入院生活 4


 そろそろ体が治り始め、運動の虫が疼き始めているのか、悟空は始終外を見ている。
 窓を背にして椅子に座っているには、彼の挙動が嫌でも分かってしまって、かわいそうだと思う反面、警戒心を強めていた。

「ねえ悟空。絶対無茶しちゃ駄目なんだからね」
 読んでいた本をパタンと閉じ、窓の外を見つめている夫に言う。
 彼は視線をに移し、尻尾をしおれさせた犬のような顔をした。
「……わ、分かってるさ」
「ほんと? 怪我は治りかけが重要なんだからね」
 いくら仙豆が出来上がるまでの辛抱とはいえ、それまでに酷い負担をかけたりすれば、また骨のひとつやふたつ、折ってしまいそうで。
 悟空はそんなことに頓着しないで、体を動かしたがっているが、はそれを許可しない。
 の我侭ではあるが、彼が痛がっているのは、自分の身を切られているようで、痛々しくて。
 修行ができなくて、気を揉んでいるのは分かるけれど。
 ベッドに体を横たえている悟空は、大きなため息をついた。
「ちぇ。のチカラで治してくれりゃー簡単なのにさぁ」
「それはごめんなさい。だって、私の力にだって限界があるんだもん」
 半分治っているとはいえ、悟空は重病人である。
 の治癒能力は、自分以外の人物に対しての効果は、かなり薄まってしまう。
 己の体であれば、体内の気の巡りが完全に分かるので、大抵の怪我は完治できる。
 しかし、他人の体の気の流れを、全て把握することなどはできないし、それができない限り、治癒能力は万能の力を発揮しない。
 異能力は<気>と比べて、ひどく制約が多い。
「わ、わりぃ……別にを責めてるわけじゃねえんだ。……って、責めてるみてえだったよな」
 しゅんとする悟空。
 は苦笑し、彼の頬をつねった。
「いっ……な、なんだよ
「気にしないで。コレでおあいこってことにしよ? 悟空がしょげてると、私も気落ちしちゃう」
「お、おう」
 柔らかく微笑み、手に持っていた本をサイドボードに置くと同時に、病室の戸をノックする音が耳に入った。
 どうぞと軽く返事をすると――腕に包帯を巻いた男性が戸を開けた。
 室内には入らず、と悟空を見やって会釈する。
 悟空は首をかしげつつ問う。
「なんか用かー?」
 男性が口を開く前に、の方が反応した。
 立ち上がり、男性の側による。
「こんにちは。よく病室分かりましたね。――あ、どうぞ中へ」
「あ、はい。失礼します」
 男性は丁寧にお辞儀をし、病室の中へ入る。
 は椅子に座る事を勧め、彼はそれに従った。
「今、お茶淹れますね。えーっと……仙人さまが持ってきたのがまだ残って……あったあった」
 テレビ横の棚をごそごそと探し、湯飲みと茶葉を取り出す。
 てきぱきとお茶を入れ、男性に出した。
「悟空はなに飲む? お茶でいい?」
「あー、オラはまだボトルに入ってるのがあるから、いいや」
 視線で、ベッドの頭に引っかかっている、ペットボトル入れを示す。
 彼女は頷き、男性の向かいに座った。
 悟空は男が誰なのか分からず、きょとんとしている。
「この間は、どうもありがとうございました」
 いきなりお礼を言う男性。
 手を振って、気にしないでと伝える。
 男性は優しげな笑みをに向けた。
「それにしても、この場所は有名みたいですね」
「え、有名なの?」
 この場所。
 つまり、悟空の病室が有名だと言われ、は首をかしげた。
 確かに、手を焼かせる患者がいることに違いはないが、有名になるほどのことはしていないような。
 疑問符を頭に浮かべていると、男性がクスリと笑う。
「男性患者に人気のある女性がいる部屋だって。それと、看護婦に人気のある患者がいるって。部屋を探すの簡単でしたよ。貴方の風貌を聞いたら、直ぐに答えが返ってきましたからね」
「……うーん、悟空は分かる気が」
 悟空は、世に言う患者とは少し違う。
 普通病気や怪我で入院ともなると、どうも暗くなりがちであるが、彼は持ち前の性格で、怪我などしていないかのように明るく振舞っている。
 というより、実際明るいのだが。
 それが、看護婦に好かれる要因になっているらしい。
 ……ちょっと妬ける。
「微妙な有名ぶりですね……。私の方は全く覚えがないんだけど」
「夫婦だって知らない方が多いみたいですよ。実際、僕も看護婦さんに聞くまで、知りませんでしたから」
 どことなく、哀愁が漂っている感のある男性。
 は肩をすくめた。
「夫婦に見えないのかな……ヤだなぁ」
「いえ。貴方がたはとても若いから――でしょうね」
「それは微妙に納得できるけど」
 とはいえ、もう十代ではないので、それほどでもないと思うのだが。
 それこそ結婚当初は、若いが故に色々あったもんだが。
 考え込む素振りをしているに、横から悟空が声をかけてきた。
ー。どうでもいっけどさ、ソイツなんなんだ?」
「ご、悟空っ! ソイツとか言わないでよ、失礼でしょ」
「だってさぁ。おめえとすげぇ仲良さそうにしてっからさぁ」
「そうかな……普通じゃない?」
 完全にへそを曲げているらしい悟空は、今にもむくれっつらを披露しそうな勢いだ。
 じとーっと見つめられては、苦笑するしかない。
 男性は軽く笑った。
「いや、凄く真っ直ぐな旦那さんですね」
「す、すみません」
 謝る
 悟空はまったく気にした風でもなく、いけしゃあしゃあと言ってのける。
「大事なオラのヨメだからな。動けなくったって、守るんだ」
「――あぅ」
 ――お願いだから、普通の顔して言わないで。
 なんだか凄く恥ずかしくなって頬が熱くなるに、男性は微笑んだ。
「いや……本当にいい旦那さんです。僕もこういう風になりたいですよ」
「き、恐縮です」
 小さくなりつつ言う。
 悟空は、がどうして恥ずかしそうにしているのか分からないのか、きょとんとして彼女を見つめていた。

「もう……恥ずかしいなぁ」
 男性が立ち去った後、は所定の位置――悟空の横の椅子――に座ってため息混じりにこぼした。
 しかし彼は
「なんか恥ずかしいのけ?」
 全く気にしていない。
 悟空はどこまで行っても悟空だ。
 彼はをじっと見つめつつ、問う。
「なあ。アイツとなんかあったんか」
「え、あの男の人? うん。この間ね――」
 買い物をして病室に戻る際、迷子になっていた少女を見つけ、保護者を探し出した。
 その保護者――姪っ子らしい――が、先ほど部屋に来た男性なのだった。
 丁寧にもわざわざお礼を言いに来てくれたのに、変なことになって少々申し訳ないとは思う。
 それを聞いた悟空は、あっさり頷いた。
「そっか。……でもオラしんぺぇなんだ」
「なにが?」
「オラ動けねえし。が取られちまうんじゃねえかって」
 ――ばか。
 は悟空の側に寄り、そっと彼の頬に口付ける。
 自分の頬が赤くなるのは重々承知だが、今時分なら看護婦も来ない。
 彼は少し驚いた様子でを見上げた。
「……?」
「私は、誰かに取られたりしないよ。悟空の側が大好きだから」
 あなたが大好き。
 ベッドに肘をついて彼を見つめる。
 悟空は珍しく深いため息をついた。
「どうかした?」
「――オラ、今すっげえ辛ぇ」
「え、なんで……痛いの?」
 不安になるに、彼はポツリと言った。

「ぎゅーって抱きしめてえのに、できねえんだもん」

 顔が真っ赤になったのは、言うまでもない。



2005・12・21