妊婦さんと一緒 1



 パオズ山は東地区にある。
 朝日が昇るのが――まあそれなりに早い。
 の夫である孫悟空は、太陽が昇ると同時とまではいかないが、修行のためにとにかく朝早い。
 彼女は悟空が修行に出る前に朝食を食べさせるため、やはり早起きだ。

 妊娠が発覚した翌日、いつもと同じようにベッドから起き上がろうとしたは、隣に寝ているはずの夫が、いつの間にか自分の真横に――右腕は頭の下、左腕は腰を抱きしめるようにして――寝ているのに驚いた。
 とはいえ、驚愕するほどの事でもない。
 常日頃ではないにしろ、夜は別々のベッドで寝たはずなのに、朝起きたら彼がの寝床に潜り込んでいるなど、結構頻繁にある事だったからだ。
 始め、悟空は人肌を恋しがっているのかと思ったのだがそうではなく、彼の抱き付き癖やら人肌恋し癖はにのみ適用され、他の人物には、あまりベタベタされたくないらしいというのに気付いたのは、結婚してから暫くした頃だった。
 ともかく抱きしめるような形でいる悟空の腕を外さない事には、は自分の仕事ができない。
 仕方なく彼の頬をぺちぺちっと軽く叩いた。
「悟空、悟空?」
「んー」
 むずがる子供みたいな仕草。
 昨日寝つきが悪かったのだろうか。
 起こせばバッチリ目覚める彼にしては、非常に珍しい。
 腕を一向に離す気配がなく、はもう一度頬を軽く叩いた。
「悟空、朝だよ。修行の時間過ぎちゃうよ」
 厳密に修行の時間など決まっていない事を承知で言う。
 彼はの頭の下にしていない左腕で目を擦ると、小さく欠伸をし、彼女と視線を合わせて微笑んだ。
「オッス。おはよ、
「うん、おはよう。今日も修行でしょう? 腕離してくれないと朝食作れないよ」
「いいんだ」
「いいって……」
 結婚して今まで、修行をサボった事などない悟空のこの発言。
 は思わず彼の額に手をやった。
 熱でもあるのかと思いきや、当たり前だが、ない。
 彼は額に当てられた手をとり、指を絡ませた。
「おめえさ、腹んナカにオラの子さいるんだから、無理しちゃ駄目だ」
「無理って……無理なんてしてないよ? いつもと同じ時間に――」
「だってさ、今日生まれっか明日生まれっか分かんねえだろ」
 …………。
 悟空に対して基礎知識を与えていなかったな、と頭の隅では思った。

 とにもかくにも朝食を終え、お茶を出して2人は向かい合わせに席につく。
 アップルティーの良い香りが鼻腔を擽った。
「えーと、何から話せばいいかなぁ」
「座ったりして平気なんか? 寝てなくて大丈夫か??」
 そわそわと非情に不安そうな面持ちの悟空を落ち着かせるように微笑み、こくりと頷く。
「うん。えっとね悟空。お子様というものは1日や2日で生まれて来ないんだよ」
「じゃあ3日か?」
 それも違う……。
 場を仕切りなおすために小さくコホンと咳をし、話を再開する。
「大体10ヶ月位で生まれるんだよ。それまでは私のお腹の中にいて、段々おっきくなってくの」
「へえー」
 悟空は少し身を乗り出してのお腹の辺りを見たりした。
 今は全く目立った様子がないが、当たり前の話だ。
 2ヶ月目辺りだと、お腹が大きくなる程ではない。
 まじまじとお腹を見られるのは少しばかり居心地が悪く、は話を先に進めた。
「えーと、今はまだ平気だから。食事も普通に食べられるし、作れるし。そのうちお腹おっきくなってきたら面倒かけるけど」
「じゃあオラ、ずっとの側にいる」
 真剣な表情で言う悟空。
 は嬉しいながらも、この大事な旦那様に、あまり迷惑をかけたくないという思いもあった。
「大丈夫だから、悟空はいつもの生活して、ね」
「嫌だ。オラが修行してる間にが苦しんでたらどうすんだ」
「うー……じゃ、じゃあ、修行の時間を短くして、その間私と一緒にいて手助けして。それならいいでしょ?」
 彼は暫く考え込む素振りを見せたが、思考を纏めたらしく頷いた。
「おっし、そんじゃオラに出来る事何でも言ってくれよな!」
「うん、ありがとう。それじゃ……明日、ちょっと買い物付き合って。今日は修行してていいから」
「ああ」
 彼はニパッと笑っての側に寄ると、ギュッと手を握った。
「じゃ、行ってくっからな。無茶するんじゃねえぞ」
「はーい、行ってらっしゃい」
 足音を立てて出て行く悟空を見送った後、は嘆息した。
 ティーポットに残った冷え気味のお茶を入れ、静かに飲む。
「……とは言ったものの」
 不安だ。
 悟空に対しての不安ではなく、自分の体に対しての不安が大きい。
 まさか10代で子供を生む事になるとは思っていなかったというのが本心。
 確かに悟空に体を許しているのだし、こういう日が来るとは思っていた。
 ただ、少々予想より早いのは確かだ。
 己の出産や育児に対しての知識を、とりあえず思い起こせる限りで引っぱり出してみる。
 つわりは苦しいらしい。
 陣痛は痛いらしい(例えるなら口からスイカ、だったっけ?)とか、しょっぱかったりすっぱかったりする物が食べたくなる(甘いのもありだっけ)とか、初産は遅れるとかその程度。
 何を用意し、何が必要かなんていう実践的な事など殆ど知らない。
 当然教えられてもいない。
 テレビドラマ等では、誰かタオルを! なんて叫んだりしてるけど(不慮の場所で出産の場合だったか)普通は病院で――
「……パオズ山に病院はないし」
 あるとすると、東の都に向かう途中にある街だろう。
 一応主治医は近くの山村に住んでいるタド医師だが、彼の助言を仰いだ方が良いかも知れない。
 は直ぐにタド医師に会うため、筋斗雲で村へと飛んだ。

「ふむ。そうじゃな、今はもう2ヶ月頃……そろそろつわりが始まるな」
「え、そ、そんな早いもんなんですか」
 タド医師に軽く言われ、は少々驚いた。
 つわりなどの具体的なものは、まだ先だと思っていたから。
 医師は温かいお茶を出してくれ、それを互いに啜りながらの質問に答えている。
「大体、2ヶ月過ぎぐらいからつわりが始まり、4ヶ月ほどまでは続く」
「お腹ってどのぐらいで大きくなるんですか」
「個人差はあろうが、まあ3ヶ月目で苦しくなってくる。5ヶ月にもなれば大きくなってるのが分かる」
 それからはどんどん大きくなっていく、と医師は告げた。
「もっとも、個人差はあるがね」
 何となくお腹を擦ってしまう
 命が宿っていると言われても――まだ実感が余りない。
 タド医師は話を続ける。
「つわりが始まると、味覚が多少変化をきたすし、激しく運動は出来なかろう」
「やらなきゃなんない事ってありますか」
「疲れすぎない事。無理ないでよく眠る事」
 は素直に頷き、小さく息を吐いた。
 ホッとしたのが半分、不安が半分。
 医師は内心を見透かしたように、ポンとの肩を叩いた。
「母親になるというのは大変な事じゃ。が、あまり気負いなさんな。お前さんと子供の命は繋がっておる。もちろん、気持ちもな」
「気持ち……」
「母親が不安になっていれば、子供も不安になるもんでな。もし、気持ちが落ち着かないなら旦那さんや、お腹の子供に語りかけてみなさい」
「――はい」

 は村からの帰り道、そっとお腹の中の子に言葉をかけた。

「未熟なお母さんだけど、頑張るからよろしくね」

 もちろん返事はなかったが、の気持ちは少しだけスッとした。



私は妊娠した事がないので親から聞いた事のみで書いてます。
本編を続けてもよかったんだけど、たまには横道にそれてもいいかなぁとか思って
アップしてみました。しかしヒネリの無いタイトルだ…。


2004・12・15