あちこちに激戦の痕を残す界王神界。
 に支えられながら、はその風景を眺めていた。
 急に、の温もりが離れる。
 支えがなくなってよろけそうになった身体を、力強い手が支えた。
 ぐっと身体を引かれる。視界が遮られた。
 瞳を閉じ、その温もりに身を寄せる。
……」
「悟空……ありがと……」
 彼の温もりを感じながら、はやっとで実感する。
 真実、脅威は払拭されたのだと。



安堵の時 1



 は抱き締めてくる悟空を抱き返そうとして、体中が悲鳴を上げていることに気付いた。
 軽く呻くと、悟空が心配そうにこちらを見つめてくる。
「わ、悪ぃ! でえじょぶか……?」
「っつぅ……悟空のせいじゃないから」
「治せねえのか?」
 身体を離しながら、けれど支えてはくれている悟空。
 は首を振った。
「残念ながら、回復しようとすると例によって悪化するみたい」
 今回は最後まで力保てたから、それでもセル戦のときより大分成長してる、とは思う。
 能力自体もストップしていないから。
 ただ、使えるかと言われると、それはまた別の話なのだけれど。
「……結構、あっちこっち怪我したな?」
 血の跡を見て、悟空は渋い顔をする。
 は軽く笑った。
「あは、だいじょぶ。デンデが戻ってきたら治してもらうから。それよりは……」
「ベジータの側についてる」
「ほんとうちの娘は、ベジータ大好きだね」
 軽口を叩いていると、ミスター・サタンが恐る恐る声をかけてきた。
「な、なあ……やったのか? やったんだろ??」
 と悟空が同時にサタンを見て、笑う。
 サタンはぱっと顔を明るくさせ、拳を振り上げた。
「地球の諸君! 格闘技世界チャンピオンミスター・サタンだ! 諸君の協力もあって恐ろしい魔人ブウはたった今死んだ! もう安心だ! 恐怖から解されたのだ!!」
 サタンが地球に向けて声を張る。
 地球側から、盛大なサタンコールが聞こえてきた。
 そのうちにそれは拍手になって、遠のいていく。
 界王がテレパシーを切ったのだろう。
「後で父さんにもお礼言いにいかなきゃ……」
 顔を見て、ちゃんと言うべきだ。心配ばっかりかけてしまったし。
 思った直後、
『疲れが取れたらでよいぞ』
 界王の気遣いの意思が伝わってきた。は微かに微笑むと、お礼を伝えた。
「悟空さーーーん!!」
「デンデ!」
 少し放れた場所からかけられた声。
 そちらを見れば、満面の笑みを浮かべているデンデとサタンの所へ直行する犬、界王神界の惨状を見て呆れている老界王神、微妙な笑みを浮かべている界王神の姿があった。
 脅威が去ったので、戻ってきたのだろう。
 デンデはと悟空に駆け寄った。
「なんと言えばいいのか……と、とにかく悟空さんとさん、傷を……」
「オラよりを」
「あ、はい」
 は素直にデンデに治療を任せる。
 温かな力が流れ込んできて、全身を舐めていく。
 戦いでできた打撲痕も、異能力のせいでできた切り傷の類も、全てが綺麗に治った。
 異能力自体は、やはり暫く間を置かないと使えない程度だけれど、仕方がない。
 そもそも休止状態から回復し、すぐに無理をして使っていたのだ。
 今まで保てたことのほうが驚きだ。
「次は……」
「ああ……悪ぃ、ベジータの怪我を先に治してやってくれ。あいつ相当くたびれてる。それからも頼むな」
「は、はい、分かりました」
 急いでベジータたちの方へ向かうデンデを見た後、は未だに支えてくれている悟空を見上げた。
 何かを言おうと思ったのだけれど。
 その何かは言葉にはならなかった。
 昨日と今日とでたくさんのことが起こり過ぎていたし、ブウを退けた歓喜で存外に胸が詰まっているみたいだ。
?」
「ん……なんでもないよ」
 デンデがベジータとの治療を終えた。
 は泣きそうな顔で、ベジータの首にしがみ付いている。
 困惑したような表情のベジータは、を片手で抱えて立ち上がった。
 彼はを抱えたまま、こちらに歩み寄る。
 デンデと、界王神たちも悟空との元へやって来た。
「さあ悟空さん」
「おう、頼むな」
 の傍らで治療を受ける悟空。
 ベジータが鼻を鳴らす。
「……なぜコイツは泣いている」
 ベジータの首にかじりついたままの娘の頭を、は優しく撫でた。
「安心したのと、ベジータが生き返ったので、泣けてきちゃったんだよね?」
 こくこくと頷く
 首元で頷かれたベジータは、少しこそばゆそうだ。
 微かな嗚咽を漏らしている
 ベジータはなんとも言えない表情で、
「……鼻水はつけるなよ」
 そっぽを向いた。相変わらず素直ではない。
「それにしても、よくやってくれました皆さん。もう駄目かと何度も……」
 界王神が心底ホッとしたように笑い、老界王神が首を振る。
「しっかし、お前さんらの力は呆れて物が言えん。よくもまあ、この頑丈な界王神界をこれほど壊したもんじゃ」
「す、すみません……」
「いや、謝るこっちゃない。お前さん達がおらねば、宇宙は壊れていたじゃろうからの」
 和やかな空気が流れる。
 悟空の治療が終わって、デンデが軽く息を吐いた。
 お礼を言おうとした悟空の言葉に割り込むように、聞き捨てならない単語が聞こえてきた。
「ブッ、ブウ!?」
 その場の全員が体を硬直させ、声の方向――つまりミスター・サタンのほう――に視線を向けた。
 慌てて右往左往しているサタンに近づいていき、地面に半ば埋もれているその存在を見る。
 ――優しい方のブウだ。
 悟空とは、サタンの言う『ブウ』が細身のほうではないことに、ほっと肩の力を抜いた。
 だがベジータとデンデ、界王神と老界王神の顔は一気に強張った。
 ぴくりとも動かないブウ。
 浅い呼吸が、かろうじて生きている証を伝えてくる。
「お、おい、ブウを助けてくれ! お前あの不思議な力で治せるんだろ!?」
 サタンが泣き声交じりでデンデに訴える。
 デンデは困惑し、悟空とベジータの顔を交互に見やった。
 ベジータはを抱えたままサタンをどかし、ブウに向かって手の平を向ける。
「な、何をするんだあんた!」
「何をするだと? 始末するに決まっているだろう!」
「や、止めてくれ! こいつはいい奴なんだ! 悪い奴に命令されて……!」
「いい奴だ!? ふざけるな、冗談じゃない!」
 サタンはベジータに睨み付けられ、腰を引きながらも意見を下げるつもりはないらしい。
「キサマ分かってるのか!? そいつがまた、あのとんでもないブウを生み出したらどうするつもりなんだ!」
 もしもそんなことになれば、今度こそ世界はお終い。
 だから今のうちに殺しておくのがベストだと、『馬鹿』という罵声のオマケつきで言い放つ。
 サタンはブウを庇うように、半ばブウの身体に覆い被さって、ベジータを止めようと必死になっている。
「悪い奴になったのは、馬鹿な奴がこの犬を殺したからなんだ!」
 サタンと同じく、ブウに添うようにしている犬。
 には、確かになついているように見えた。
「た、頼む! お願いします!! わ、わたしが責任をもって我が家で保護するから……!!」
「保護だと……? 笑わせるな! キサマの力で一体何ができるというんだ!」
 さっさとどかないと、サタンも一緒に殺すと脅すベジータを止めたのは、悟空だった。
「ブウを治してやってくれ、デンデ」
「なっ、なんだとカカロット! キサマ正気か!?」
 こちらを見る悟空には頷いた。
 これは禍根を残すことになるかも知れない行為。
 ベジータの言う通り、今ブウを完璧に滅してしまえば、少なくとも今後、第2のブウは現れまい。
 それでも。
「私たちは、このブウに助けられた」
「このブウもミスター・サタンもよくやってくれたさ。この2人がいなきゃ、オレたち皆やられてたぜ?」
 人差し指を立てながら、「だろ?」と笑う悟空。
 もベジータの服をくいくい引いて、止めてくれと頼んでいるようだ。
「それによ、万が一の事があったら、また闘やいいいさ。今度こそ一対一でやっても負けねえように修行しようぜ」
 界王神がブウと悟空を見比べ、
「し、しかし……地球で一緒に暮らすのは不味いでしょう」
 意見する。
 地球の人間は、皆ブウとバビディの恐怖を覚えているから、と。
「なぁに、でえじょぶさ。あと半年ぐらいブウが外に出ねえで我慢してりゃ……」
「ドラゴンボールをつかうの?」
 が訊ね、悟空は頷く。
「ああ。神龍に頼んで、地球の皆からブウの記憶だけを消してもらやいいさ」
「やれやれ……またドラゴンボールか……ふぅ」
 老界王神は顎に手をやり暫く不満そうにしていたが、特にそれを止めるような素振りもなかった。
 この場の皆の協力が、全てを救ったことを理解しているから、かも知れない。
 ベジータはやっとのことで、ブウに向けていた手を下ろした。
「ちっ……勝手にしろ。どうなっても知らんぞ」
 サタンが大喜びする様子を見て、も嬉しそうに笑う。
 悟空は腰に手をあてて頷き、はほっと息を吐いた。
 変にこじれなくて良かった。
「さあ、ブウを元気にしたら一緒に地球へ帰ろう。思いっきし食って、たっぷり寝てえや!」
 思いっきり食う。それは、が忙しく動かなくてはならないことと同義だった。
 けれどは、それもまた嬉しく思う。
 だって。2度と戻ってくるはずのなかった夫が、傍にいてくれるのだから。



 閉じた瞳を開いた瞬間には、既にそこは天界だった。
 界王神界の静謐な空気ではなく、見知った大気がそこにある。
 界王神は悟空たちに向かって深々と一礼をした後、軽く手を上げて自分の世界へと戻っていった。
 ここは神殿の裏手側。皆は表の方にいるようだ。
 ベジータに抱きかかえられていたは下ろしてもらい、と手を繋いで、神殿正面へと向かった。
 そこにある面々が、悟空たちを見た瞬間。
 殆ど全員が、それぞれが自分の思う人のところへ駆けて寄った。
……っ!!」
 悟天は思い切り泣き顔で、をきつくきつく抱き締めた。
「ボク、ボクっ……!」
「ただいま、悟天お兄ちゃん」
「……っ、おかえり……!!」
 悟飯とは双子の様子を見て微笑み、それから悟空たちに向き直った。
「お父さん、お母さん……本当に……なんて言ったらいいか僕……」
「おめえも頑張ったな悟飯」
「は、はい……!」
 俯き、拳で目元を擦る悟飯を見ていたは、急にに抱きつかれてたたらを踏んだ。
「わ、?」
「――っ、無事でよかったです……義姉さん!!」
……」
 義理の姉でもあり、同時に母親のようでもあるを喪失したと思っていた
 心の端に追いやっていた不安が安堵にとって代わり、急に泣けてきたようだった。
 は彼女の背中をぽんぽん叩いてやる。
 にもたくさん心配をかけてしまっていたのだと、改めて感じた。
「ごめんね、もう大丈夫だから」
「は……いっ……」
 顔を赤くして涙を擦り落とすを見て、はくすくす笑う。
 可愛いなあと心から思った。
 その直後、ビーデルの悲鳴が聞こえてきた。
 ビーデルはサタンと再開したはず。どうして悲鳴を上げるのか。
 視線を送った先に、サタンともうひとり――ブウ――を見とめ、ああ、と納得。
 一気に周囲の雰囲気が固まった。
 べジータとの再開を喜んでいたトランクスが、ブウに警戒を強めて構えを取った。
「オマエっ、まだ生きてたのか!!?」
「トランクスくん、だめ!」
 悟天に抱きしめられていたが、トランクスに声をかける。
「な、なんだよ! なんで庇うんだよ!」
「ブウはいい子なの! わたし達を助けてくれたんだよ!!」
 トランクスが信じられないと言った目で、べジータに訊ねるような目線を送る。
 べジータは鼻を鳴らした。
「……あの格闘技チャンピオンが保護するそうだ」
「保護? あいつが……?」
 それでも飛び掛りそうなトランクスを、悟空がブウと彼の間に割り入ることによって止めた。
「まあまあ、でえじょぶだって! そんなギスギスすんなよ」
「トランクスくん」
 ぐっとに顔を近づけられ、トランクスは少し腰を引きながらそっぽを向いた。
「わ、かったよ……それと……無事でよかった」
「うん、ありがとう」
 2人の様子を見ていた悟天が、ぷぅっと頬を膨らませての手を握る。
 は双子の様子を見て微笑んだ。
「さあさあみんな!」
 場の空気を切り替えるように、ブルマが大きく手を叩いて自分に注目を集める。
「今日はお疲れ様! 、うちに泊まりなさいよ。ついでに明日、小さな祝勝会でもしましょう」
「けどブルマ……」
 が全てを言い終わらないうちに、ブルマは指先を振って言葉を止めさせた。
「あんたこのまま帰ったら、疲れてるのに家事全般しなきゃならないでしょう」
「それはそうだけど」
「折角全部終わったんだから、休みなさいな。わたしの家でゆっくりして」
 は悟空をちらりと見る。
 彼はの頭をぽんぽんと叩いた。
、そうしようぜ。オラ達の面倒見ると、おめえが辛ぇもんな」
 家族の顔をぐるりと見回せば、一様にこくこくと頷いていて。
 それならばと、はブルマにお辞儀をした。
「……じゃあ、お世話になります」
「そうと決まったらさっさと帰りましょ! 孫くんお願いね」
「ああ。クリリン達も送ってやるぞ」
 天界に住む者以外、全員が悟空の周りに集まる。
 互いが互いのどこかに触れ、最後にが悟空の手を握る。
「ピッコロ、デンデ、ミスター・ポポ、明日来れたらブルマん家来いよ」
 デンデは困ったように笑う。自分は神だから、動く訳にはいかないと。
 そのお付きであるポポも同じ反応。デンデの要請で、ピッコロだけが明日来ることになった。
「そんじゃあ、またな!」
 悟空が片手を上げ、が手を振る。
 次の瞬間には、彼らは全員、姿を消していた。


 彼らが立ち去った後、デンデは下界を視るときいつもそうするように、神殿の端に立った。
 眼下を覆う雲。青く美しい世界。
 すぅ、と瞳を閉じて下界を探れば、人々の息吹を感じることができる。
 誰もが今日という日を喜んでいた。
 真実は一握りの者しか知らない。
 けれど、『知らされない、知らない人々』が幸せに生きていける。
 それこそが平和の証のひとつではないかと、デンデは思った。
 デンデは祈る。
 神が選り好みしてはいけないが、それでも。
 ――激戦を潜り抜け、平和をもたらした功労者たちに幸あれ。
 心からの想いを、地球という星の全てに祈った。



2010・1・11