余りに一瞬のことで、感情が追いついていかない。
 心臓の鼓動はまだ恐怖でか早鐘を打っていたし、思考も纏らない。
 草色に覆われた地面を見つめながら、は呆然とへたり込み続ける。
 ――息子達を、仲間を、見殺しにしてしまった。


界王神界 1


……」
 悟空の苦し気な声で、は視線を上げる。
 超化したままの彼の翡翠の瞳は、自分たちが失ったもののせいで、当たり前のことながら曇っていた。
 座り込んでいたを、悟空が立たせる。
 よろよろと立ち上がったは、傍でぼたぼたと涙を流しているを抱き締めた。
 必死に声を我慢しているらしく、小さな唸り声を上げている。
 あれだけの恐怖を受けたし、ましてや自分の片割れを失ってしまったのだ。
 泣くことを我慢する必要なんてないのに。
 大仰に泣き出せば、大人たちが困るだろうと理解してだろうか、は子供らしからぬ泣き方をしている。
 変なところで自分に似てしまったと思いながら、は何度もの頭を撫でてやった。
「あ、あのっ、地球は……!」
 界王神の声が耳に入り、を抱えたまま、彼を見やる。
 元々血色のよくない色合いの彼の顔色が、真っ青を通り越して真っ白に見えた。
 ここに至ってやっと、彼が自分たちを瞬間移動させたのだと気付いた。
 老界王神が後ろに手を回したまま、地に置かれた水晶玉――元は地球が移っていた――に視線を向け、緩々と首を振る。
「消えてしもうたよ。木っ端微塵じゃ……」
 ぎゅぅ、とがしがみ付いてくる。も泣きたい気持ちだ。
 悟空の指がゆるりと、の頬を撫でた。
 言葉が見つからないのか、彼は何も言わなかった。
 無言の中で伝わる想い。
 何を言っても苦しいのだということ。
 それは、悟空も、も同じだったから。
 けれどは、自分なんかより、悟空やベジータの方がずっと苦しいことを理解していた。
 折角ポタラで合体して、ブウの体内に入ってまで悟飯たちを助け出したのに、一切が無に帰した。
 しかも、ブウがより『魔人』になり、地球が消滅したというおまけつき。
 苦々しく思っていないはずがない。
 魔人ブウの脅威は依然としてそのままだし、安心できるような状況では全くないけれど。
 それでもは、固まる表情をなんとか動かし、悟空に微笑みかける。
「私は……大丈夫だよ。まだ悟空やが側にいるもん」
「……、けど」
「私たちが諦めたら、そこで全てが終わる。違う?」
 真っ直ぐ悟空を見つめ、
「考えるの。今はそうするべき時だと思う」
 はっきりと口にした。
 彼はやや驚いていたが、の表情がしっかりしている事を見て取り、硬かった表情を崩す。
「ああ……そうだな。そうだよな」
 ほんの少しだけ、柔らかな雰囲気が戻ってくる。
 恐怖に裏打ちされて、張り詰めていたものが少しだけ和らいだ所へ、
「なーーんだ!」
 サタンの大声が響いた。
 全員がサタンを見る。
 彼は自分の世界に入っているのか、周囲の目など全く気にせず、大きな独り言を続けた。
「こいつは夢なんだ! 夢!」
 の腕から離れつつ、目をぱちぱちと瞬く。
 宣言するかのようなサタンの大声で、今までの泣き顔は何処へかと消えてしまったらしい。
「なーんだ、おかしいと思ったぜ。世界チャンピオンのオレより強い奴なんか、存在するはずないんだよなーー!」
 腰に手を当てて胸を張り、サタンの話は続く。
「魔人ブウなんてほんとはいないし、こいつらも夢の中の変なキャラクターだな!」
 彼はくるりと振り向き、ご丁寧にも一人一人を指差しては笑った。
 なんとなく馬鹿にされていると思うのは、だけではあるまい。
「そもそも、天下一武道会の辺りからおかしかったしな」
 確かに普通の人から見たら、おかしいだろう。
 おかしいどころか、異様ですらあったはずだ。
 サタンは現状を否定することで、自分の世界を護ろうとしている。
 ……セル戦の時といい、今回といい。ある意味では、彼は物凄くポジティブなんだろうと思う。
 あの考え方は、多少見習った方がいいかもいいかも知れない。あくまで、多少だけれど。
「そうだ! 夢だったらオレも空を飛べるはずだ! 飛んでみよーっと!!」
「え、ちょ、サタンさん!?」
 呆れて物も言えないベジータの横を通り抜け、サタンはそれなりに高さのありそうな場所に走って行く。
 その端っこに立つと、右手を拳にして突き出した。
「オラオラオラ魔人ブウ! 夢の中だけどよくも娘のビーデルとを殺し、オレの地球をふっ飛ばしやがったな!」
 娘たちの行はともかくとして。
「いつから地球はお前のものになったんじゃ……」
 老界王神の小さな呟きに、が首を傾ぐ。
 まるで奇妙なものを見るみたいに、サタンの背中を見ていた。
 サタンの暴走は止まらない。
「このミスター・サタン様が、宇宙を飛んでお前を退治してくれるぞっ!」
 とぉ、とかなんとか言いながら、サタンは地面を蹴った。
 気をトリックと言うような人だ。当然だが、浮くはずがない。
 サタンはそのまま重力に従って落ちた。
 重たいものがぶつかる音の後、サタンの苦悶の声が届く。
「い、痛いぃぃーーー! 夢なのに痛いようぅぅぅ!!」
「……カカロット。てめえはあんな馬鹿の代わりに、折角助けた仲間を見殺しにしやがったんだぞ」
 ベジータの発言に、さしもの悟空も引きつるしかない。
「……ベジータさん」
 が悲しそうな声で彼を呼ぶ。
 ベジータは一瞬詰まるが、改めて悟空を睨みつけた。
「地球が吹っ飛んだってことは、頼みの綱のドラゴンボールも消えてしまったということだ」
 死んだ仲間はもとより、地球だって元には戻らないのだと攻め立てるベジータ。
 悟空は口唇を引き結ぶ。
 確かに、それは正論だ。だからって悟空を一方的に責め立てていい理由にはならない。
 が彼を咎めるべく口を開こうとした瞬間、
「なに!? ドラゴンボールじゃと!?」
 老界王神の大声が割り入ってきた。
「なんで地球にドラゴンボールがあったんじゃ!?」
「老界王神さま、あの、どうしてそんなに驚いてるんです?」
 は首を捻りながら訊ねてみた。
 だって、ドラゴンボールはずっと地球にあったはずだ。
 自分が異世界から飛んでくるよりずっと前から。
 の頭には、地球に元々あったものとしてインプットされているが、老界王神からすると違うらしい。
「あ、あれは真面目なナメック星人だけに許された、言わば反則技じゃぞ!」
「そっ、そうだ!」
 ナメック星という単語に反応したらしいデンデが、大声で叫ぶ。
 その表情には笑みが浮かんでいた。
「ボクの故郷のナメック星に行けば、新しい最長老さまがドラゴンボールを作ってるはずです!」
「そっ、そうか、その手があったか!!」
 ベジータが喜んで声を上げた。
 くい、と服を引っ張られ、に視線を向ける。
「悟天兄ちゃん、戻る?」
「うん。ねえ悟空、ナメック星まで……」
「い、いや……けど、ナメック星はちっと遠いぜ? ナメック星人たちの気もあんましでかくねえし……無理だ。瞬間移動はできねえよ」
「え……け、けど前は行けたよね?」
 確か、デンデを地球に連れてくるために瞬間移動したはずだ。
 悟空はへにょんと眉尻を下げる。
「あん時ゃ、ほれ、界王様の星から行ったじゃねえか」
「あ」
 そうだった。
 界王星は、宇宙を見守るという意味では、この界王神界よりもずっと万能だった。
 は別行動をしていたが、後に聞いた所では、義父――界王――の力も借りての移動だったらしいし。
 うーんと唸りつつも、は声をかけてみる。
「父さん聞こえてるー?」
『……おおぉぉぉ!! ! か!! よかった生きておったか! わしは……わしっ……うぐぅぉぉっ……』
 いきなり叫んで泣き出す父親。は続けるべき言葉を引っ込めざるを得なかった。
 それはそれは物凄い号泣だったから。
「と、父さん……あの、聞きたいことがあるんで、ちょっと泣き止んで欲しいなと」
 控えめに訊ねる。
 界王が鼻水をすする音が聞こえた。……きちゃない。
『悟空も無事じゃな?』
「あ、ああ、オラも一緒だ」
『他には誰が……いや、お前がおる場所なら話は早い』
 少しの沈黙。
 も黙って待つ。
『かっ、界王神界か! よいか、界王神さま方に無礼を働くでないぞ』
「ごめん。それは今更の話かも知れない。って、そうじゃなくて。地球がどうなったかは見てたんでしょ?」
『うむ……。それでなんじゃ、ドラゴンボールを取りにナメック星にでも行きたいのか』
 鋭い!
 悟空が笑う。
「さすが界王さまだな! で、どうなんだ?」
『残念じゃが、星がないのではわしの力とて半減じゃ。前回のようにはいかん』
「そ、そこをなんとか父さんの頑張りで」
『可愛い娘の頼みでもムリじゃ』
「そ、そう……」
 はガックリと肩を落とす。
 期待はしていなかったが、はっきり否定されるとそれなりにショックだ。
「あの……」
 控えめに界王神が声をかけてくる。
「そのドラゴンボールという物が何かは分からないのですが、わたしはこの界王神界と下界の星との間でなら、瞬間移動できますよ」
 さっき地球から界王神界まで皆を連れてきた力は、キビトの得意な技術だと言う彼。
 喜ぶ悟空とデンデ、
「あれ?」
 改めて界王神の姿を見て、は今更ながら訊ねる。
「そういえば界王神さま、姿違う?」
「あ、ええ、キビトとポタラで合体してしまって……」
 なるほど納得。
「とにかく、デンデと一緒にナメック星へ――」
「ま、待て! ドラゴンボールなんぞ使ってはいかん!!」
 地球が元に戻ることに喜ぶ一同に、老界王神が盛大に水を差した。
 殆ど全員が、『何を言っているんだコイツ』ぐらいの勢いで彼を見た。
「あれは大自然の混乱を招くものじゃ! 大昔にナメック星でしか使うなと注意した事がある!!」
 事実、ナメック星人たちは、異星での事柄については絶対に使わなかったはずだと続けた。
 は小さく呻いた。
 確かにあれは、自然の調和を著しく乱すものだと思う。
 悪用されれば大問題だし、そもそも1度死んだものを世に蘇らせることだって、本来ならばあってはならないことのはずだ。
 存在の危険性は理解している。
 安易にボールに頼るようになってはいけない。
 本当なら、最後の切り札としてだって使わない方がいいのだろう。
 けど。
 ――それでも私は、やっぱり使っちゃうだろうな。
 はちらりと悟空を見やった。
 自分の大事な人を助けたい、守りたいと思う気持ちは誰しも一緒だ。
 理性や倫理が働くのは、当人の環境が平和で正常な世界でのみ。
 時に人は、必ずしもそれに従っては生きていられない。
 少なくともは、絶対的な何かに罰せられようとも、己の身体が灰燼に帰そうとも、悟空や家族を護るためならば禁忌に手を伸ばすだろう。
 罪科より、悟空を奪われることのほうが、ずっと恐ろしいから。
 ――なんて、物凄く真面目なことを考えていたのに。
 悟空が老界王神ににじり寄り、説得を始めたその内容に、一気に脱力した。

「そんなカタいこと言うなよ〜! 上手くいったら、知り合いの女の子のさ、ホッカホカのエッチな写真撮って、その生写真あげっからさ〜〜」

 ……をいコラ。

「ちょ、ちょっ……」
 今までのシリアスぶりは何処へやら。
 は顔を赤くして、夫の発言に顔を引き攣らせる。
 娘を気にして見ると、ベジータが彼女の耳を塞いでいた。
「ほら〜欲しいでしょ? ちょっと若くはねえけどさぁ、まだまだプリプリだよ〜」
 ――待ってくれ。あれは本当に私の夫なのか。
 いつからホカホカとかプリプリとか言うようになったんだ!?
 完全に固まってしまっているを他所に、老界王神は鼻を鳴らす。
「……ふん。でもそのオナゴは殺されてしもうたじゃろう」
「だからドラゴンボールで生き返るんじゃないの〜〜!」
「……むぅ」
 ――こっ……こいつら……何考えてんだこの非常時に!
「ちょっとごく」
「カカロット。その女とはまさか、ブルマのことじゃないんだろうな……」
 の発言に割って入って来たベジータの声には、怒気が混ざっている。
「え!?」
 悟空が微妙な笑みを浮かべつつ、ベジータを見返った。
 表情で全てを悟った彼は、悟空に向かって怒号を放つ。
「や、やはりそうか! キサマ勝手に人の妻をッ!! 自分の妻のをやりゃーいいだろうが!!」
 直ぐそこにいるんだからと叫ぶベジータ。
 いきなり自分に話が及んで、は目を瞬く。
 こんな会話がつい最近もあったような。
「や、ヤだよ! はオラだけのだもん! なんでオラのでぇじな女の、エッチな写真くれてやらにゃなんねえんだよ!!」
「き、キサマ……ッ」
の可愛いトコ見んのはオラだけでいいの!! オラ限定!!」
 悟空にぐいっと手を引かれ、は小さな悲鳴と共に彼の腕の中へ。
 ――あーもう、絶対あったよ最近こんなのが!
「だからのそんな写真なんかあっても、ぜってー誰にも見せねーかんな!!」
「……あの、悟空サン。その『エッチな写真がある』かのような発言はどうかと思うんですが」
 上目遣いで聞いてみる。
 彼の翡翠色の瞳がこちらを見た。
「……え、っとぉ……そのな?」
「ま、まさか……持って……?」
 いやいや、撮られた覚えなんぞないし。
 第一悟空が死んでから部屋の掃除なりなんなりしたが、そんなもの見た覚えもない。
 が。万が一ということもある。
 顔色を変えたを見て、悟空は慌てて弁解した。
「ち、違ぇって、持ってねえよ! ただオラが欲しいっちゅーだけ……あ」
「ぎゃーーーー! 悟空が壊れたーーー!」
 腕の中から逃げ出そうとするも、がっちり掴まれていて逃亡不可能。
 逆に胸に押し付けられて更に身動きが取れなくなる。
「じょ、冗談だって!」
「嘘だッ! 目が本気だった!!」
、逃げねえでくれよぉー」
「………キッ……キサマら、じゃれ合っている場合か」
 呆れ声のベジータ。
 いえベジータさん、貴方のせいでもあるんですけど!
 が仲良さ気にしている両親からふと目を外し、元々は地球を映していたのであろう水晶玉に、何気なく目を向けた。
「あ……ブウ、だ」
 の目の前――水晶玉の中で、散り散りになっていた桃色の物体が、一つの場所に集まり出していた。
 界王神が慌て、水晶玉を睨みつける。
「はっ!! ご、御覧なさい! 魔人ブウが元に戻りますよ!!」

 その言葉で、馬鹿げた空気が一気に吹っ飛んだ。



2009・9・30
後半でシリアス台無し…