君の傍に 3



「おらも悟空さが好きだったから、気持ちは分かるけどもな。おめえさんがやったことや言ったことは、卑怯者のすることだ!」
 立ったまま、ダムッと音を立ててテーブルを叩くチチ。
 湯飲みがカタッと揺れた。
 勢いよく怒られている克也は肩をすぼめ、チチの言葉を神妙な顔で受け止めていた。
 が結婚したという言葉に頭の中が真っ白になり、行き場のない感情が爆発して、かなり迷惑をかけてしまった。
 その辺の自覚はあるようだ。
「……悪かった」
「それはおらにじゃなくて、2人に言うべきだべ」
「分かってる……」
 更に肩身を狭くする克也。
 しかしチチの言葉に引っ掛かりを覚えて、ふと顔を上げる。
「……チチさん、彼の――悟空のことが好きだった……って」
 チチはため息をついて椅子に座り、ぐびっとお茶を飲んだ。
 空になったそれに、急須からまたお茶を入れると口に運んだ。
「おらな、子供の頃に悟空さと結婚の約束しただよ」
「え!!??」
 目を丸くする克也。
 チチはちょっと苦笑気味になりつつ、先を進める。
「と言っても、悟空さは嫁を食べ物か何かと勘違いしてたみたいだけんど」
 絶対に迎えに来てくれるんだと、そう信じて疑っていなかったチチ。
 でも彼はいつになっても迎えに来てはくれなくて。
 我慢しきれなくなって、会いに行った天下一武道会。
 それなのに、子供の頃に嫁にしてくれると約束したその口から、他の女性と結婚すると言われて。
 怒らなかったわけでも、絶望しなかったわけでもない。
 まして悲しくないはずもなかった。
 それでも。
「おらは、あの2人を引っぺがすことはできなかっただよ。たとえ悟空さがおらと結婚してくれたとして、をずっと想ってることは分かりきってただ」
「いつか自分に振り向いてくれるとか、思わなかったのか?」
 チチは首を振る。
「悟空さと再会して、求婚を蹴られて思っただよ。ああ、この人の心には、もうおらが入り込む余地はないんだってな」
「何でだ?」
「結婚の意味を全く知らなかっただよ? 恋愛にだってまるきり疎い。それなのにがいなくなった直後、物凄い反応を見せただ」
 ピッコロと戦う前だというのに、それと分かるぐらい狼狽していた。
 彼の全身が硬直していたのを覚えている。
 失ってはいけない何かが、彼から抜け出て行ったみたいな。
 その時から既に結末が見えていたのかもしれない。
 決して、に敵わないと。
 2人の間に何があったのかは分からないが、誰かによって阻まれるような、心の繋がり方ではないんだと。
 チチはふぅ、と息を吐いた。
「だからおらは引いただよ。……おらには、できなかった」
「……」
「あんたにはできるだか? を悟空さが想う以上に想えるだか?」
 克也は目を伏せた。
 分からないと口にする。
 その後、顔を上げて悲しげに笑んだ。
「分からないって言う時点で、駄目なんだろうな」
 自分がに向ける想いの強さに自信がなくて『分からない』克也。
 想いというもの自体はよく『分からない』けれど、に対する強い気持ちは、一瞬たりとも揺るがない悟空。
 悟空と克也の決定的な差だ。
と悟空にちゃんと謝るよ。一緒にいるのが当然だなんて安穏として、何も動かなかった俺が、今更しゃしゃり出るのもおかしな話だもんな」
 それは克也の、への気持ちを清算するという意味を示した言葉だった。


「本当にすまなかった! 許して欲しい」
 悟空との家にやって来た克也は、テーブルに頭をぶつける勢いでお辞儀をし、懇願にも似た言葉を吐いた。
 克也の隣には彼と一緒に来たチチもいる。
 彼の謝罪に同行を申し出たのだ。
 またとんでもないことを克也が言い出さないかの監視役とも言える。
「悪かった!!」
 再度謝り倒す克也に、が手を振る。
「い、いいって……もうこっちはちゃんとしたし。ね、悟空?」
「ああ」
 人のいい笑みを浮かべる悟空。
 先刻の激した雰囲気は全くない。
 これが同一人物かと思えるほどの雰囲気の差があった。
「チチさん、ごめんね、面倒かけちゃって……」
 が言うと、チチは小さく笑った。
「そんなの、気にすることないだよ。面白いものも見れたしな」
「面白いもの??」
「悟空さが嫉妬するところなんて、見れると思ってなかっただかんな」
「オラだってあんな風になると思ってなかったさ」
 悟空がちょっと困った顔をする。
 それを見た克也がちょっとだけ笑い、それからまた真剣な顔をした。
「……それでさ、。元の世界のことなんだけど」
「あ、うん」
 てっきり帰ると言うと思っていたは、その後の言葉に少々驚いた。
「俺さ、やっぱり帰らない」
「そんな……いいの? 由依にもご両親にも会えなくなるんだよ?」
 頷く克也。
 チチも悟空も視線を外さず、克也を見続ける。
 1人の男の重大な決意がその表情に表れていた。
「俺がこっちに来た理由は分からない。単なる偶然かも知れない。でもさ……ならその偶然に乗っかろうと思うんだよ」
 吹っ切れたような顔で彼は続ける。
「親に会えないとか、由依に会えないとかあるけどさ。こっちで何かしたいんだ。優等生じゃない俺っていう存在が、こっちを望んでる」
「ほんっとーにそれでいいの?」
 念を押すに、一つ頷く。

「俺は、この世界に残るよ」

 もっと強い男になるんだ。
 そう告げる克也。
 その言葉に反応したのは悟空だった。
「なら、オラと修行してみっか?」
「修行??」
「ちょっと悟空何を言ってっ」
「そ、そうだぞ悟空さ、無茶ってもんだ!!」
 慌てるとチチを他所に、克也は乗り気で。
「じゃあ、ちょっと修行っていうのをしてみようかな」
「んじゃ、行くか!」
 カタンと立ち上がると颯爽と二人で出て行く。

 ――暫く後。
 帰ってきた克也は疲労困憊……ボロボロだった。
「だ、大丈夫だか?」
 心配そうに聞くチチの言葉に返答すら返せない彼。
 は悟空の服の袖を引く。
「ちょっと……何をさせたの?」
「何って、普通の修行だぞ?」
 組み手してみたり。
 さらりと言うが、一般人である克也がそれについて行けたとは到底思えない。
 克也はげっそりした表情で呟いた。
「……お、俺に格闘の才能はないみたいだ、な」
「悟空相手じゃ、そうも思うよね……」
 呟くに、チチが同意して頷いた。

 その後。
 克也はタド先生の代わりとして、チチの父親である牛魔王の村で医師補佐の仕事をし、この世界での生活を形成していった。



2004・8・31