駄々っ子みたいに


 大界王星。
 界王の星よりも大きく、英雄と称される者たちが死後も肉体を与えられ、日々修行を行っている。
 東西南北の界王を統べる、大界王の星。
 セルの自爆に巻き込まれて死んでしまった悟空と界王は、今そこに居を据えていた。

 北の界王――の義父――は眉根を寄せながらイスに腰掛け、窓の外を見つめた。
 暫くそうしていたが、思い立ったように立ち上がると、悟空を気を探した。


「悟空よ」
「おっ、界王さま。どうかしたんか?」
 北宮――北の銀河出身の英雄たちの宿舎――の庭の一角で、知り合いと話をしていた悟空は、界王の存在に気付いて手を振る。
 界王が悟空と話をしていた男に、少し外してくれとの旨を伝えると、彼はすぐに一礼して去って行った。
「悟空、ちょっとわしの部屋へ来い」
「……どうかしたんか?」
 真剣な表情に、悟空も気が引き締まる。
 何も言わぬままに部屋へ戻った界王は、悟空を引き入れ、扉を閉めさせると椅子に座った。
「……なあ、なんだよ界王さま」
 この期に及んで、界王は言うべきか言わざるべきかを考えた。
 言えば、私情を挟んでいると認めざるを得ない。
 だが――私情だろうがなんだろうが、界王は見過ごしておけなかった。
 ――の状態を。
「悟空よ。折り入って頼みがあるんじゃ」
「だ、だからなんだよ……」
「界王としてはあるまじき事なんじゃが。――と、話をしてやってくれんか」
 目を瞬く悟空。
「そりゃあ、オラは全然かまわねえ……ってか話してえけどさ。いきなりなんでだ?」
 界王は深い息を吐き、ここ1週間ほどの、の様子を話してきかせた。
 悟空がいなくなってから、無理をしていると。
「……わしゃあ気になってなあ。様子を見とったんじゃが……どうもマトモに寝れてないみたいでのう」
 ベッドに横にならず、床の上で背中を預けて眠るような毎日。
 無理に、負の感情を殺しているのも分かっている。
 かつて、異世界の地球で育てていたあの頃と、まるきり同じ――もしくは大人になった分だけ、もっと性質が悪い。
 子供の頃は感情を止めるだけだったのに、今は周囲に察知されまいと、心配をかけまいと笑顔を振りまいている。
 あんなもの、長く続くはずはない。
 説明を聞いた悟空は床に視線を落とし――頷く。
「界王さま、頼む」


 界王の背に手をあて、悟空はに声を送る。
 瞳を閉じれば、彼女の状態が瞼の裏に映り込む。
 向こうはどうやら夜のようで――確かに彼女はベッドで眠っていない。
 ブランケットを羽織り、冷たい床の上でベッドに背を預けながら、縮こまっていた。
「……。オラの声が聞こえっか?」
 がのそりと顔を上げる。
 周囲を見回し、声だけだと気付くと、また顔を伏せた。
?」
『……うん、聞こえるよ』
「おめえ、大丈夫か?」
 乾いた笑いが転がる。
『あはは……平気。別に怪我してたりしないでしょ? それより、こんな遅くにどうしたの。あの世じゃ夜って概念がないんだっけ』
 軽口を叩くに、悟空と界王の眉根が寄る。
 明るい声色だが――切羽詰ったかのような、小さな違和感。
 界王は意を決して言う。
。こちら側へ跳んで来い」
 驚く悟空。
 けれど彼女は答えない。
 ただ静かに、床を見つめている。
「お前の様子はこっちに見えとる。ほれ、床に座っとらんと、さっさと跳びなさい」
『閻魔大王に怒られちゃうよ』
「わしが幾らでも怒られてやる! だからさっさと跳んでこんかい!」
 界王の怒鳴り声に、それでもは動かない。
 彼女はブランケットをギュッと掴み、首を横に振る。
 自分から動く気はなさそうだ。
 怒気を孕んだ界王は、いきなり気を高め出す。
「うわっ!? 界王さま、なにしてんだ!?」
「こっちに来るんじゃーーーっ!」
 いきなり咆哮したかと思うと、青白い光が部屋を埋め尽くした。
 悟空は目を閉じ、光から目を護る。
 ……。
 気付くと、界王はひどく息切れを起こし――そして、その界王の側には、が目を瞬かせ、座っていた。
 ブランケットで自分をくるんだまま、は自宅の寝室から大界王星まで、界王の力で引っ張られてきてしまったのだった。
 ぜいぜいしながら、界王がわははと笑む。
「どうじゃっ! これぞ名づけて、『お父さんを舐めるなよ!』攻撃じゃ!」
 ……攻撃じゃないだろ、と悟空は思う。

 わははと笑う界王の近くで、は自分の状況に理解が及び、深くため息をついた。
 界王は異能力を持ってはいないが、と彼の間には繋がりがある。
 娘と父親という、絆のような物だが。
 こちらの世界に来て一番初めに界王星に飛んだときも、この方法だった。
 自分で飛んだのではなく、界王の要望に応え、の異能力が発動した。
 もう2度とないと思っていたそれを、また父が使うとは思っておらず。
 界王は大きく息を吐く。
「昔とは違って、お前の意志力が弱まっておったからこそ、使えたんじゃ。……まったく、世話の焼ける娘じゃわい」
 は父の顔も悟空の顔も見れず、ただ俯いて唇を噛む。
 見てはダメ。
 折角一週間頑張ったのに、今ここで彼を見たら。
 ぎゅぅ、とブランケットを握りしめるの肩に、悟空がそっと触れる。

 優しい声。
 更に布を掴む手に力を入れる。
 見ちゃダメ。
 見ちゃダメ。
 見たら――私は。
 悟空はを正面から見つめ、顎を優しく掴んで自分の方を向かせる。
 優しい手に、声に、抗えない。
 ひた、と視線が合った。
「……
「……悟空」
 ふわりと笑む彼を見た瞬間――はボロボロ涙を零し始めた。
 嗚咽を止めようと懸命になるが、一度せきを切って溢れ出した感情は、自分自身で止める事が難しくて。
「ひ、っく……ふ……ぇ……」
 界王は2人から少し離れた所で、様子を見守っている。
 悟空はの髪を撫ぜ、
「我慢しねえで、全部吐き出しちまえ」
 図らずも、が悟飯に言った言葉を告げる。
 は悟空の胸を叩き、わんわん泣いた。
「私……っ……母親だ、から……頑張ってたのに……父さんが……悟空が呼ぶから……っ!」
 八つ当たりだと自分で分かっている。
 けれど止められない。
 溜めに溜めていた負の感情が溢れ出し、我慢がきかない。
 泣きながら叫ぶを、悟空は優しく抱きとめる。
 胸を叩かれても文句も言わず、唯、感情を受け止めた。
「悟空は死んじゃって……こっちで楽しいかも知れないけどっ! 地球は平和になるのかも知れないけど……私は……私はちっとも幸せじゃないし楽しくない!!」
「……うん」
「私は……私は悟飯も悟空もいなくちゃ嫌だぁ……っ!!」
 うわぁんと子供のように泣き出すの言葉は、今まで押し隠していた本心だった。
 物分りのいい人でいなくちゃ。
 悟空にも悟飯にも、迷惑をかけたくない。
 そう思うが余りに押し込めていた、自分の気持ち。
 我侭だと思うが、紛れもない本心だ。
「ひっく……ひく……」
 散々泣き続け、涙でぐちゃぐちゃになった顔を、手で拭う。
「……頑張れないよ……。私、そんなに……強くない……」
 悟空はを抱きしめ、背中を撫でる。
 道着が涙で濡れようがお構いなしで、愛しい存在を胸に抱いた。
「……ああ、もう頑張んなくていい。泣いて、弱音吐いていいんだ。こうやってがここに来てくれたら、オラなんでも聞くさ」
 肩を震わせているを抱きこんだまま、悟空は優しく優しく言う。
 これ以上、大事な人が辛くないようにと。
、オラの我侭聞いてくれっか? オラな、死んじゃったけどおめえに会いてえ。……だから、オラが寂しくならねえうちに、会いに来てくれ」
「……っそんな、の……悟空の我侭じゃなくて……私、の……我侭じゃ……」
「オラの我侭だ。聞いてくれ、な?」
 きつく抱きしめてくる悟空の背中にも腕を回し――彼を抱きしめた。
 失ってしまった温もりが、ここにある。
 悟空はが泣き止むまで、ずっと抱きしめ続けていた。

「……全く。うちの娘は自分の事を後回しにしすぎじゃ。我慢強いにも程があるぞ」
 悟空の腕の中で泣き疲れて眠ってしまったを見、界王が軽くため息をこぼす。
 悟空は眠っているを見て、ひどく幸せそうに笑む。
 界王はぽりぽりと頬を掻いた。
「あー……なんじゃ。悟空よ、隣にわしの寝床がある。そこに寝かしてやってくれ」
「ああ。んでもさあ、がこのままこっちで眠っちまったら、悟飯がしんぺーすっだろ」
「その辺は任せておけ。ちゃーんと連絡してやる」
 そっか、と悟空は納得し、を抱っこしたまま寝室へと移動した。
「さぁて……こほん。孫悟飯よ、聞こえるか――?」

 をベッドに横たえて布団をかけてやり、悟空はすぐ側に座って彼女の寝顔を見つめていた。
 死んでしまったのに、こうして会えるのは界王さまのおかげで。
 感謝しないといけない。
「……ん……ごくぅ……」
「……寝言か?」
 不安そうに眉を潜めているの手を、そっと握ってやる。
 暫くすると安らかな寝顔に戻った。
「ゆっくり休めよ、。オラここにいっからな」



駄々っ子なヒロインでした。
2007・3・2