向ける目なんて持ってません!!
 半ば自棄っぱちでそんな事を言うと、ブルマが口笛を吹いた。
 恥ずかしいからやめて欲しい。
 悟空は探るように目を細めてじっと見つめ、ややあってへらりと笑った。
 急に変わった雰囲気に、は目を瞬く。
「ご、悟空?」
 ぽんぽんと頭を撫でられ、
「なあ。わざとオラにヤキモチ焼かせてどーするつもりだったんだ?」
 不思議そうな声で言われた。
 ……なんだ、わかってたの。
 の心の声を代弁するかのように、ブルマがまるで同じ台詞を吐いた。
「なんだ孫くん、わかってたの?」
 悟空はを抱きかかえたまま、首だけ軽くひねってブルマを見た。
「そりゃあなぁ。悪ぃけど、がオラから離れるなんて考えられねえよ。離れようとしたとこで、オラは逃がさねえけどな?」
 それでも嫉妬しちまうのはしょうがねえだろ、と爽やかな笑顔でそんな事を言う夫に、は苦笑いを浮かべる。
 逃がしてもらうつもりもない、とは言わなかった。
 そんな二人の様子に、悲鳴を上げてから今まで押し黙っていたチチが震えたような声を上げる。
「ご、悟空さ……随分とさんに入れ込んでるだな。おら吃驚しただ。悟空さの事だから、てっきり、さんに愛情表現しねえでいると思っとっただよ」
「イレコンデルっちゅーのはよう分からんけど、オラ、が大事だかんなあ。たまに訳わかんなくなるぐれぇ、可愛くってしょうがなくなっちまう」
 さらりと恐ろしい惚気を言い放つ彼に、は顔が熱くなるのを感じる。
 昔から何事も遠慮なく口にすると思っているし、理解もしているが恥ずかしい。
「悟空、あの、そろそろ離れていいかな」
「駄目だ。オラにやきもち焼かせた罰ってやつだ」
恥ずかしがっているのを理解していてこれだ。触れているのは決して嫌ではないのだけれど。
 はふ、と息を吐き、諦めて彼の体に寄りかかる。
 優しく背を撫でてくれる彼の手を心地よく感じてしまうのは、惚れた弱みに違いない。
「人間、変われば変わるもんだなや」
 しみじみと言うチチ。ブルマは面白そうに笑って彼女に話しかける。
「武道会で結婚のあれこれを起こした頃と、ぜんっぜん違うでしょ?」
「ほんに驚いたべ。淡白どころじゃねえだ」
「普通、年重ねる毎になんていうか自然と落ち着いてくるものだけど、孫くんは逆だって思うぐらいなのよね」
「オラ、若ぇ頃はどう伝えていいか分かんねえ事が多かったかんな。反動って奴かもな?」
 若い頃から割と激しめだったような気がする、とは言えないであった。


「ところで悟空。わざとだって分かってて、あんな……」
が言いてえのは、分かっててなんであんなちゅーしたかって事け?」
「そう」
「言ったろ。分かってたってヤキモチすんだって。周りが見えなくなっちまっただけだぞ」
悪びれもなくしれっと言う夫に、嬉しさを感じてしまうあたり自分も相当やられている。
 がため息をつく姿を見て、ブルマとチチが笑っていたとかなんとか。



2015・4・8
リハビリ回のような。

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