セルゲーム 5


 悟空の敗北宣言は、仲間に多大な衝撃を与えた。
 今までになかった事だったからであり、悟空は諦めない人物であると、皆よく知っているからだった。

 セルは不快気に眉間を寄せる。
「………孫悟空。その言葉の意味するところが分かっているのか」
 セルゲームで戦う者がいなくなるという事は、即ち、地球の人間が一人残らず屠られるという事で。
 セルにしてみれば、悟空以外は闘うに値しないと結論付けているからだろう。
 闘う奴がいなくなったわけじゃねえ、という悟空の言葉をセルは鼻で笑う。
「同じ事だ。ベジータやトランクスでは力を上げたとはいえ、キサマより断然劣っているはず」
 仙豆を食べて闘え、と言外に行っているセルに、悟空は笑みを浮かべたままだ。
「次に闘う奴を、オラが指名してもいいか?」
「キサマ、本当に降参する気か……!」

 悟空とセルのやりとりを耳にしながら、は自分を責めていた。
 早く言っておけばよかった、と。
 次の試合でセルゲームは、何らかの形で終了するだろう。
 それは、セルを倒して終わるのかも知れないし、次に闘う――悟飯がやられて終わるのかも知れない。
 気丈に振舞うべきだと思うその反面、は今すぐに泣き出しそうな気分でもあった。
 悟空が拳を握り、その名を宣言する。

「おめえの出番だぞ、悟飯!!」

 セルも、言われた当人も周囲の者たちも――悟空と以外の全員が驚く。
 ピッコロが俄かに焦り出した。
「あ、あの馬鹿なにを言ってやがるんだ! 自分の息子をみすみす殺す気か!」
「お、お母さん……」
 唯一驚いていない母に、悟飯が声をかける。
 はぎゅっと口唇を噛み、悟飯を見た。
「……ごめん」
「お母さん、知ってたんだ」
「ごめ……言えなくて……言わなくて……ごめん……」
 酷く辛そうな顔をしている自覚がある。
 は小さく深呼吸をし、自分を落ち着かせた。
 そこへ悟空が戻ってくる。
「やれるな? 悟飯」
「ぼ、僕が……セルと……?」
 ピッコロがすかさず言葉を割り込ませる。
 彼にとって、悟飯は弟子であり息子のようなもの。
 気持ちは痛いほどに分かった。
「ムチャを言うな悟空! 闘えるわけないだろう。確かに見違えるほど実力は上がったが、相手はきさまでも敵わなかったセルだぞ!」
「ピッコロ、悟飯はオラたちの思ってる以上に、信じられねえような力を持ってんだ」
 考えてもみろ、と悟空は言う。
 小さい頃から、悟飯は皆と同じように闘ってきた。
 悟空が子供の頃は、てんで大した事はなかったのと大きな違いだ、と。
 だが簡単にそうですかとも言えず、クリリンが目を瞬かせる。
「し、しかしいくら超サイヤ人になったからといって……そ、そんな急には」
「精神と時の部屋での修行で、封じ込められ、眠っていた力が解放され始めたんだ。
どうだ悟飯、さっきの父さんとセルの闘い、凄すぎてついていけないと思ったか?」
 注目を集める中、悟飯は首を横に振る。
「お、思わなかった。だって2人とも思いきり闘ってなかったんでしょ?」
「セルはどうか知らんが、父さんは思いきりやってたさ。つまり、おめえには手を抜いているように見えたんだろ?」
「そ、そうなのか悟飯」
 ピッコロの声に、悟飯はなにか悪い事でもしたかのように俯く。
「……は、はい」
「バ、バカな……!!」
 ベジータが体を震わせるほどの衝撃を受ける。
 悟空は悟飯の背中を軽く叩いた。
「やれ、悟飯。平和な世の中を取り戻してやるんだ。学者さんになりたいんだろ?」
「お父さん……」
 悟飯は、なんとも複雑な顔をしているを見つめた。
 こうなるだろうと言っておけなかった事に、胸を痛めている
「お母さん、そんな顔しないで」
「でも……悟飯」
「……やってみます」
 外套を脱ぎ捨て、悟飯は岩の下におりる。
 それを確認し、悟空はクリリンから一粒仙豆をもらった。
 貰ったそれを食べるのかと思えば、何を思ったかセルに投げ渡す。
「そいつが仙豆だ、食え!」
「ばっ、馬鹿ヤロウ!! お前なにを!」
 クリリンが吼えるが、既に仙豆はセルの手に渡っている。
「奴は体力を消耗している。そんな戦いはフェアじゃねえ」
 は知らず、握り拳を作っていた。
 悟空の性格は分かっているし、このまま闘ったらフェアじゃないのは確かだ。
 けれど――けれど。
 悟空は、苦々しい顔をしているの肩に、そっと触れた。
「……悟空」
「ごめんな、
「謝るぐらいなら……やらないでよ……」
 は笑顔を作ってみたつもりだが、我ながら成功したと思えなかった。
 悟飯はちらりとを見、
「お母さん、心配しないで」
 そう告げてから気を入れた。
 激しい風が巻き起こる。
 信じられない事に、悟飯の気は悟空のそれと同等――いや、それより大きかった。
 セルがにやりと笑う。
「孫悟空の言った事も、まんざらハッタリばかりではなかったらしいな……しかし、このわたしに勝てるというのはいささか言い過ぎだったようだ」
 すぅっと地に下り、セルは凶悪な笑みを浮かべた。
「――すぐに殺してやる。反省しろ、孫悟空。きさまの見当違いのせいで、息子は死ぬのだ!」
 悟飯は何を言うでもなく、ただセルを射抜いている。
「生意気なガキだ……。幸運かも知れんぞ、真の恐怖を知った途端、死ぬ事になるんだ」
 正面に立ったセルは、悟飯に中段蹴りを喰らわせる。
 小手調べ程度のそれをあっさり防ぎ、悟飯は落ち着いた様子で、攻撃に対処していく。
 スピードが速い。
 攻撃の手を休める事がないセルは、悟飯からの攻撃を受けるつもりは毛ほどもないのか、自信に満ち溢れた表情だ。
 しかし、鋭い蹴りを繰り出したにも関わらず、それが避けられた。
「くっ……すばしっこいチビだ。スピードだけは本気になってやるか」
 今までとは段違いの速度で、悟飯に向かうセル。
 避けようとして上体を反らしたが、胸倉を掴まれて引き寄せられる。
 そのまま勢いよく頭突きを食らわせ、顔面を連撃し、放り出した後に気合を打ち込んで吹っ飛ばした。
 吹き飛ばされた悟飯は、そのまま後ろにあった岩に突っ込んで、濛々たる埃をたちあげる。
 ガラガラと岩が落ち、悟飯の姿は見えなくなった。

 は自然体でいるよう努力しながら、悟飯が突っ込んだ岩場を見やった。
 自分が攻撃を受けたわけではないのに、何だか体が痛い。
 もしかしたら体ではなくて、心が痛いのかも知れなかった。
「でえじょぶだ。気は減ってねえだろ」
 悟空が言う。
 確かに悟飯は、あの攻撃を受けてもなお、気を減らしていなかった。
 粉塵が治まりきらない内に、悟飯がセルの前に姿を現す。
 セルの前まで来ると、悟飯は何やら話し出した。
 あまりに小声で、何を言っているのかは分からない。
 そうして暫くするうちに、セルは唐突に悟飯を攻撃し始めた。
 先程よりも、スピードもパワーもある苛烈なものだったが、悟飯は何とか受け流しながらセルの顔面に蹴りを入れる。
「セ、セルが尻餅をついたぞ!」
 クリリンが叫ぶ。
 口の端から流れてきた血を、セルは親指で拭い、ニヤリと笑う。
「なにがなんでも、きさまを怒らせてやるぞ……」
 指先に集まった紫色の光が、悟飯めがけて飛ぶ。
 ひとつではなく、幾本も。
 以前見た事がある。
 フリーザの技だ。
 かつてベジータの命を奪った技が、悟飯に容赦なく降りかかっている。
 足元を狙った一撃を避け、悟飯は横に飛び退る。
 その一瞬を狙い、セルは悟飯を――言葉の通り――抱きしめた。
 セルはニヤついた笑いを浮かべながら、悟飯を絞め殺そうとしていた。
「あ、うあぁあ……うぎ……っ!」
「さあ、どうした。痛いだろう? 怒れ! このまま死ぬのは嫌だろう!」
 話しかけながら、どんどん圧力を強めていく。
 骨の軋む音と激痛が、悟飯の口から悲鳴を迸らせる。
「何を躊躇っている! 骨が折れてしまうぞ! こんな思いをしてまで、闘う事が嫌なわけではあるまい!!」
「が、ああ……う、うあ……」

 悟飯の悲鳴を耳にし、は頭の中が真っ赤になりそうだった。
 ピッコロが悟空に噛み付いているが、そんな物、耳に入ってこなくて。
 息子が、自分が腹を痛めて生んだ子が、凶悪な力に悲鳴を上げている。
 あのままでは、骨が折れるのは時間の問題だろう。
 胸骨が折れればどうなるか――息だってまともに出来やしない。
 あの子は子供だ。
 どんなに強くとも、の息子。
 闘う事が好きなわけでもない。
 あんな場に出したのは、自分の責でもある。
 様々な感情が交錯する。
 理性と感情。
 悟飯の悲鳴がより一層高くなった時、残ったのは理性ではなく、感情の方だった。
 は悟空の脇を通り抜け、セルたちの元へと飛ぼうとする。
 それを止めたのは悟空の手だった。
っ! ダメだ!」
「離して!!」
 ぱぁんと音を立て、悟空の頬にの平手打ちが飛ぶ。
 驚くクリリンたちの動きが止まった。
 が悟空に本気で手を上げるなど――修行以外で――見た事がなかった。
 唇を噛み締め、は悟空を射抜いた。
 悟空に当たるのはお門違いだ。
 自分の責。
 自分のエゴ。
 悟飯に告げなかった罪は自分のもの。
 だが、助勢しないのは違う。
 母として、それだけは見逃してはいけなかったのだ。
……」
「悟空……違うよ……。こんなの、悟飯を苦しめる事にしかなってない……!」
 ピッコロがそれに助勢する。
「孫、今悟飯が何を思っているか分かるか! 怒りなんかじゃない、お前が苦しんでいる自分を助けてくれない事を、悲しんでいるはずだ!」
「……」
「忘れるな! 実力はナンバーワンになっても、あいつはまだ子供なんだ!」
 悟空が目を見開き、悟飯を見る。
 締め上げられ、悲鳴を上げている悟飯。
「……っクリリン! オラに仙豆をくれ!」
 の手を離し、悟空は仙豆を取ろうと手を出す。
 クリリンが胸元から袋を取り出した。
 とピッコロが助けに向かおうと足を向けた瞬間――セルは悟飯を下に落とす。
 荒く呼吸を繰り返し、悟飯は地面にうつ伏せになったままだ。
 見たところ、外傷的なものはない。
 その点についてはホッとした。
 しかし、セルが何を考えて悟飯を解放したのかが問題で。
 何事かを悟飯に言ったセルは、唐突に悟空たちの方へ飛んできた。
 クリリンの前でピタリと止まると、彼が手に持っていた仙豆の袋を奪い取る。
「鬱陶しいからいただいておくぞ」
 言うが早いか、また悟飯の側へと戻る。
 悟空はまだ、仙豆を食べていなかった。
「あいつらごとき、わたしが手を出すこともない……」
「な、何をするつもりだっ!」
「なんでもするさ。きさまが怒って、真の力とやらを発揮するまでな」
 セルはどうやら、悟飯を怒らせる事に力を尽くすと決めたらしい。
 悟飯自身への痛みや苦しみでは、ダメだと悟ったのか。
「止めろっ! みんなに手を出すな!!」
「フン……」
 ニヤリと笑い、セルが動き出す。
 と同時に、セルに16号が抱きついた。
 力一杯締め上げながら叫ぶ。
「お前たちまで巻き込んでしまう事を許してくれ! オレはセルと共に自爆する!」
「な……!」
「いくらキサマでも、これだけ密着していれば避けられまい!」
 セルが焦りを見せる。
 16号の体が光り始めた。
 光が拡散し――爆発――するはずだった。
 しかし一旦溢れた光は急速に収縮し、何も起きなかった。
「な、なぜだ……なぜ爆発しない……」
 爆発しないという事実に衝撃を受けている16号に、クリリンが叫んだ。
「お前は自爆できないんだ! お、お前を修理した時、博士がお前の体から爆弾を取り除いちまったんだよ!!」
「……くっくっく、残念だったな16号。まあわたしが爆弾ごときで死んだとは思えんが」
 手元から放たれた気が、16号の身体をばらばらにする。
 頭部だけが残り、それすらもセルによってどこかへ蹴飛ばされた。
 岩陰に入り、見えなくなる。
「……今度はきさまたちの番だ。1、2……全部で8人か」
 ぐぐ、とセルが胸を張る。
 元々は2人の人造人間を吸収する用途を担った部分から、8つの小さな影が出てきた。
「……な、なんだ、あれは」
 それはどう見ても、セルの小型版だった。
「さあ行け、セルジュニアたちよ。あの岩の上にいる8人が相手だ。痛めつけてやるといい、なんなら殺しても構わんぞ」
 金切り声を上げ、セルジュニアが岩にいる者たちに飛び掛った――。



妻としてはともかく、母親としては、我慢できませんでした。
2006・12・12