思うに、ここまで命がけの人生を送る人って、そうはいないだろう。
 辛くて苦しくて、泣き出したいこともあるけど。
 後悔だってするけど。
 それでも、最後の一瞬まで目を開いて闘う。
 ――それが私が貴方から教わった、強さだから。







 宙にヘラヘラ笑いながら、ブウはベジータの腹を打つ。
「が……は……っ!」
 生き返ったばかりで気が足りず、超化すらできないべジータ。
 咄嗟に腹部を押さえた瞬間、ブウの手が彼の髪をわし掴む。
 顔面を殴りつけられ、脳髄が揺さぶられたのかぐらりと後ろに仰け反る。
 更に攻撃を加えようとしたブウの手が、下から飛んで来た力によって、肘の部分から切れ落ちた。
 ブウはじろりと視線を下に向けた。
 向いた瞬間、ベジータを掴んでいる方の手も切り落とされる。
 ベジータが重力に従って地面に落ちる前に、が彼の体を支えて距離を取った。
「お、まえ……ら……っ、かはっ……」
「お願いだから、まだへばらないでよ? 私とだけじゃ、あっという間に殺されちゃう」
 冷や汗を浮かせながら、ベジータに治療をかける。
 少しだけ回復できたものの、ブウが突貫してきて充分な補給はできなかった。
 ブウは切り落とされた手を既に復活させている。
 ベジータを張り飛ばすと、そのままの勢いでに向かって来た。
 背を反って一撃目を避ける。
 下から蹴り上げようと、思い切り足を打ち込んだが、透かされた。
 背中からのきつい攻撃に見舞われる。
 そのまま地面に追突する前に気を発し、勢いでブウに急接近して殴り飛ばした。
 向かいに構えていたが、脳天に踵落としを喰らわる。
 更に、その下に復帰していたベジータがブウの腹を幾度も殴りつけ、渾身の力で蹴り飛ばす。
 吹っ飛んでいったはずのブウの身体が、急に反転した。
「嘘……っ!」
 が声を上げる。
 先ほどよりも凄まじい速度で飛んで来たブウに対処しきれず、は同時に、伸びたブウの手に足を掴まれる。
 そのまま地表に叩きつけられた。
 全身がみしみしと嫌な音を立てる。
 足首からブウの手が離れた。
 さほどの痛みを感じないのは、感覚が麻痺しているからであって欲しいと、は無意識に身体を起こしながら思う。
 立ち上がれないまま、視線を上向けた。
 ブウは宙に在ったベジータを、これでもかと甚振っている。
 本気になればあっさり屠れるだろうに、そうしない。
 遊んでいるのだ、あいつは。
 がらがらと音を立てて岩を退け、近くにいたが起き上がる。
 あちらも既に満身創痍だ。
 怒りだけが目を彩っている。絶望よりはましだろう。
 ちらりと悟空を見やるが、まだ元気が集まっている様子はない。
 ――もうちょっと。もう少し、頑張れる。
 幸いにして身体は動く。大丈夫だと己を奮い立たせ、膝に力を入れて立ち上がった。
 と目配せをし、異能の力を、ベジータを殴りつけているブウに飛ばした。
 2人が放った力は、翠色の帯を引いてブウを襲う。
 意図せず、途中で融合を果たした2つの力は、予想外なほどブウを吹き飛ばした。
 身体が半分なくなっている。撃った本人たちが一番驚いた。
 ブウの身体は例によってすぐさま復活した。
 ご不興を買ったらしい。
 気絶しているらしいべジータを放り出すと、に向かって来た。
 伸びた腕で同時に吹き飛ばされる。
 2人は全く同じタイミングで、地面に爪を立てて急ブレーキをかけた。
 全身のバネを使ってブウに近付きながら、母と娘は呼気を合わせて異能力を展開した。
 体から溢れる溢れる青翠の力が、のそれと混じりあって互いを繋ぐ帯になる。
 ブウが帯びに接触する直前、が指先でくぃ、と、力の流れを変えた。
 帯が一気に網目に変わる。
「ぎゃ!」
 ブウの悲鳴。
 網はブウを――言葉通り――通り抜けると、彼のをさいの目に切り刻み、霧散した。
 ぶつん、と音がしてとの接続が切れる。
 少し離れた所で振り向いた。
 細切れになったブウの体は、もう回復を始めている。
 気を撃とうとした瞬間に、腕が飛んできた。
「ぐ、ぅ……っ!!」
 思い切り顎下から打たれ、脳を揺さぶられる。
 体が浮いたところへ今度は本体が突っ込んできた。
 捩って回避することもできず、直撃を受ける。
 一瞬、世界が失われた。
 ぼろぼろの服を掴まれ、は吊り上げられる。
 霞む視界の先に、野蛮な笑いを浮かべたブウが在った。
 ブウにまともな会話能力があったなら、「無駄だ」とでも言っていそうな表情。
 は口端を上げた。
「なによ……このいじめっ子……」
 圧倒的な力を目の前にするといつも、幼い頃の同級生を思い出す。
 砂を投げてくるなんて可愛い攻撃、ブウは絶対にしてこないけれど。
 直接気を乗せて殴ろうとした手は、軽々と叩き落とされた。
「ぐ……!」
 腹にめり込むブウの拳。
 息が出来なくて咳き込む。鉄の味がした。
 未だ腹に置かれた手が、ぐりぐりと動かされる。
 鈍痛――否、激痛か。
 治療を施す先から与えられる新たな痛みで、自然に雫が零れる。
 ブウはげらげら笑いながら、に気を放った。
 ゼロ距離からの気弾を受け、吹っ飛ばされる。
 受身も取れないまま、地面に転がった。
 ブウが近付いてくるのが分かる。けど、体が動かない。
 ――動いて、お願いだから。
 ダメージが大きすぎて、自分の体ですら治療しきれない。
 悲鳴を上げる体を起こす直前に、ブウの手が、の首を絞めた。
 の悲鳴が耳に入る。
「お母さん! お母さんっ、お母さんーーーーっ!」
 涙声の。ブウの視線がから娘に移動する。
 その顔から肩が、いきなり消滅した。
 衝撃でブウの手が離れる。は力の入りきらぬまま、ずるずると下がった。
 呼吸を整えながら、娘を見る。
……?」
 娘は、がっくりと膝をついていた。
 へたり込むようにしていながら、けれどその体は超化した折の金の気を纏っていて、更に異能力の翠を周囲に浮かせていた。
 周囲に浮いた翠の力が形を変える。
 いくつもの刃が、彼女の周囲を取り巻いた。
 ――まず、い。
 心の中で娘に呼びかける。
『私なら大丈夫だから!』
 返答はない。怒りの眼差しをブウに向けたは、ふぅ、と細く息を吐いた。
 息と一緒に彼女の体に傷が浮く。刃が体を戻すブウに、一気に襲い掛かった。
 刃は、ブウの体をあらゆる角度から串刺した。直後、砕ける。
 内部から破壊されたブウは、肉片になって飛び散る。
 は近場で起きた爆発に僅か、目を閉じた。
 残り少ない気で、の元へと向かう。
 怒りで周囲の見えていないの肩を揺さぶった。
! 落ち着きなさい!」
「……おかあ、さん」
 強さを求めるならば、このままの方がいい。
 しかしもまた、無茶をした際のと同様、異能力の使いすぎで体を傷つけている。
 力が強すぎるが故に、より命の危険が多い。
 敵を屠る前に、己が倒れてしまう。
「もういいから。後は私がやる。ね?」
 の気と異能力が、急速にしぼむ。
 気勢を張り、は娘の前に出る――が、そのままがくんと膝をついた。
「お、かあさ……」
「は、はは……参ったね……力、抜けてるや……」
 視線の向こう側には、肩を回しているブウ――立派に新品――がいた。



「ち、地球のみんな、頼む! 頼むから元気を分けてくれ!」
 悟空は眼下で行われている戦いを目にしながら、ひどく焦っていた。
 呼びかけても、ちらほらとしか力が集まらない。
 こちらの必死さなど伝わっていないかのよう。
 ブウの仲間だとか、怪しいだとか、疑問と疑心ばかりで。
 他人にこれほどまでの苛立ちを覚えたのは、悟空にとって初めてのことだった。
「く、そ……っ!」
 奥歯を噛み締め、下を見る。
 ブウがへらへらと笑いながら、座り込んで動けないらしいに近づいていく。
 背筋が凍った。

 ――止めろ……止めろよ……っ!

 元気玉を放り出して助けに行きたくなる。
 そんなことをすれば、全員の苦労を踏みにじってしまう。感情をぎりぎりで抑え、悟空は空に留まっていた。
……っ、! 逃げろ……逃げろ!!」
 叫びが届いたのかどうかは分からない。
 ブウに胸倉を掴まれそうになっていたが、その手を振り払って気を打ち込んだ。
 効くはずもないほど、弱々しい気弾。周囲に煙を巻き起こすだけ。
 もぎこちない動きでブウに殴りかかるが、吹き飛ばされて岩陰に突っ込み、姿が見えなくなった。
 ブウの平手が、の心臓を狙う。

 ――やめろ、やめろ、やめろ!!

 我慢の限界を超えそうになっていた悟空の心に、の声が伝わってきた。
 ただひと言――お願い、と。
 今にも動きそうだった悟空の体が強張る。
 たったひと言。
 そこに彼女の想いの全てがあった。
 悟空は唇をかみ締め、ぎゅっと瞳をつむる。
「やめろおぉぉーーーーッ!!」
 声を限りに叫んだ直後、気が炸裂する音を耳にした。

 ――!!

 ばっと目を開く。
 爆煙が周囲を包んで、視界を遮っていた。
 最悪の事態を脳裏に描く。
 煙が晴れて、の体が転がっていたら。わけが分からなくなりそうな自分を、痛いほどに自覚していた。
 しかし悟空の視界に映ったのは、ベジータがブウの手を掴み、へ向けられた気を上に逸らした姿だった。
「べ、ベジータ……!」
 ほっとしたが、状況は変わっていない。
 もうベジータにも、ブウの攻撃をしのげる程の力はないからだ。
 ブウを自分の方に誘い出し、ベジータは今にも気絶しそうな状態で戦い始める。
 も、殊更ゆっくりと起き上がった。
 悟空は焦燥と苛立ちとで、地球に向かって声を荒げた。
「みんな早くしてくれーーーっ! 地球も宇宙もどうなってもいいってのか!? バッキャローーーーっ!!」
 悲痛な程の叫び。しかし、現状を知らない者たちは、悟空の物言いに反感を持つことはすれど、相も変わらず協力しない。
『人に物を頼むのに、でかい態度だ』
『無視しろ』
『集団催眠にかけられていたんだろう』
『魔人ブウのことは、全部なかったに違いない』
 心無い、ごちゃごちゃとした人の声が戻って来る。
 悟空は俯き、奥歯をかみ締めた。
 ――今度こそだめだ。もベジータも殺されちまう!!
「きっ、貴様らーーーーっ!」
 それを聞いて激昂したのは、悟空ではなく、今まで状況を見ていたミスター・サタンだった。
「さっさと協力せんか!! このミスター・サタン様の頼みも聞けんと言うのかーーーーー!!」
 悟空が目を瞬く。
 先ほどまでとは、明らかに人々の反応が違っていた。
 確かにミスター・サタンの声だとざわつく者たち。
 どこかの誰かが、こちらに声をかけてきた。
『もしかして、ブウと戦ってるって……ミスター・サタンだったんですか!?』
「そっ……そうだ! このオレが魔人ブウを倒してやるから、お前たちも早く力を貸さんか!」
 悟空は状況の変化に半ば呆然としながら、眼下にいるサタンを見やった。
 サタンは腰に手を当て、冷や汗をかきながら笑って悟空を見た。
「ま……まあしょうがないじゃないか。こ、こうでも言わんと奴ら、信用せんからな。まず、あのブウを倒すことが先決だからな……!!」


 は立ち上がって、呼吸していられることを誰かに感謝した。
 定まらない思考。
 軽く咳き込む。鉄錆の味が、口の中に残っていた。
 ――生きてる。
 遠くで、ベジータがブウと戦っていることを見止めた。
 ――助けなくちゃ。だって彼は私を助けてくれた。
 ふらふらしながら、胸の前で手を組む。祈るようだ、と思った。
 溢れた弱き翠色の力はまっすぐベジータに向かうと、彼の体に吸い込まれていく。
 何度も何度も、それを繰り返した。
 あちこちを切って流れたの赤い雫が、癒す力に姿を変えてベジータの命を繋ぐ。
 かといって力が戻るわけではない。殴られ、地面に伏したベジータ。
 同期するように、も崩れ落ちた。
 地面の硬さを足に感じながら、ふと、悟空を見た。
「……やっと」
 悟空の元気玉に、たくさんの力が集まっているのが見えた。
 彼の表情が明るくなる。
「き、来たっ!!」
 綺麗で、温かい力。凄いエネルギーを持つそれは、たくさんの人の想いを詰め込んだもの。
 は知らず、柔らかく微笑んでいた。
 けれど、出来上がったはずの元気玉を、悟空はなかなか撃たないでいる。
 不思議に思っていると、
「なんとか頑張ってそっから離れてくれ、ベジータ! 巻き添え食らっちまうぞ!!」
 悟空が声を張った。
 は立ち上がろうとするが、本気で動けない。
 ベジータも同じ状態らしく、起き上がろうとしてまた伏してしまう。
 心の声で悟空に『気にしないで』と伝えようとした直前に、
「おか、あさん……っ」
 傍らからかかった声。
 娘の、の声だった。
「よ、かった…………無事で……」
 はこっくり頷くが早いか、の身体を支えて立ち上がらせる。
 とて辛いだろうに、舞空術で元気玉の巻き添えにならない位置にまで、を連れて移動を始めた。
 その横をサタンが併走する。ベジータを抱えて。
 サタンは悟空に向かって、大声を発した。
「やれーーー! さっさと片付けちまえーーーー!」
 は顔を上げる。
 悟空が笑った。
「やるじゃねえかサタン! おめえはホントに世界の……っ」

 彼の手が、

「救世主かもな!!!」

 振り下ろされた。

 巨大な元気玉が、一直線にブウに向かう。
「くたばっちまえーーーっ!」
 焦ってブウが気功波を放つが、元気玉に負けてあっさりと散った。
「いっけーーーーっ!!」
 驚愕とも恐怖ともいえない表情を浮かべ、ブウはエネルギーを両手で押し返そうとし始める。
 地表を削って進もうとする、凄まじい勢いと力の元気玉を、ブウは必死の形相で押し返していた。
 ――どうして。
 の額に汗が浮く。
 少しずつ、ブウが押し始めている。
 悟空の身体が後ろに流れ出した。
 明らかに悟空は、ブウを押し切れないでいる。
 サタンに肩を支えられたベジータが、ぎり、と歯噛みした
「け……計算が違った……!」
「え……?」
 サタンがベジータを見る。
「肝心の……元気玉を撃つカカロットに、た、体力が……足りん……!」
 笑みさえ浮かべているブウ。
 対して悟空は、ひどく辛そうな――苦痛さえ感じているような――表情で。
 少しでも癒せればいいのに、今のは全てを使いきってしまっていて。彼のところへ飛んでいくことだって出来ない。
「悟空……」
「おとう、さん……」
 の声が重なる。
 

 ――その直後。
『悟空さん!!』
 デンデの声が響いた。
『3つ目の願いで、悟空さんの気が元に戻ったでしょ!!』
 願い――ドラゴンボール!
 サタン以外の全員が、目を見張る。
 悟空の気が、完全に元に戻っていた。彼は超サイヤ人に姿を変える。
 急に元気玉からの圧力が増えたブウは、なんとかしてそれを押し返そうとしていた。
 の心に、悟空のものであろう――ブウに手向けての――言葉が伝わる。

『おめえは凄えよ。よく頑張った……たった独りで。今度はいい奴に生まれ変われよ? 一対一で勝負してえ。待ってるからな……オラももっともっと腕を上げて……』

 悟空が、笑った――気がした。
 には、そう思えた。

『またな!』

 悟空の右手から、強烈な光が溢れる。
 元気玉の上から更に加えられた攻撃。
 はきつく目を閉じた。物凄い光量と衝撃で、目を開けていられない。
 瞳の裏に焼きつく光がなくなったのを感じてから、そっと目を開ける。
 あったはずのブウの姿は、どこにもなかった。
 界王神界の大地に、元気玉が通った道筋がくっきりと残っているだけで。
 まさに塵ひとつ、煙ひとつ残さず完璧に、ブウは消滅した。
「お母さん……お父さん、頑張ったね……!」
「……ふん……手間取りやがって……」
 ベジータが口角を上げる。
 悟空は超化を解き、こちらに向かってぐっと親指を立てて見せた。
 はやっと、心から安心して笑みを浮かべる。
「悟空……お疲れ様……!」



2009・12・28