泣き止んだは、目を腫らしながらも父、悟空の腕の中から抜け出る。
 彼の腕の中は母のいるべき場所だ。
 長くすがっていていい場所ではないと、そう思っていたから。
「……お父さん、これから、どうするの?」
 の問いに、悟空は彼女の隣に腰掛けたまま、床を見つめた。



誰かが嘆く刻 4



 悟空がこの世にいられるのは、1日だけ。
 クリリンは、今日中に悟空がなんとかできないかと言うが、それは彼自身が否定した。
 自分とほぼ互角のベジータが、捨て身でやっても魔人ブウは平気だったためだ。
 いくら悟空が独りで突貫したとしても、絶対に勝つことはできないと。
 彼は深く息を吐いた。
「くそ……ベジータか悟飯のどっちかだけでも生きてたら、まだ、なんとかなったかも知んねえのによ」
「いや、恐らく多人数でも無理だっただろう。そういうレベルじゃなかった」
 ピッコロが言うが、悟空は首を振る。
 そうじゃないんだ、と。
「フュージョンって技があってさ。それを使えたんだ」
 は聞いた事がなかったが、デンデは知っていたようだ。
 メタモル星人の得意技らしい。
 あの世で会ったメタモル星人から教えてもらった術で、体や力の大きさが相当似通った場合にだけできる合体技だと、悟空は言う。
 2人が1人に融合する事で、それぞれでは不可能だったような、凄い力を発揮できるというもの。
「それが、ひゅ……ええと、フュージョン?」
「ああ」
 悟空はの頭を撫でる。
「メタモル星人は、てんで弱っちくて大人しい2人だったんだがよ、フュージョンを使ったら、相当の戦士に変身したんだぜ」
「お兄ちゃんか、ベジータおじさんがいれば、フュージョンできたのにね……」
 肩を落とす
 悟空は、術は教えてもらったものの、使用したことはなかったようだ。
 あの世には悟空と同程度の強さのものはおらず、試せなかった。
 習うのにも1週間ぐらいかかったため、どちらにしろ今からどうこう出来るようなものでもないと、悟空は乾いた笑いを転がした。
 話を聞いていたクリリンが、ある事に気づいて拳を握る。
「む、無理じゃないんじゃないか? 悟空はもうすぐあの世に戻されちまうけど、そこには死んだ悟飯やベジータがいるじゃないか!」
 あの世でフュージョンして、こちらに戻ってくればいいんだと言う彼だが、ピッコロは静かにその提案を蹴る。
 悟空は合体していても、もう2度とこの世には来れないし、ベジータはあの世にもいないはずだと。
 は『もう2度とこの世に来られない』という言葉に、悟空の手をぎゅっと握った。
 加えて、『ベジータがもうあの世にもいない』というのには、非常に不服があったけれど、口に出す事はしなかった。
 打つ手がなくなり、しん、と静かになる。
 このままブウを放置しておけば、間違いなく地球は死の惑星――どころか、消えてしまうだろう。
 言葉どおりの消滅だ。
 フュージョンは、力や体の大きさが似通った場合にのみ、使用できる。
 ――似通った場合。
「あの……お父さん、わたしと悟天お兄ちゃん、双子だけど、だめ? トランクスくんと、悟天お兄ちゃんとか」
「――っ! そ、そうか! その手があった!!」
 悟空は立ち上がってを抱き上げると、ぐりぐり頭を撫でてすとんと下に落とした。
「悟天と――いや、悟天とトランクスだ!」
 ギリギリまで自分がチビたちにフュージョンを教えると、悟空は言う。
 けれどそれだけでは絶対に時間が足りないので、後はピッコロが後を引き継いで、2人を修行させるよう告げた。
ちゃんは女の子だから駄目なのか?」
 クリリンが問う。
 悟空は手を振り、違うと答えた。
の場合、異能力交じりだろ? どうなっか分かんねえかんなあ」
「ああ、そうか……」

 トランクスと悟天がフュージョンを仕上げるまでに、かなりの時間を要するはず。
 それまで相当数の人間が、ブウの犠牲になると考えておいた方がよく、最悪の場合、地球が消滅させられるかも知れない。
 ピッコロは、これは賭けだと静かに告げる。
 けれども、もし全滅させられたとしても、ドラゴンボールとピッコロやクリリンたちがいれば、元に戻れる。
 犠牲などない方がいいのだが。
 この状況でそれを求めるのは、余りに非現実的だろう。
「よ、よし。どっちにしろ、オレは下にいる仲間を連れてくるよ!」
 クリリンが言って、駆けて行こうとしたその時――空がいきなり暗くなった。
 は目を瞬く。
 こんな風になるのを、初めて見たからだ。
 彼女は、神龍の出現時、空が暗くなるのだと知らなかった。
「な、なんで……なんで神龍が!?」
 ドラゴンボールを集めて持っていたのはブルマで。
 けれど事情を知らないはずの彼女が、どうして龍を呼び出すのか。
 悟空はハッとする。
 武道会場で、ベジータが多くの人を殺した。
 それを生き返らせようとしているのだと気付く。
「や、やべえ。今3つの願いを叶えられたら、1年後まで……オラ止めに行って来る!」
 悟空は額に指を当て、うんうん唸ってやっとブルマたちの気を見つけ、その場から一瞬にして消えた。



 は、暗い空に浮かんだ巨大な龍を見て、驚くより先に畏怖の念を抱いた。
 神の龍。
 こんな、お伽話にしか出てこないようなものを拝める日が来るなんて、思っていなかった。
「び、ビーデル……これ、夢じゃないよね?」
「馬鹿言わないでよ、。……夢じゃないわよ」
 確かに、夢のようではあるが、決して夢ではない。
 この龍が、願いを叶えてくれるという。
 しかも3つ。
 天界に坐す神様が創った、まさに神の創造物。
 多分、本当は選ばれた人間だけが(ドラゴンボールを探しきれた人だけが)見ることができる景を目の前に、はただ目を瞬いた。
「本当に、生き返るのかしら」
 ビーデルはそれでもなお訝しんでいるが、はもうそれを事実だと認識している。
 それぐらい、この龍には迫力――というか、信じさせるだけの何かがあった。
 ブルマがどう願いを言ったらいいかと悩む横から、ヤムチャが声を張る。
「今日、死んだ人を生き返らせてください! 悪人を除いて!」
 ――へえ、そういう指定ができるのね。
 神龍は、承知した、と重々しく言う。
 赤い目が輝き、すぐさま願いを叶えたと言う。
 そんなあっさりと……。
「しっ、しまった! 間に合わなかった!!!」
「は? ……え、悟空さん」
 いきなり自分の横に現れた悟空に、は驚いた。
 だって、絶対にさっきまで隣にいなかった。
 けれど今更、何でもありなのかと思い直す。
 彼はこめかみに指を押し当て、デンデに話しかける。
「聞こえるか? 1つだけどよ、願いを叶えちまったよ……どうする」
 彼は1人で会話をし、納得したようだ。
 当然ながら、周りにいる誰も、彼が何を言われているのか分からない。
 うんうんと頷き、悟空は急に神龍に手を振る。
「今回の願いはもういいんだ神龍! サンキュー! また今度頼むな!」
 神龍は
「では、さらばだ」
 低い声で唸るように言うと、体を光らせた。
 光の柱が立ち昇り、上空で七つの光が弾け飛ぶ。
 以前悟飯から、ドラゴンボールは願いを叶えると、7つ散り散りになってしまうと聞いていた。
 3つ叶えられるところを、1つで止めたのには理由があるのだろう。
「悟空さん、どういう事なんですか……?」
 彼は、の問いに答える前に、まずは天界へ行くと告げた。



「あっ、お姉ちゃん!」
 天界へ瞬間移動したやブルマたち、地上にいた仲間を見て、が駆けて来る。
 勢いよく飛んできたを、は数歩、たたらを踏みながら受け止めた。
「あはは、ちゃん無事でよかった。悟天くんとトランクスくんには会えた?」
「うん……」
「ところで、さんや悟飯くんは……? あの大きな家の中にいるの?」
 神殿を示しながら言うに、けれどは俯いて何も言わない。
 は、彼女の態度を怪訝に思い、質問しようとした。
 それを止めたのは、悟空で。
「……悟空さん?」
「どうせ言わなきゃいけねえことだ。みんなも聞いてくれ」
 その場にいる全員が――事情を知る者は辛そうに、そうでないものは不思議そうに――悟空を見る。
 きゅっと、の手がの手を掴む。
 あまりに不安気――というよりも悲しげな表情に、ビーデルとは顔を見合わせた。
 悟空は一拍置き、ごくあっさりと事実を述べる。
「悟天とトランクスは無事だ。悟飯とベジータ……それから……」
 一旦、彼は言葉を切る。
 その一瞬の中に、悲痛な想いが隠れているような気が、にはした。
 ――彼は切った言葉を繋げる。
 それが事実なのだと――誰にでもなく、自分に――認めさせるみたいに。
「それから……は……おそらく死んだ。魔人ブウに、殺されたんだ」


 誰もが、彼が何を言っているのか、瞬時に判断できなかった。
 ――悟飯くんと、さん、ベジータさんが、死んだ?
「なんの……なんの冗談を、言ってるんですか」
 ビーデルの声が震えていた。
 すがるような瞳で悟空を見る彼女を、は強く引っ張る。
……だって」
 ただ無言で首を振る。
 悟空さんがあんなにも愛しているさんを、冗談でだって死んだなんて言うもんか。
 悟飯から今までの話を聞いていなければ、冗談だと思ったかも知れない。
 でも、は知っている。
 悟空が、どれほどを――自分の妻を、想っているのか。
 悟飯とからずっと、悟空の話を聞かされてきたのだ。
 どれだけ大事にされてきたか知っている。
 だから。
 だから、悟飯も。
「……そんな、そんなのって……」
 ビーデルの瞳に、涙が浮かぶ。
 向かいにいたブルマも、口唇を震わせ――叫ぶようにして泣き出した。
 ブルマは夫と、それから、という親友を失った。
(……私、私は……悟飯くん、どうすればいい……?)
 あまりにも、自分が無力だった。
 怖くて、怖くて、身震いするほどに、無力だった。
 そうして気付く。
 彼らは、いつだってこんな風に――危険な目に遭いながら、何度も地球を救ってきたのだと。
 けれどこの場で、は痛いほどに凡人だった。
 何の力もない、ただの人間。
 それが、悔しい。

「……それでも、2人は生きてる……絶対に……」

 宣言するように、生存を謳う。
 にはどうしても――悟飯が死んだと思えなかった。
 もちろん、彼の母親も。



2009・1・23