悟飯はとどめをさせるにも関わらず、そうしない。
 セルは充分にある時間の中、ピッコロ譲りの再生能力で、自身を復活させていた。
 かといって、失った気が戻ってくるわけではないのだが。


セルゲーム 8


「ち……畜生……畜生畜生……ちくしょおおおぉぉーーーーッ!」
 完全に頭にきているセルが上空で叫ぶ。
 気が充実し、身体に力がみなぎっていく。
 だがそれはひどく偏りのあるもので。
 セルの身体は、通常の2倍ほどに巨大化していた。
 勢いよく地面に足をつければ、ドズン、とやたら重たい音が響く。
 血走った目を悟飯に向け、セルは完全に逆上していた。
「き……キサマなんかに……キサマなんかに負けるはずがないんだああっ!」
 大振りで殴りかかった拳はあっさり避けられ、地表を破壊した。
 ぼこりと大きな穴が開く。
 衝撃で周囲に亀裂も入っていた。
「ぬぁあああぁーーーっ!」
 やたら滅多らに殴りかかるが、全く悟飯のスピードについていけない。
 トランクスが唖然とした。
「パワーを気にしすぎた変身で……スピードが全くついていってない……」
 力重視の変身でスピードが殺されている。
 トランクスにそう指摘したはずのセルが、同じミスをやってのけていた。
 元々勝てる見込みのない戦いが、更に勝てない状況に陥っている。
 それは地球に住む者にとっては嬉しい事なのだが、ある種、滑稽ともいえる展開で。
 悟飯は飛び上がると、セルの顔面に強烈な蹴りを食らわした。
 鈍い音がし、セルが動きを止める。
 なまじ体が大きく重量があるため、倒れなかった。
 それが災いし、隙だらけになったその腹に悟飯の拳が入る。
 背中にまで貫通しそうなほどの力のある拳に、セルが膝をついた。
「おあぁ……が……あぐぉ……!!」
「!? な、なに??」
 は眉を顰める。
 何やら様子のおかしくなったセルの、腹から胸にかけて、せり上がって来る物体があった。
 押し止めようと口元に手をやるが、身体は既にそれを吐き出そうとしている。
 再度飲み込むなどという器用な真似もできず――セルは粘膜に包まれた何かを吐き出した。
 空気に触れ、粘膜がドロリと溶ける。
 よくよく見てみると、それはかつて飲み込まれたはずの18号だった。
「じゅ、18号を吐き出した!」
 クリリンが叫んだ直後、セルの形状が変化し始める。
 あちこちが歪み始め、体が今の形を拒否するかのように――以前の形態に戻ってしまった。
「あれって……完全体じゃ、なくなった?」
 の問いに、誰しもが頷く。
 悟飯は鋭い視線を変えず、舌打ちした。
「ちぇ……つまらない。それじゃあお前ももう終わりだな……」
 その言葉が直接のきっかけになったのかは、分からない。
 セルは憤怒に満ちた表情で悟飯を見つめ――
「ゆ、許さない……許さないーーーーっ!!」
 更に形状を変化させ始めた。
 腹部が膨れ、同時に顔が膨れる。
 膨張した風船のようだ、とは思った。
 悟飯には、奴が何をしているのか分からなかった。
 しかし、悟空は気付いた。
「ぐひひ……き、貴様らはもう終わりだ!」
 満足げな声に悟飯の眉が動く。
 セルは嬉しそうな笑い声を暫く上げていたが、唐突にとんでもないことを宣言した。
「あ……後数分でおれは自爆する……。おれも死ぬが、貴様らも全部死ぬ……」
「な、なにっ!?」
「……な、泣いて謝っても無駄だぞ……こ、ここまで来ると……もうおれ自身にも止めらられないからな!」
 ざぁ、と背筋が寒くなる。
 ――嫌な予感が当たってしまった。
「そうはさせるか!」
 悟飯がセルを倒そうと構えを取るが、
「おっと、攻撃しない方がいい! 衝撃を与えればその瞬間に爆発するぞ。もっとも、ほんのちょっと死ぬのが早くなるだけだがな……ぐははは!!」
 そう言われてしまっては攻撃できない。
 その間にも、セルの身体はどんどん膨張していく。
 悟飯はがっくりと膝をつき、自分がしでかした事に怒りを覚え、地面に拳を叩きつけていた。
「僕のせいだ……。早くとどめをさしてさえいれば……っ!」
 言葉をかける余裕すらなく、はどうにかならないかと考えを巡らせる。
 セルを攻撃すれば、瞬時に全てが終わる。
 攻撃以外の方法で、あれを何とかしなくてはならない。
 異能力で障壁を作ってセルを囲い、爆発してもいいように――否、ダメだ。
 地球を吹き飛ばすほどのエネルギーに、防壁が耐える事はできないだろう。
 では、空間転移を使ってどこかへ飛ぶ?
 これもダメだ。
 自身しか飛べないのだから、セルを連れて行けない。
 ぐっと口唇を噛み締めたの肩に、暖かな手が触れる。
 顔を上げると悟空が微笑んでいた。

「悟空……?」
、ごめんな」
「ごく――っん」
 そっと、暖かな口唇が触れる。
 微かな鉄錆の味。
 触れるだけのそれ。
 温もりは悟空が離れても、そこに残っていて。
 怪訝な表情を向けるは、彼の真っ直ぐな目を見てはっとした。
 自身しか、転移する事ができない。
 でも、悟空は――。
「だ、だめ……やめて、悟空……」
「やっぱどう考えても……これしか……地球が助かる道は思い浮かばなかったんだ」
 クリリンもピッコロも、不思議そうに悟空を見やった。
 肩にあった悟空の手が外される。
 止めようと、掴もうとする腕を悟空が掴み、柔らかく離す。
 まるで、分かってくれと言わんばかりだ。
 分からない。
 分かりたくない。
 今度こそ、本気で失ってしまう。
 失って、戻ってこない。
 は瞬間的に叫んでいた。
「ごく……悟空……叩いちゃって……ごめ……何も出来なくて、ごめんなさいっ!!」
 言葉と一緒に涙が溢れる。
 彼は微笑み、頷いた。
「……バイバイ、みんな……」
 嫌だと心は絶叫するのに、叫び声は出ない。
 ノドの奥が引き攣れて、熱くて。
 涙が、鬱陶しかった。


 悟空はセルの元へと瞬間移動し、そこからセルと共に何処へかと飛ぶ。
 行く先は予想がついた。
 界王星。
 他に多大な迷惑をかけずにセルを自爆させられるのは、あそこしかない。
 は夫と、自分を大事してくれた義理の父親を、いっぺんに失った。

 悟飯が大声で叫ぶ。
 そのまま泣き崩れる彼に、誰も近づけない。
 ベジータも、トランクスも、ピッコロでさえ。
 語る言葉を持たず、ただ立ち尽くしていた。

 はもう、泣いてはいなかった。
 自分がすべき事があるのだと、必死に自分に理解させる。
 このまま自分だけの悲嘆に暮れられるのならば、どんなに楽だろうと思うけれど、それはできない。
 自分が泣き出せば、弱くなれば、傷つくのは息子だからだ。
 悟飯に歩み寄る
 クリリンもその後に続いた。
 力を込めて拳を握り締め、膝を折って泣き続けている悟飯。
 その場に座り、はそっと、悟飯の肩に手を触れる。
 涙が治まらない悟飯の目が向けられる。
「お、かあさ……お母さん……ごめんなさい……僕が悪いんだ……っ。あの時お父さんが言ったように、僕にはセルを殺せたのに僕が調子に乗って……だから……!!」
 先ほどまで激闘をしていたとは思えないほど、悟飯は小さくなっていた。
 その身体に後悔を、自責を、いっぱいに詰めて。
 クリリンはその背中に声をかける。
「でも、お前の力がなければ地球は助からなかったんだ……。そうだろ? 悟空は満足そうな顔をして死んでいった。お前の成長が嬉しかったんだろう」
「でもっ……でも!!」
 失ってしまったものの大きさに嘆く悟飯の背を撫でながら、は静かに言う。
「悟飯、辛い?」
 返事はない。
 押し殺した嗚咽のみが帰ってくる。
「そっか。じゃあ……泣いていいよ。我慢しないで吐き出しちゃえ」
 悟飯はにすがりついた。
 誰かにすがっていなければ、自分が壊れてしまいそうなのだろう。
 かつても経験した――失ってしまった衝撃。
 何度経験しても慣れるようなものじゃないが、今は悟飯を苦しめない事で一生懸命だった。
 は悟飯の背を優しく撫で続けた。
「私はちゃんとここにいるから。……悟空の分まで、頑張るから」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「謝らないでいいよ。謝らなくちゃいけないのは、私の方なんだから」
 息子にこんな苦しみを与えてしまって、悟空を死なせてしまって――ごめんなさい。
「……少しは落ち着いた?」
「……はい。ありがとう、お母さん」
 いいえ、と精一杯微笑む。
 彼は寂しそうに笑み、ゆっくりと立ち上がった。


 頑張らなくちゃ。
 泣いてはいけないの。
 だって私は――母親だから。




痛々しい回。
2007・1・9