靄がかる世界にいた。
 とても温かい声が聞こえて――意識が靄の中から一気に浮上する。

 気絶していたのだと認識する間もなくの目に飛び込んできたのは、悟空がラディッツと一緒になって、ピッコロの技に貫かれているところだった――。


「嫌あああーーーーッ!!」


さよならは言わない



 自分が気絶している間に、悟空とピッコロが戦ってくれていた。
 それを思うと、情けなくて涙が出る。
 目の前にいる自分の夫は、死を賭して戦って――そうして今、命の炎を消そうとしていた。
 そんなときでも悟空は優しくて。
 余計に泣けてきてしまう。
 クリリンが悟飯を抱きかかえ、ブルマ、亀仙人がと悟空の様子を見守っていた。
 ボロボロと涙をこぼすの頬に、そっと悟空が触れた。
 徐々に冷えていく体。
 指先はとうに冷たい。
 必死に治癒を施しても、流れ出ていく生命力を止める事ができない。
……でえじょうぶ、か……?」
 口を開くと嗚咽になりそうで、こくこくと頷くだけに止める。
 彼は苦しそうに笑った。
「へ、へへ……よかった……アイツに、酷いこと、されなかった、か?」
「う、ん……大丈夫だよ……」
 今度はちゃんと声を出せた。
 多少声が震えているけれど、それは仕方がない。
 止まらない涙を、彼はそっと拭った。
「泣くな、って……オラ、すぐに……戻ってくっから……」
「うん」
 はそっと、悟空と口唇を重ねた。
 戻ってくると知っていても――それでも悲しい。
 悲しいと告げたい気持ちはあったが、悟空に言わないでおいた。
 触れた口唇が、気持ちを届けてくれるように願うだけで。
 血の味がするキスなんて、色気も何もないけれど。
「ドラゴンボールで、戻すからね」
 無理矢理笑う。
 多分が今、悟空に精一杯できることはこの程度。
 ここまで重症になってしまうと、治癒能力を使っても治らないのは承知だけれど、それでも治癒をかけ続ける。
 無駄だっていい。
 少しでも長く、彼に触れていられればと。
「…………また、な……」
 触れていた彼の手から力が抜ける。
「悟空……」
 瞳を閉じて少しも動かなくなった彼。
 喪失感が胸を支配する。

 冷凍カプセルを用意しようと、ブルマが近寄ってきた時に、悟空の姿が揺らいだ。
 何事かと目を凝らすの目の前で、彼の体は消えうせる。
「え!? な、何、どうして!?」
 驚く一同の中で、ピッコロだけが薄く笑っていた。
「神の仕業だろう。あの野郎、孫悟空を使ってくだらんことを考えてやがるな」
「神様が?」
 ピッコロの側に歩いていくに、彼は頷いた。
「死人をどうこうするなど、神以外にやらんだろうからな」
「……神様だから、安心って言えば安心かな……」
 ピッコロは鼻を鳴らすと、気合を込めて――
「ぬぁ!!」
 ……なくなっていた片腕を生やした。
 特殊能力だなとしみじみ思う。
「貴様らはドラゴンボールを探せ。……だが、その孫悟空の息子はオレが預かる」
「な!!」
 驚くブルマや亀仙人。
 クリリンは何かに思い当たって叫んだ。
「お、お前食べる気だろう!!」
「誰が食べるか!!」
 ズカズカと、悟飯を抱いているクリリンの方へ歩いて行く。
 クリリンはちょっと腰が引けた。
 が悟飯とピッコロの間に入る。
「……うちの息子をどうするの。理由をちゃんと言って」
「フン。そのガキは訓練しだいで強力な戦力になる。1年後にやってくるという2人のサイヤ人と戦う戦力にな。……そのために、オレが鍛える」
 は黙して動かない。
 ピッコロはの横を素通りし、クリリンの手から悟飯を奪い取る。
 ブルマもクリリンも亀仙人も、の動向を見守っていた。
「待って。どうして戦力になると思うの」
「簡単なことだ。貴様は意識を失っていたから見ていないだろうが……こいつはあのラディッツを吹っ飛ばしたんだ」
「悟飯が?」
 思わずまじまじと悟飯を見てしまう。
 ……確かに、あのラディッツを吹っ飛ばす力が――潜在的にでもあるのであれば、鍛えてどうにかなるかも知れない。
 ピッコロが余興で悟飯を鍛えるなどと言うはずもないし、その1年後にやってくるサイヤ人への備えになると踏んだからこそ、連れて行こうというのだろう。
 母親としては止めるべきなのだ、きっと。
 でも――はそうしなかった。
 眠っている悟飯の髪をそっと撫で、寝顔を見つめて小さく微笑む。
 不甲斐ない母親を許して欲しいという意味も含めて。
「……悟飯。頑張って」

 ピッコロが飛び去った後、ブルマがに聞いた。
「……良かったの?」
「戦うことが必要なときもある。いくら自分たちだけが平和な暮らしをしたいと思っても、誰かが何かしないと滅びてしまうなら、精一杯状況と戦わなきゃ。母親としては失格だろうけどね……」
 2人が飛び去った方を向き、息を吐く。
 それから亀仙人たちを見た。
「ドラゴンボール探し、お願いしていいかな」
ちゃんはどうするんだ?」
 クリリンに問われ、既に決めていた答えを口にする。
「強くなりに行く」

 一度家に戻ったは、誰もいないリビングに佇んでいた。
 つい昨日まではここに悟空がいて、悟飯がいて。
 でも悟空は死んでしまい、悟飯はピッコロに連れられて行った。
 密やかな風の音だけが耳につく。
 周りはいつもと変わらないのに、己の形成する世界だけが、変わってしまったみたいだ。
 は決めていた。
 多分、ラディッツと対峙したときに。
 己が無力だと、ひしひしと感じ取ったときに。
 助けてもらうだけの存在では、自分自身が納得しない。
 やれるところまで――できるところまで行きたい。
 自分の限界がどこか分からないけれど、せめてほんの少しでも、悟空やみんなの力になる程度にまで、実力を引っ張り上げたい。
 護られる女でいるのは簡単だが、悟空が傷つき、悟飯が修行するというのに、自分だけ何もしないでのうのうと生きていくことは、にはできなかった。
 悟空の死ぬシーンを目の前で見てしまったからかも知れない。
 大事な人を護れる強さが欲しい。
 今は心底そう思う。
 だから――決めたのだ。


 久方ぶりに訪れた父、界王のいる界王星。
 は家の中でお茶をしていた界王を見つけ、自分も中に入る。
「おお、。久しぶりじゃな。……どうしたんじゃ?」
 険しい表情でいるに、界王が怪訝な顔をする。
 すぅ、と小さな深呼吸をして――彼女は心底の願いを言う。
「父さん、私、強くなりたい。どうすればいいのか教えて」

 界王は娘の言葉に口を大きく開けた。



2004・10・5