悟空はから真珠を受け取り、お堂の戸を開く。 中は空洞で、下は海神の洞とやらに繋がっている。 彼はそこに真珠を入れると、お堂の戸を閉めた。 後は、と一緒に島へ歩いて帰るだけ。 水面の衣、空色の真珠 3 波が打ち寄せ、少しずつ砂の道を削り、隠してゆく。 半欠けの月が世界に薄光の絹をかけ、周囲の星が夜空にアクセントを加えていた。 青く透明な海は、皓月を受けて、より明暗を色濃く瞳に映す。 白波の側を歩く少年と少女に、晶光は優しく降り注いでいる。 悟空は少し前を歩く少女――――を眺めながら、ただ何となく歩いて行く。 2人の間に会話はなく、かといって無理に会話しなくてはという気負いもなく。 ただ、自然な沈黙があった。 薄く青白い光の道になって、浮き上がって見える砂の道の先へと目線を向ければ、遠くにいくつもの灯りが見える。 島民が、<海神の儀式>を終えて戻ってくる2人を待っている証拠である。 「悟空、おなか空かない?」 言われ、悟空は己の腹をさする。 歩みを止めぬままに答えた。 「減ったなぁ……」 「帰ったら、お祭りの料理をたくさん食べられるよ、きっと。私もおなか空いちゃった」 はふ、と息を吐く彼女。 聞けば、朝食以降、なにも口にしていないらしく。 ただでさえ自分より食が細いだけに、悟空はほんの少し心配になる。 もちろんは普通量(一般的)な食事をしているのだが、悟空にとって、彼女のそれは恐ろしく少ないように見えていた。 少し歩きを早め、あれこれと着飾られている彼女の横で、一緒になって歩きながら、、それとなく注意する。 「ちゃんとハラいっぱい食わねえと、でっかくなれねえんだぞ?」 「ご、悟空の量はさすがに入らないよぅ……」 いつもお腹一杯に食べているのだけれど、と言う。 悟空は、 「ならいいけどさぁ」 とだけ呟き、口をつぐむ。 さく、さく。 砂を踏みしめる音が響く。 波の音に打ち消されてもいいような小さな音なのに、不思議と耳に届く足音。 横を歩くが、海を見やり、目を細める。 「この世界って、とってもキレイ」 「んトコは違ったのか?」 彼女は首をかしげて考える素振りを見せ――唸る。 「うーん。全部を知ってるわけじゃないけど。私の家から見えた海と、この世界の海は……凄く違うよ。青い色が全然違うの」 「ふぅーん」 残念ながら、悟空にはの言う事が、よく理解できなかった。 彼女の世界の海を見たら、自分は一体、どんな感想を持つのかと考えてみるが、直ぐに諦めた。 自分が見ている海とは違うそれを、全然想像できなくて。 「オラ、いつかおめえの世界に行ってみてえなあ」 「……学校に悟空がいるのを考えると、少し笑える」 くすくすと笑う。 悟空もつられて笑った。 隣を歩く彼女を見やりながら、悟空は不思議な感覚に囚われていた。 いつもとは違う格好の。 それだけなのに、彼女が――別人みたいで。 本当に、その――よく分からないけれど、海神の息子とやらが出てきて、彼女をどこかへ、連れて行くのではないかと思えるほどに。 どこか現実感が欠如した風景の中だから、悟空は無意識的にそう感じているのかも 知れなかった。 濃紺色の揺らめく世界に月光が降り注ぎ、海は青く光り、砂の道は白い。 悟空との行く道の砂は、細かい光になってさらさらと流れていた。 海風にふわりと舞い上がる砂。 時折、足元をすくうようにやってく白波。 まるで、をそのまま何処かへ連れて行ってしまいそうな――。 悟空は思わず、の手をぎゅっと掴んでいた。 「……?? どうかした?」 突然手を掴まれて驚いたらしいは、少しだけ困惑したような表情で悟空に問うた。 彼は首を横に振る。 「いんや、別になんでもねえけど……」 そう? と口にし、は悟空の手をすり抜けて、歩いていこうとする。 それを目にした悟空は、彼女の手を強く掴んでいた。 引き止めるみたいに。 温かい彼女の温もりが、手を伝ってやってくる。 それは確かに、がここにいるという証。 「悟空?」 目をぱちくりさせている。 けれど悟空は手を離さない。 離すつもりもなかった。 「海に落っこちたら、あぶねえだろ?」 だから手をつないだと言わんばかりに、ぎゅっと手を握って悟空が先を歩く。 「? うん……」 「……さあ、どこもいかねえよな」 「はい?」 いきなり言われ、が目を瞬く。 少し先を行く彼の表情は、いつもと同じよう。 は少し考え―― 「私は元々ここにいる人間じゃないから……分からないよ……」 苦々しく言った。 「だって、いきなりいなくなっちゃってるし、お母さん心配してるだろうし……そりゃあ、悟空やみんなと……一緒に居たいけど。でも、いきなりどうしてそんなこと言い出すの?」 変だよとばかりに顔をしかめる。 悟空は自分の中にある感情を扱いかねて、ほんの少し――歩みを速めた。 機嫌が悪くなったとかではなく、たまらなく不安で。 引っ張る形になってしまっていたのか、は眉根を寄せた。 「ちょ、ちょっと痛いよぉ、悟空ってば!」 「…………」 ぴたり、と動きを止める。 そろりと斜め後ろを向き、彼女の姿を目にした。 綺麗な黒い髪が、海風になびく。 いつもは好きな彼女の瞳が、今は不安に揺れていた。 なにか気に触ることをしたのかと考えているような――そんな瞳。 がなにかをした訳じゃない。 悟空は自分の心を計りかねて、むっつりと押し黙った。 「……悟空? どうしたの??」 あまりに態度がおかしいと感じたのか、は心配そうな声を上げる。 だが、悟空はなんといっていいのか分からず、足元を見つめる。 月光に当てられて白く輝く砂が、2人の素足を撫でてゆく。 悟空はぎゅっと口唇を噛み、を見た。 心配そうに自分を見つめる瞳に、たまらなく胸が荒ぶる。 溢れかえる訳の分からない気持ちと、胸をかきむしられたような ――不快ではないけれど――ひどく落ち着かないざわつき。 彼はその時、その正体を理解することができなかった。 「悟空……?」 名を囁かれ、理解不能の感情が一層大きくなる。 「……なにも言わねえで、いなくならねえでくれ」 切なげな声。 自分で発したはずなのに、それはどこか別の人物のようにも思えた。 足元の砂が、海風で舞いあがる。 砂粒は極々小さな光となり、2人の周囲に撒かれ、風に乗って消えてゆく。 2人は見詰め合ったまま、暫くの間身じろぎすらしなかった。 ふいに、がふわりと笑み、悟空の胸に顔を押し付けた。 「うわ、?」 「……だいじょぶ。なんにも言わないで消えたりしないよ、絶対」 ね、と笑いかけてぎゅっと手を握り返す彼女。 悟空の胸に、小さな火が灯る。 ぽつりと宿ったそれは、彼のその後の人生を決定付けるものだったけれど、どちらも――今、それに気付くことはなかった。 海風が、2人を撫でる。 の――今は深い海色と濃紺の空色をした――スカートが、ふわりと舞った。 白い砂が彼女のスカートに誘われ、けれど纏わりつくことなく離れて消える。 足元から星空が広がっていくように見えた。 夜の海はたゆたい、の衣はそれを受け、綺麗に揺らめく。 どちらともなく、また道を歩み出す。 手をつないで、一緒に。 この日、悟空の胸に宿ったもの。 それは紛れもない、恋。 幼い少年は、黒髪の少女に恋をした。 そして少女もまた、少年に想いを抱く。 言葉にして告げられるその日まで、大事にしまい続けた――初恋。 ------------------------------------------------------------ 初恋しましたよ編終了。甘くない気がする。…甘みが足りないのか実際。 ま、まあ、こんな事がありましたよーな感じで。個人的には気に入ってますが。 2005・9・9 戻 |