宇宙空間なのに、魔人ブウは普通にその場で息をしているようだ。
 魔人という存在は、呼吸すら必要がないらしい。
 思えば、フリーザも宇宙で生きられたはずだ。強さはブウの方がはるかに上だが。
 フリーザが弱く思える日が来るなんて、当時は考えもしていなかったのに。
 時間というものは恐ろしいと、は独り、溜息をついた。


界王神界 2


 完全な形で復活してしまったブウ。
 全員の緊張感が高まり、顔が引き締まった。
 分かっていた事とはいえ、事態は悪いほうへと振れている。
 打開策はひとつ。――けれど。
 それは期待できないと、は思う。
「おい、お前のポタラを悟空たちにやるんじゃ! もう一度合体すれば、あんなの楽勝じゃ!」
 老界王神が界王神に命じ、耳朶からポタラを外させる。
 彼はそれを悟空とベジータに投げて渡した。
 悟空は、手の平に乗ったポタラを無言で見つめ、
「……いや、こいつはもういい。返すよ」
 あっさりと最強のアイテムを手放した。
 やはり、とは苦笑する。
 界王神と老界王神は、目玉が飛び出んばかりに驚いているが、悟空の性格を知っているからすると、そう驚くべきことでもない。
「やっぱさ、こいつはオラたち向きじゃねえんだ。折角だけどさ……」
「し、しかし」
「自分の力だけで闘いたいんだ。悪ぃな、こんなヤバイ時に」
 ブウも合体していないし、こちらだけポタラで合体するのはフェアではないのだと言い放つ悟空。
 合体していない、『純粋に魔人』だからこそ問題なのだけれど、それはこちらの都合。
 向こうはそれが本来の力。
 だったら正面切って戦うのが当然。少なくとも悟空はそう思っているだろう。
「ば、馬鹿者! 何を言っとるんだ!! お、お前達はブウと格闘技の試合をしとるわけじゃないんじゃぞ!!」
 老界王神が正論をぶちかます。
 文字にするなら『試合』ではなく『死合い』だろうが、そんな事は戦う当人達の方がはるかに承知している。
 それを踏まえた上での言葉だ。
 ベジータがにやりと笑った。
「よく言ったなカカロット。それこそが……サイヤ人だ」
 戦闘民族サイヤ人。
 その存在は、界王神たちを呆れせる程に戦闘狂らしい。
 驚愕に言葉をなくしている2人が、急にを見る。
 その目は明らかに、「説得しろ」と言っていたけれども。
 は苦笑し、軽く首を振る。
「打開策があるとしたら、ポタラかなーって思ってました。けど、悟空は使わないとも思ってたんで……」
「で、ですから……さん」
「私が言って聞いてくれるお願いと、そうでないのがあるんですよ。今回はダメ」
 サイヤ人の本能なのかどうかは分からないが、戦いに関しては梃子でも譲らない面がある。
 悟空の判断が全て正しいとは思わない。
 ただ、地球が崩壊するような事態に立ち向かえるのは、この場では悟空とベジータだけだ。
 だからこそ、彼らの意志を尊重したいと思う。
 これもきっと、甘っちょろい考え――というか、はた迷惑極まりない思考だろうけれど。
 無駄な問答は不要だとばかりに、ベジータが鼻を鳴らしてポタラを握りつぶした。
 界王神たちの叫びが場に広がる。
 が顔をしかめて耳を塞いだ。
「うるさーい」
 悟空が微笑み、の頭を撫で、界王神を見る。
「大丈夫、心配すんなって。あいつはここまでは来れやしねえ。なんか作戦を考えるさ」
「しっ……しかし作戦と言っても」
 あんな強大で兇悪な力に、作戦もへったくれもあるかと言わんばかりの界王神。
 無理もないが。
 ――と、闘い云々の前に、には夫に言っておくべき事があった。
「悟空、私逃げないからね」
「…………言うと思ったぞ」
 が彼の性格を理解しているように、彼もまた、の性格を理解している。
 この期に及んで逃げ出す? そんなことしない。
 例え全く敵わない相手だとしても――悟空の傍で力を尽くしたい。
「邪魔にならないようにするから」
「ジャマだなんて言ってねえだろ? いてくれたら助かるさ。だってオラ、頑張れるもんな」
 どこにいても、自分たちが負ければ平和なぞないのだと、彼は理解している。
 それを抜きにしても、悟空はたいていを端から退けることはしない。
 余程思う所があれば別だし、自分が側にいられない時は、彼女が闘いの場に出ることを厭う。
 が、そうでない時は、むしろ率先して彼女の手を引いて歩くことが多い。
 傍らにある彼女が、力を与えてくれるみたいに。
 手を握って指を絡める悟空。
 も同じように握り返した。
「ただし、本気で危ねぇと思ったら逃げろよ?」
「うん。死にそうになったら逃げるよ」
 死にそうになっていたら、逃げられるはずもないのだというのは、前々から人に突っ込まれている。
 意味のない言葉だ。
 ただ、悟空との間では、当たり前のやり取りであるとも言える。
 にとっては、宣誓にも近しい。
 悟空の傍らに在り、彼の意志に従うという、宣言。
 だから逃げる時のための準備はしない。
 どこへ転移しようかなど、考えもしない。
「お父さんお母さん、も」
 娘がの服の裾を引く。
 これにはさすがの悟空も、微かに困惑した。
「あ……けど、。おめえは」
「お母さんと一緒にいる!」
 言うことを聞くから、除け者にしないで欲しいと切に願う表情。
 小さい胸の中に、兄たちへ酷いことをしたブウへの怒りと、両親と一緒にいたいのだという想いが透けて見える。
 幼いながらに頑固な一面を持つ
 言い負かしきる前に泣かれてしまいそうで、悟空は後頭部を掻く。
「……しょうがねえなあ。いいか、ちゃーんと言うこと聞くんだぞ?」
「はい!」
 物凄く明るい返事で、逆に不安になる両親だった。

「おい……ブウの様子がおかしいぞ」
 水晶玉を覗き込みながら、べジータが眉をひそめる。
 もそれを見た。
 ブウは何かを探すように、ぐるりと首を回しては周囲を見ている。
 何をしているのだろう。
 ――疑問は、すぐに解消された。
 ブウがニタリと笑ったかと思うと、急に水晶玉の中から姿が掻き消える。
 次いで、背後から風が飛んできた。
 いきなり現れた濃密な気配。は目を見開いて背後を見る。
「ぶっ……ブウ!!?」
 自分たちからそう遠くない場所――数メートルの所に、桃色の魔人が、厭らしい笑いを浮かべながら立っていた。
 余りに唐突すぎて、全員が硬直している。
 あれは、界王神界には来れないはずだ――否、はずだった。
 この場所は、地球から相当離れている。
 気を感じたとしても、普通ならば来れるような場所ではない。
 悟空がはっとした。
「畜生っ、界王神さまの瞬間移動を見て、一瞬で真似やがったんだアイツ!」
「な、なんだと……」
「これじゃあ作戦もへったくれもねえ……ッ」
 ぎり、と奥歯を噛み締める悟空。
 彼はを庇うように背中にまわしながら、まだ固まっている界王神たちをちらりと見た。
「界王神さま! じっちゃんとデンデを連れて、どっか別の星に避難してくれ!」
「い、いや、しかし……」
 全てを丸投げしていくことに気後れがあるのだろう。
 界王神が戸惑いの声を上げる。
 は首を振った。
「お願い、界王神さま」
「……さん。………分かりました」
 老界王神が焦りながら、界王神の手をとる。
「しょうのない奴らじゃ! この界王神界は滅多なことでは壊れやせん! 思いっきりやれい!」
 悟空が親指を立てて笑んだ。
「み、皆さん気をつけて……頑張って下さい!!」
 界王神と老界王神、デンデの姿が掻き消える。
 彼らがどこへ飛んで行ったかは分からないが、少なくともこの付近ではないだろう。
 魔人ブウから逃げられる、真に安全な場所など何処にもないから、距離を測っても意味はさそうだが。
 悟空が軽く腕を回し、息を吐いた。
「よし……。なんとかなるか、いっちょかましてみっかな」
「ああ」
 ベジータも手首を回し、闘う意志を見せる。
、おめえとは離れててくれ」
「ん、分かった。気をつけてね……」
「ああ、もな」
 悟空の言葉に素直に従い、を連れて、少し離れた高い場所へと移動する。
 上から、平地に立ったままで行動を起こさないブウを見やった。
 俯いている――というか、若干頭が傾いでいるのは気のせいだろうか。
 ……大人しすぎて、気味が悪いのだけれど。
 じーっとブウを見ていたの服の裾を、がくいくい引く。
「どうしたの?」
「お父さんたち、ジャンケンしてる」
「は?」
 この非常時にジャンケン?
 なんでだと思いながら彼らを見ると、本当に、真面目にジャンケンしていた。
 何度かのあいこの後、悟空が腕を振り上げる。
「よっしゃーー! イエーイ!!」
「……お父さん、とってもよろこんでるね?」
 が呟く。
 悟空の喜んでいるさまを見ながら、ベジータが超化を止めた。
 はそれで納得する。
「あー、戦う順番決めてたんだね、あれは」
 子供っぽいなあ。
 どこかで見ているであろう界王神たちが、一度に闘えと文句を言いそうだ。
 も、2人で一緒に戦えばいいのにと思うけれども。
 この状況を楽しんでいるかのような彼らを見ながら、改めて、自分は物凄い夫を持ったものだと思う。
 その人の行動に慣れてしまった自分も、ある意味凄いのかも知れないが。
 ややあって、ベジータがこちらに飛んで来た。
「悟空が先行になったんだ?」
「フン……。スーパーサイヤ人3とやらの力を、充分に見せてもらうさ」
 不服そうに言い放つベジータから、は視線を悟空に戻す。
 彼の身体に力が入った。
 光が溢れて弾け、悟空の姿が変わる。短かった髪が長くなり、面差しも変化した。
 彼を中心として猛烈な風が巻き起こる。
 それを見ながら、ベジータが呻いた。
 悟空の気で噴き荒れる風に、地面の小石が激しい勢いで飛ぶ。
 それが身体に当たっているのだろうか、ブウが不服そうに身震いし、俯いていた顔を上向けた。
 大声を上げ(っていうかゴリラか何かの雄叫びみたい)、自分の胸を拳で叩いては音を出す。
 ひとしきりそれを続け、急にピタリと止める。
 ゆっくりと手を下ろし、悟空を見た。
「……いよいよ始まるか。全宇宙の運命を賭けた、最後の闘いが」
 ベジータの言葉はひどく重たい。
 ごくり、と、が生唾を飲む。

「――悟空」

 の呟きと共に、両者が動いた。



2009・10・23