ブウの体内 3


 ブウの細胞が、気味の悪い動きをしている。
 脈動しながら拡張と収縮を繰り返すそれらは、てらてらと光って本当に気色が悪い。
 はそれを横目にしながら、先行するべジータと悟空についていく。
 出口のあてなどない。
 自分たちにできることは、ただがむしゃらに進むだけ。
 魔人の体内に道標などあろうはずもなく、運などという不確実なものに命運をゆだねるしかない。
 不親切だ。『こちら出口です』ぐらい書いておけないのか。
 人に優しい魔人になりなさいよ。
 焦りから、ろくでもない事ばかりを考えてしまう。
 小さく唸りながら、トランクスを抱えていない方の手で汗を拭った。
「……なんか、熱くない?」
「そうだな……ってか、滅茶苦茶あっちぃよ。夏か、こん中は」
 悟空も同意する。
 先ほどまでは平常だった気温が、明らかに上昇していた。
 夏――どころか蒸し風呂状態だ。
 呼吸し辛い程の熱気が、どこからともなく発せられている。
 ブウの細胞が変形しているせいで、熱を放っているのだろうか。
「く、そ……ふらふらしてくるぜ」
 べジータが頭を振る。
 横を飛ぶは頑張って耐えているが、幼い子には酷だろう。
 ――そうだ。
 ふぅっ、と息を吐きながら、は全員に障壁を展開した。
 案外ちゃんと形成できて、拍子抜けする。
 ブウが異常をきたしているから、妨害が機能しなくなっているのだろうか。
 さっきまでは、異能の力を顕在化させるのに苦労したのに。
 理由はどうあれ、使えるに越したことはない。
「あり?」
 暑さが急に和らいで、悟空が声を上げる。
の力か?」
「うん。多少の熱防御にはなるでしょ」
「サンキューな。ってもこのままじゃなあ」
「お、おい!!」
 急にべジータが動きを止めたせいで、は悟空の背中に思い切り顔をぶつけた。
 同じくの背中に鼻をぶつける。
 痛そうにぐしぐし鼻を擦る娘に、ごめん、と謝った。
「なんだよべジータ、急に止まって」
「……あれを見ろ」
 顎で示した方向を見やる。物凄い蒸気の柱が立ち昇っていた。
 それは一定の時間吹き上がると、突然止む。
 恐る恐る近づいて、吹き出している先を見た。
 光が、肉の壁にゆっくりと閉ざされていく。
 全員が慌てて光――つまり出口付近に向かうが、到着した時にはそこは塞がれてしまっていた。
「ちくしょー、閉じちまったぞ」
 もう一度開けとがなる悟空。べジータは壁を睨み据え、ちらりと下――先ほど蒸気が昇ってきたであろう穴――を見た。
 柱が立ち消えた後であるのに、下から熱風が吹いてきている。
 熱い空気が纏わりついて、身体がジリジリする。
 蒸気本体に直に触れたら、蒸されるどころか消し炭になりそうだ。
 が不安そうに呟く。
「開かないと、さっきのぶわーっていうので溶けちゃうかも……」
「……ねえ、あの蒸気ってもしかして、ブウの頭の穴っぽこから出てるヤツなんじゃない?」
 確か怒ると、昔のヤカンが鳴るみたいに凄い音と一緒に、蒸気が出ていた気がする。
 少しの間、あの蒸気を押し留めておければ、無事に外へ出られるのではないか。
 意見を伝えると、べジータが深く頷いた。
 悟空がほっと息を吐いて、べジータに悟飯を預けた。
「わかりゃこっちのもんだ。出口が開くまで、オラが気であの熱いのを止めとく。、出口ギリギリまで下がんだぞ」
「お父さんきをつけて」
「あ、そだ」
 悟空の横に寄ったは、蒸気が上がってくるであろう場所に向けて、いくつか力を展開させた。
 気ではなく、異能力の方。
 煙突状態のその途中に、力の壁を張っておく。
 微々たるものだが、これでいくらかなりと時間を稼げるだろう。
 ……秒も保たないかも知れないが。
、でえじょぶか? あんまり力使うと」
「心配してくれてありがと。けど平気だよ?」
 一応、の自前能力は病み上がりだ。
 死の淵から復活し、力が休眠した。
 今は無事に顕現しているが、本調子ではあるまい。
 夫が心配するのも、無理からぬことだ。
 の力は単純な気の力よりもずっと、自滅と表裏一体の存在だから。
 悟空は苦笑し、そっと彼女の頬に触れた。
 ひんやりとした彼の指先が気持ちいい。
「よし、じゃあ下がってろな」
「うん」
 笑って、彼の側を離れ、とべジータの元へ行く。
 べジータは相変わらず壁を睨みつけていた。
「こじ開けられればいいんだけどね……」
「カカロットが、ブウの体内に穴を開けられないことを証明しただろう」
「だよね……」
 となると、やはりブウが怒る――というか、蒸気を吹き出すのを待つしかない。
 時間がかかるかと思いきや、案外それはあっさりやって来た。
 下のほうで、間欠泉が吹き上がる時のような唸りが鳴った次の瞬間、勢いよく蒸気が飛び出してきた。
「来た!」
 がびくりと身体を震わせる。
 ベジータがを庇うように、前に出た。
「まだ開かねえか!?」
「まだだ」
「……くそっ……波ぁぁっ!!」
 見る間に吹き寄せる蒸気を、悟空が気で押し留める。
 先ほどまでとは桁違いの熱気がたちを包み込んだ。
 肌がビリビリする。熱で痛みを感じていた。
 悟空だって、いつまでも蒸気を押し返してはいられない。
 焦りながら表への道を塞ぐ壁に目をやると、
「開き出した!」
 ゆっくり、壁が押し開かれていくところだった。
 一番小さなが最初に、次に、ベジータ、最後に悟空が開ききった穴から飛び出した。
 出た途端に小さな衝撃があって、身体がミクロサイズから元に戻る。
「え、わっ、わ!」
 それまで掴んでいた『卵のツルの部分』が、外に出た途端に消えてしまった。
 は落ちかかるトランクスの腕を、慌てて掴む。
 は、危うく悟天を岩に衝突させるところだった。
「あっぶねえ……と、とにかくやったな!」
「とりあえずこいつらを隠すぞ! ブウはまだ気付いていない」
 ベジータの言葉に従い、全員をブウから直ぐには見えない所に隠す(というか寝かせる)。
 が悟天の頭を優しく撫で、ふるふると首を振った。
「よかったぁ。悟天兄ちゃん……」
 双子を心配している娘を気にしながら、は自分の腕を擦った。
 表に出た途端に接触する気温が下がり、汗が一気に引いて少しばかり冷えている。
 悟空とベジータがブウの様子を見に、空へと浮かび上がる。
 もそれに続いた。
「あっ、わたしも!」
 が慌ててついてくる。
 は、悟空の横に浮いたまま、ブウの変化に目を見張った。
 ――なにアレ。
 ざわ、と全身が総毛立つ。
 吸収されていた仲間達は、全員引き剥がした。
 ついでに、核となっていそうな『最初の魔人』も引き剥がした。
 弱くなるはずだ。
 なのにどうして。
「ど、どうして気が増えてくの……?」
 の呟きに、誰も返事をする者はない。それぞれがただ呆然と浮いているだけ。
 変化していくブウの体型は今までのどれでもない、筋肉質なものに移行していっている。
 肩や腕の肉が盛り上がり、速度的に言えば遅くなりそうな感じの。
「え、えらくゴツイのになっちまったな……」
 引き攣る悟空。
 その間にも、ブウはまだ変化を続けて入る。
 大きく空気を吐き出したかと思えば、今度は筋肉質とは逆の方向に向かい出した。
 苦しげに呻くブウの筋肉が緩々と元の状態に戻り――いや、これは。
「お母さん、ブウ、ちっちゃくなった……」
「う、うん……」
「へっ、随分縮んだようだな」
「あれだったら、なんとかなるかもしんねえぞ」
 脅威度で言ったら今までの方が上だとばかりに、ベジータと悟空が笑う。
 けれど、の表情は引き攣って硬いままだ。
 分からない。
 普通に考えたら、悟空とベジータの言う通りのはずだ。
 それなのに、は思う。
 最初の魔人を引きちぎったのは、やはり大失敗だったのではないか、と。
 変化をしている間に見せた、あの膨張するような恐ろしい増え方の気は、小さなフォルムになった時点で形(なり)を潜めている。
 気だけなら怖れることはない――そのはずなのに。
 の身体が、かたかたと震えている。
 が彼女を抱きかかえた時、ブウが唐突に金切り声を上げた。
 猛獣の咆哮のような、子供の叫びのような、威嚇のような。
 余りの大声で、その場にいる全員が耳を塞いだ。
 泣きそうになっているを改めて抱き、は悟空に声をかけようとした。
「ごく……!?」
「チィっ!!」
 悟空、と名を呟くその一瞬前。ブウがいきなり気を地表に向けて放った。
 ベジータがそれにすぐさま反応し、ブウの気を弾き返す。
 轟音と共に、気が空へと飛んで失せた。
「あ、あぶねえーー! あのヤロー、いきなり地球をぶっ飛ばそうとしやがった……」
 ベジータに礼を言いながら、悟空は唾を飲み込む。
 一瞬でも行動が遅れていたら、地球は木っ端微塵になっていた。
 ブウは粉々になっても元に戻れる。悟空たちを手っ取り早く屠る方法かと思いきや、ブウにそんな様子は見られない。
 ただ、自分の下に地面があったから撃った。そんな感じを受けた。
「おか、お母さん、アレちがう……ちがうよ……」
 震え混じりの声で呼ばれるも、は娘の身体を抱き締めていることしかできない。
 彼女の言いたいことは分かったし、理解もできた。
 形容し難いが、あれは確かに『違う』。
 ベジータが焦りを滲ませ、ブウに叫んだ。
「この星を吹っ飛ばす前に、オレたちと戦ったらどうだ!!」
 ブウがじろりとこちらを見る。
 がひゅっとノドをならした。恐れで呼吸もままならないらしい。
「ふん……そうこなくちゃな……」
 視線が向いたことで、闘う気があると踏んだのだろう。
 ベジータが笑う――が、次のブウの行動に、目を見開いた。
 ブウの右手が空に向けられ、細かい振動音と共に巨大な気が現れた。
 瞬く間に大きくなったそれは、大気を戦慄かせている。
「で……でけえ……嘘だろ!? あれをぶっ放すつもりか!!? あ、あんなの……跳ね返せねえぞ……!」
 たとえこの場に、今一番実力のあるであろう悟飯が起きていたとしても、跳ね返せない程の力だ。
 あんなものを打ち込まれたら、ひとたまりもない。
 自分たちも。地球も。
「よ、止せっ、ブウ頼む! 地球が……オレたちと戦うんだろ!?」
 急いて止める悟空の言葉に、ブウの口唇が孤を描いた。
 その手から、気が打ち込まれる。
 ――う、そ。

 轟、

 と空気が鳴った。
 近づいてくる巨大な桃色の物体に、汗が、ぜんぶ引っ込んだ。
「くっそぉっ!! こっちだ!! みんなと瞬間移動する!!」
 悟空がの手を掴み、ベジータに叫ぶ。
 を必死で掴みながら、背後に迫る力を見ないように必死に飛んだ。
 途方もない大きさの癖に、接近速度が半端ではない。
 仲間たちの所へ向かうその途中、悟空が何かに気づいた。
「っ、!!!」
「は、はいっ!!」
 悟空の言わんとすることを理解したは、彼の手が離れても全力で飛び続けた。
 戻ってきた時、悟空の片手にはミスター・サタンとサタンに抱かれた犬、サタンにしがみ付いているデンデがいた。
 何が起きているのか分からないのだろう。サタンはきょとんとしている。
 額に指を当てて、瞬間移動の準備をする悟空のすぐ近くを飛びながら、は背後を見ないように必死だった。
 見れば、恐怖ですくむ。
 確実な死がそこに迫っている。
 心臓がうるさい。息をしているのか止めているのか、自分でも良く分からなかった。
……っ、掴まってろ!!」
 言われた通り、は悟空の服を掴む。
 掴んだ悟空の服に集中して、彼の背中を見つめ続けていた。
 ――まに、あわない。
 最悪の結末を思い描いてしまった時、悟空の正面に誰かが現れた。
 その人が、悟空に手を伸ばす。
 伸びてくる手が、ひどくゆっくり見えた。
 がベジータの手を掴む。
 が悟飯たちの姿を探した瞬間に、視界がぶれた。

 次に感じたのは、自分の身体が悟空の背中にぶつかった感触だった。
 彼に支えられるようにして止まった体。
 ないはずの地面を踏んでいる自分。
 悟空の道着を掴んだまま――はその場にへたり込んだ。



2009・9・16