安堵の時 2


 ふぅ、と眠りの淵から意識が上る。
 未だぼんやりした覚醒の中、は身じろぎしようとして、体が自由にならないことに気づく。
 自分を閉じ込めている温もりは、もう2度と戻ってくるはずのなかったものだ。
 は微笑み、彼――孫悟空の胸に体を寄せる。
 もう少しだけ、このまどろみの中に溶けていたいと思った。


 悟空は、腕の中の妻が身じろぎするのを感じながらも、抱きしめた腕を放そうとはしなかった。
 彼はよりも随分先に目覚めていたが、疲れから普段より深く眠りに落ちているらしい彼女を、起こすことはしなかった。
 またこうして、安らかな寝顔を傍にすることがあるとは思わなかった。
 肌に伝わる温もりを愛しく思いながら、悟空は瞳を閉じる。
 何者にも邪魔されない時間が、永遠に続けばいいと思いながら。




 ブルマの言っていた『祝勝会』は、当然仲間内だけの小さなものだが、サイヤ人とそのハーフが出席者の多くを占めるため、用意される料理の分量は相当なもの。
 急な発案にも関わらず、午後までには対サイヤ人の胃の分量で総ての準備が整うのは、カプセルコーポレーションの資財と、並々ならぬ技術を持つお手伝いロボットのなせる業だろう。
 会議で使われることもある大きな部屋に、着々と料理が運ばれているであろうことを考えながら、は目の前の光景に腕を組んだ。
「それで、これは何?」
 訊ねたの正面には、にやにやした笑みを貼り付けているブルマがいる。
 がちらりと自分の脇を見やれば、目を瞬いているの姿。
 彼女たちも展開に付いていけないらしい。
 なにぶん、パオズ山で生活している分には、こんなもの――ドレス――など不必要だし、見たことだってないはずだ。ましてや、こんなにも大量では。
 大きな移動式ハンガーにかけられた、呆れるぐらいのドレスの数に気おされて、は少しばかり挙動不審になっている。
「ブルマさん、あの、これ」
「さ! ちゃんも着替えるのよ」
「ちょ、ちょっとブルマ? やだよ私、こんな堅苦しそうな」
 文句を言うに、ブルマはきつい目線を送る。
 ぎくりとして言葉を止めた。これは、こちらの言い分を聞いてくれない時の目だ。
「せっかくお祝いなんだから、たまにはドレスアップしなさい。……あんた山暮らししてるから、オシャレと縁遠くなってるでしょう。今日ぐらいは母親業をお休みしなさい!」
「お休みって……」
「つべこべ言わない! それじゃ始めましょうか。まずはちゃんからね」
「お、お母さん……!」
 手を引かれて、簡易試着室に引きずり込まれるを見ながら、は苦笑いを浮かべることしかできなかった。


 たちが着替えを済ませ、準備の整った会議室の中に入ると、既に食事を始めていた皆の視線が一斉にこちらを向いた。
 数名がおぉ、となにかに感動したかのような声を上げる。
 一番大声だったのはヤムチャだ。
「うわー、凄くいいよ……」
 だらしなく表情を緩ませているヤムチャを、クリリンが肘で突っつく。
「だ、ダメですよヤムチャさん。そんな顔で悟空の嫁さんだの娘さんだの、悟飯の彼女だの見たら……ボコボコにされますよ」
 小声のはずだったが、
「彼女じゃないですよ。家族です」
 いつの間にやら近くにいたに、しっかり聞こえていたらしい。
 彼女は
「ヤムチャさんにはもっと可愛い彼女が出来ますよ」
 臆面もなく言うと、半ば呆けている悟飯と、これまた可愛らしく着飾っているビーデルの方へと歩いて行った。


 淡草色の綺麗なマーメイドドレスが、ひらりと舞う。
 は、若干そのひらひらを鬱陶しく思いながら、驚いて固まっている悟飯とビーデルの前に立ち、苦笑を浮かべた。
「気持ちは分かるけど、もう少し温かく迎えて欲しいな」
「えっ、ごめん! けど、どうしたのよその格好!」
「ビーデルだってフォーマル着てるじゃない。可愛いよ?」
 彼女らしいと言えばそうなのだろうか。タイトなスカートはスポーティな彼女に似合っている。
 裾が短いなあなんて、どこぞの親父のような事を考えてしまうが。
 目一杯お洒落してきたのだろう、気合いの入ったビーデルを、隣にいる悟飯はどう思ったのだろうか。
 ふ、と悟飯に目をやると、彼は真っ赤になって口元に手をやっている。
「悟飯くん?」
「……あ、はい! いえそのっ……ってます」
 最後の方は尻すぼみではっきりとは聞こえなかったが、「似合ってる」と言ってくれたのだろうと察し、はありがとうと笑った。
「はー、なんか着替えるだけで疲れちゃった。ジュース取ってくる」
「あ、それじゃ僕も一緒に行きますよ。丁度切れたところだし」
「ビーデルは?」
 訊ねれば、
「ううん、いいわ。……あっちでパパが騒いでるから、止めてくるわ。全くもう」
 少し離れたところで、完全に酔っ払っているミスター・サタンを示した。
 彼女が行ってしまうと、は飲み物が置いてある一角へ向かい、リンゴジュースを手に取る。
 悟飯は口の中をすっきりさせたいと、緑茶を注いだ。
 はその場でジュースをひとくち飲む。甘い味が咽を通り過ぎていった。
「本当、お疲れ様だよね、みんな」
「ええ。一時はどうなるかと思いましたが……」
 それにしても、とは息を吐く。
「私、なにも出来なかったな……」
 戦えもせず、祈ることしか出来なかった。
 それでも、ビーデルや悟飯のように戦う力が欲しいかと言われれば、はっきり頷くことができない。
 未知のものと敵対するのは恐ろしいし、自分が修行したとて、とても孫家の皆のようにはなれないと、どこかで知っているからかも知れない。
 乾いた笑いを零すに、悟飯が首を振った。
さんが……みんながいるから僕たちは頑張れたんですよ」
 彼は真剣な瞳で、オレンジ色の液体が入ったグラスの中を見つめている。
 はそんな彼の姿に視線を向けながら、次の言葉を待った。
「少なくとも僕は、さんと……っ、そ、それに家族や友達がいると思うから、戦えたんです。不甲斐ない結果でしたけど……だから」
「……うん、そうだね、ごめん。ありがとう悟飯くん」
 微笑む。悟飯がごくんと息を呑んだことに、彼女は気づかなかった。
「……、さん。あの、僕」
「なんでだよーーーー!!」
 大事なことを口にしようとした悟飯の言葉にかぶさり、トランクスの大声が響いた。
 悟飯とがそちらを向くと、いつもの三人組――と悟天、そしてトランクスの姿が在った。


 不満をめいっぱい顔に貼り付けているトランクスと、同じような表情をしている双子の兄を眺めながら、はちびちびとジュースを飲んでいる。
「……トランクスくん、声おっきいよ?」
 注意してみるものの、彼――彼らの勢いは止まらない。
はオレが正しいと思うだろ? だってブウに勝ったじゃないか!」
 己の正当性を訴えるトランクスの腕を引っ張り、悟天が妹を護るように立ちはだかる。
「だめに決まってるでしょ! ボク、ゆるさないからね!」
「な、なんだよ悟天ッ」
「だって、けっきょくお父さんたちが倒したんだよ。ボクたちの力じゃないじゃないかっ」
「そ、それはそうだけど!」
「ダメだったらダメ! とトランクスくんがケッコンなんて、ボクみとめないからね」
 鼻を鳴らしてぷいっと横を向く悟天。
 トランクスは歯噛みしながら、我関せずといった態度のの手を握った。
は、オレのこと好きだろ?」
「うん。でもトランクスくんよりトランクスくんのお父さんのほうがスキー」
 トランクスと悟天の後ろに、『ガーン』と衝撃音が入った。
 は、それはそれは嬉しそうに微笑む。
「べジータさん、やさしいしカッコイイもん!」
 二人同時に、崩れ落ちるようにして地面に膝をついた。
 なにか酷いものを見聞きしたようだった。


 悟空が物凄い勢いで食べ物を掻き込んでいるその横、ブルマと話をしていたは、ふと視線を空に向けた。
「ブルマ、私ちょっと抜けるね」
「え、ちょっとどこ行くのよ」
、どっか行くんか?」
 骨付き肉をすっかり平らげて、手を拭いている悟空が首を傾げる。
「うん。父さんのとこに……心配かけちゃったし、顔見せしようかと」
「そっか。んじゃオラも行く」
 悟空の手が腰に回る。
 はブルマに子供たちを頼むと、軽く目を閉じた。
 僅かに身体が引かれる感覚。
 直後、目を開けばそこには義父の住まいの前で。
 悟空から身体を離し、は家戸を開き、
「おとーさーん」
 声をかけた。



2010・1・23