誰かが嘆く刻 3 「……う……ってぇ……」 酷い頭痛がする。 まだべジータからのダメージが残っているのか、後頭部がじんじんした。 悟空は、後頭部を擦りながら肩膝を立てて起き上がる。 地面に座り込んだ悟空は、自分の側に落ちていた布袋をつまみ上げ、確かに中身が空なのを確認し、息を吐いた。 「くそ……ベジータの奴、残り1粒の仙豆を……」 自分を気絶させ、独りで魔人ブウの所に行ったらしいと確信する。 膝に力を入れて立ち上がった。 状況を把握しなければ。 どうなったのかを調べるために、まずはそれぞれの気配を探った。 強烈な魔人ブウの気は、すぐに感じ取れた。 けれど、ベジータの気は全く感じられない。 もう一度注意深く探るものの、やはり気が見つからなかった。 ――まさか、やられちまったのか? バビディの術にかかったままの状態の、強化版べジータを。 自分が気絶していた時間がどの程度かは分からないが、そう長いことでもないはずだ。 抜き差しならぬ状況を思わせる。 次に悟飯を気を探ったが、悟飯の気も感じ取れない。 嫌な予感が、全身を包む。 クリリンとピッコロは生きている。 石から解けているという事は、ダーブラは倒されている。 悟飯によってか、ブウ、またはバビディによってかは分からないが。 「…………」 立ち尽くしたまま、悟空は沈黙する。 悟空が最も気にしている人物の気を、彼は調べられない。 簡単な事なのに。 誰を探すよりも簡単なはずなのに。 いつもずっと側にいた存在の気を探すことを、悟空はためらっていた。 彼女だけは――大怪我はするが――いつも無事で。 だから、大丈夫なはずだ。 意を決し、彼女――の気を探る。 ほんの小さな欠片さえ見逃さないように、注意を払いながら。 「………嘘だ」 ――そんなはず、ねえ。 ブウの気の近くを探しても、ピッコロやクリリンの気の近くを探しても、彼女の気配はない。 気は、その人の生命エネルギー。 それが欠片すら感じ取れないという事は、つまり瀕死の重傷か、または。 ――嫌だ。 奥歯を噛み締める。 違う。 絶対に、どこかにいる。 気付いていないだけで、絶対に生きている。 自分に言い聞かせ、しつこいぐらいに気を探った――けれど。 「なんで、だよ……」 駄目だ。そんなの在り得ない。そんなこと考えるな! 「……なんでだよ。……なんで……なんでの気が見つからねえんだよぉッ!!」 拳を握り締め、空に向かって叫ぶ。 声は空気に溶けて消えてしまう。 悟空は俯く。 自身の手が震えている事に気付いた。 手を開いてみても、閉じてみても、震えは止まらなかった。 呆然と、その場に立ち竦む。 の存在が確認できない。その、恐ろしい喪失感。 縫い止められたように動けない。 本当は、分かっているのかも知れなかった。 悟飯の気がないということは、一緒にいた彼女も――。 見えるもの全てが、灰色に塗り替えられる。 身体のどこかが粉々になって、自分の中から飛び散って行ったみたいだ。 「……」 名を呼ぶけれど、いつも「なあに?」と、笑顔で返事を返してくれる愛おしい存在は、ここにはいない。 彼女は悟空があの世に戻っても、会いに来てくれると言った。 バビディの宇宙船から出たら、キスしていいと言ってくれた。 なのに。 「……キス、してもらってねえよ、……」 立ち尽くしたままの悟空の頬を、涙が滑り落ちた。 悟天とトランクスは、神様の神殿にある寝室に寝かされていた。 は2人から離れ、神殿の正面階段に腰かけ、細い息を大気に吐く。 ピッコロから、と悟飯は死んだのだと聞かされた。 確かに探しても2人の気がなくて、だからそれはたぶん、真実で。 泣いてしまいたいのに、泣いたら、本当に2人がいなくなってしまったと認めるみたいで、嫌だった。 むっつり押し黙ったまま、傍目から見れば不機嫌な表情で空を仰ぐ。 そこにデンデが歩いてくる。 「さん」 「……神さま」 「なにか、飲み物でも持ってきましょうか? 温まりますよ」 気遣いから言ってくれたのだと理解はしたが、は首を振る。 なにかを口に入れたい気分ではなかった。 膝を抱え、背を丸てうずくまる。 デンデは何と声をかければいいか判らずに、ただ彼女の丸まった背中を見つめた。 こんなに小さい女の子なのに、一生懸命、胸の中にある悲しみを殺している。 神という名を冠しながら、なにもできない自分を、デンデは恨めしく思った。 ふいにが顔を上げる。 神殿に現れた気配に気づいたからだ。 「これは……悟空さんの気ですね!」 デンデはに声をかけ、立ち上がる。 悟空の元へ行こうとするデンデと対照的に、はまた顔を伏せた。 「さん?」 「……もうすこし、ここにいる」 動く気配のない。 仕方なくデンデは悟空のところへ向かった。 それから少しの時間を置き、の頭に暖かな手が触れた。 近づいてくる気配を知っていたけれど、立ち上がるどころか、顔を上げもしない。 「」 父の、優しい声。 ぴくりとの肩が動く。 隣に悟空が座る気配がして、それでやっと顔を上げた。 怒鳴りたかった。 どうして、母を死なせたんだと。 どうして、悟飯兄ちゃんを死なせてしまったんだと。 自分を棚上げしてる事を承知で、はそれを口にするつもりだった。 だけれども。 父が自分を見た瞬間、出そうとしていた怒りが引っ込んだ。 彼の瞳は、ひどく悲しげだった。 が今までに見たこともないような、悲しくて、寂しい彩をしていた。 微かに微笑むその姿は、気丈であろうとする大人のもので、けれど同時に、今にも泣き出しそうな子供のようで。 自分の哀しみなど、彼のそれの一片にすら敵わないのではないか。 見ているこちらが胸を掻きむしられそうなくらい、複雑な表情。 は幼い。 己の感情に素直だ。 それでも、今の悟空に怒りを向けることなどできなかった。 だって父は、自分よりずっとずっと、悲しんでいるから。 優しく頭に触れる父親の手が、喪失の衝撃で震えていることに気づいていたから。 我慢していた涙が、溢れ出て落ちてきた。 「……っく……ひ、っく……。おか、さん……兄ちゃん、も……生きてる、よね……?」 悟空は答えない。 は自分の服の裾を、力を込めて掴む。 「ちがうもん……っ、死んで、ないっ……。おに、ちゃんは強いもん……っ、お父さんは、お母さんを……守ってくれるっ……からっ……だから……!」 「……」 悟空の手がを引き寄せ、抱きしめる。 温かい胸は、けれど確かに震えていた。 ――お父さんは、泣いてる。声を上げて泣いている。 彼は表面上、泣いているわけではなかったけれど、は確信した。 誰よりも悲しんでいるのは彼だと。 父の悲しみにあてられて、の悲しみが深くなる。 「うぅ〜〜っ……お母さん……おにいちゃぁん……っ!!」 悟空は、自分の腕の中で泣いている娘の背中を撫でてやりながら、奥歯を噛み締めた。 はにそっくりで、だから、顔を見た瞬間に心臓が締め付けられて。 似て非なる存在。 けれど、すがりたくなる。 自分の小さな娘に、許しを請いたくなる。 お父さんは、お母さんを守ってくれるというの言葉は、悟空の耳に痛かった。 守るつもりだった。 悟飯がいるからと、油断していたのかも知れない自分に、腹が立った。 言い含めて、家に帰せばよかった。 決して呑んではくれなかっただろう。 結果は同じだったかも知れないが、それでも。 「……すまねえ」 端的に謝る悟空。 がすすり泣く。 彼女はいつも無事だったから――大丈夫だなんて。 ――なんて愚かだったんだろう。 。 今すぐ、おめえを抱きてえんだ。 抱きしめて――たくさんキスをして。 2度と離れたくねえって、言いてえのに。 2009・1・14 |