君の傍に 2 克也の誘いに応じてが家から出て行く。 何だろうと不思議そうな顔をしながら、一度は座った悟空だったが、明らかにソワソワしていた。 気になっているのが丸分かりで、チチは小さく笑う。 「悟空さ、気になるなら行ってみるがいいだよ」 「そう、だな」 少し悩み、でもすぐさま立ち上がって家を出て行く。 チチも彼が出て行ってから暫く考えた後、席を立って後を追った。 何となく――本当に何となくだが、気になって。 悟空でもでもなく、克也が気になった。 何故なら、昨日2人が結婚していると告げた時の彼の表情が、あまりに……何と言うか衝撃を受けていたので。 何かよからぬ事が起こりはしないかと不安になったのだ。 タドの家近くにある小さな広場で、と克也は話をしていた。 ――といっても、今のところ何か会話をしている風ではなく、どちらかと言えばただ立っている――というのが正しいか。 克也は先ほどから何度も口を開こうとしては閉じるを繰り返している。 は彼が何を言いたいのか分からない。 こういう時は言い出すのを待つ他ない。 遠くでは子供の声がしたりしているのに、この一角だけは、耳が痛いほどに静かな気がした。 「……、結婚、してるんだって?」 やっと搾り出されたみたいな――どことなく掠れた声。 は素直に頷いた。 「うん。悟空と結婚してるよ。一緒に住んでるでしょ? 悟空言わなかったんだね」 「俺は、同棲だと思ってた」 「違うよぉ」 幸せそうな。 神妙な顔の克也。 奇妙な感情の齟齬がある。 同じ異次元で同じ時間を過ごしていたはずの2人の間には、今やはっきりとした差が生まれていた。 それはが悟空に対して持つ恋愛を超越した感情と、克也がに持つ恋愛という感情の違い。 が恋愛感情を向ける相手が自分ではない。 それが克也には憎らしい。 克也はが好きだったけれど、元いた世界では言わなかった。 焦って言わなくてもいいと思っていたからだ。 同じ時間を過ごしていた。 たとえ高校が違ってしまったとしても会えないわけじゃないし、彼は、が高校に入学したら告白するつもりだった。 けれど彼女は消えてしまった。 ある日突然どこかへと行ってしまった。 の喪失はそのまま克也の恋愛の喪失でもあった。 そうしてやっと出逢えたと思ったら――結婚していた。 どこの誰とも知らない男と生活を共にして。 自分が隣にいたかも知れない生活を、悟空という男が、全て奪って行ってしまったという気になった。 「……、俺はお前が好きなんだ」 彼が口にした言葉には驚く。 驚いたのはだけではなくて、丁度そこにやって来た悟空も――そしてチチもだ。 「え、克兄ちゃん――何言って」 狼狽するの肩をつかみ、真剣な目を向ける克也。 その目線は決して冗談を言っているわけでも、嘘を言っているわけでもないと実感させる。 掴まれた肩が、妙に重い。 「俺はずっとが好きだった。結婚なんて冗談だろ!? 俺たちはここにいるべき人間じゃないはずで……」 違う、とは首を横に振った。 「私は本当はこっち側の人間なんだって。……それに結婚を冗談でしたりしない」 「本当でも、俺は気持ちを曲げたりしないっ! やっと会えて、それなのにこんな……っ。他の男のものになりましたなんて言われて、信じられるか!」 いつも優しくて温かかった克也の眼差しは、今、好きな女を奪われたという、1人の男の目に変わっていた。 怒りとも悲しみともいえない目線。 でも、は瞳を逸らさない。 「私はずっと悟空が好きだった。泣いてばっかりで、弱かった私を救ってくれた人なの。好きで――だからこっちに来た。向こうに戻ろうと思えば戻る機会もあった」 でも、それをしなかったのは自分の意志。 きっぱりそう告げる。 しかし彼は納まらない。 克也にしてみれば、ずっと想って来た相手を、告白する機会すら与えられずに奪われた事実がショックであり、苦しくもあり。 いつもの穏やかな彼からは考えられないほどの様相を見せていた。 奪われたくない。 ただそれだけが、今の彼を動かしていた。 だから―― 「……、俺を向こうへ帰したいんだろ?」 「帰したいっていうか……由依もいるし、帰った方がいいと思う。結局どうするかは克兄ちゃんの決めることだけど……」 決して無理矢理帰したいわけではないのだと告げる。 克也はに小さく笑いかけた。 どこか歪んだ笑顔。 「。俺、お前と一緒だったら向こうへ戻る」 「な……」 悟空が驚いて声を上げる。 しかし克也は気にせずにに語りかけた。 「そうしたら由依だって喜ぶ。こっちのことを忘れて、向こうに戻ろう」 そんな。 口を開いたまま、は固まった。 心底困った顔をする。 向こうへ戻る気なんて全然ないけれど、だからといって克也の言葉を、そのまま流してしまうこともできなくて。 視線を迷わせていると――急に後ろから引っ張られた。 驚いて振り向くと、眉根を寄せて雰囲気を荒くしている悟空がいた。 「、帰るぞ」 「え、え、で、でも……」 「チチ、後のこと頼んでいいか」 克也を完全に無視して言う悟空。 チチは慌てながらも了解した。 「ご、悟空!?」 「行くぞっ」 筋斗雲を呼び、あっという間に飛んで行ってしまう。 ……残された克也とチチは、暫くその場に佇んでいた。 「ねえ、悟空ってば! いきなりどうしたの!?」 家入ったは、後から入ってきた悟空に問う。 どうも雰囲気が尖っている彼。 「なんもねえって」 「なにもないなら、何でいきなり家に引っ張ってきたり……」 「なんもねえってば」 「嘘! ……はぁ、もういいよ」 いつになく頑固な悟空。 これ以上の押し問答は無意味だと思ったは、さっきの克也の件も含めて、少し気分転換が必要だと思い、外に出ようとした。 ――出ようとしたのだが。 「……あの、悟空?」 ドアを開けようとしたら、悟空がそれを後ろからバタンと閉じた。 鍵を閉め、の背後から手を突く。 「アイツんとこ行くのか」 「へ、あ、アイツって……」 低い声色。 今までにないような雰囲気に、は驚きながらも何とか会話する。 心臓がうるさいのは彼の雰囲気のせいだろうか、それとも変に意識しすぎなせいだろうか。 「アイツの方が好きなんか?」 「そんなことないよ!!」 「じゃあ、何で向こうに一緒に戻ろうって言われて迷うんだ!?」 「それは――」 向こうの友達や彼の親を考えればこそ、迷う。 究極的にはに関係のない事象ではあるけれど、それを『関係ない』 と言い切ってしまえるほど、は非情になれない。 「はオラといた時間より、アイツといった時間の方が長いだろ。ホントは戻りたいって思ってんじゃねえか!?」 「違う! 戻りたいなんて思ってない!!」 多分、彼とて本心でそんな言葉を発しているのではないだろう。 それは分かってるけれど、言われた言葉に悲しくなる。 気持ちが昂ぶって、涙が溢れてきた。 悟空はを自分の方に向かせ、口唇を奪う。 「ごく……なんっ……んぅ!」 切れ切れに言葉を発する。 しかし彼は止めてはくれず、舌を伸ばして口内を蹂躙し始めた。 苦しくて悟空の胸を押すが、びくともしない。 彼が力を入れて抱きしめているためだ。 「はオラのだ……誰にも渡さねえ!」 「わ!」 口唇を離し、ひょいっとを持ち上げた悟空はそのまま寝室へと移動した。 「な、ちょっと悟空落ち着いてよーーー!!」 半ば放り投げるみたいにしてベッドに横たえ、彼はその上に馬乗りになった。 射るような瞳。 怖くはないけれど、いつもこういう時にする艶の灯った瞳とは少しだけ違う。 「……胸ン中がモヤモヤすんだ……おめえとあいつが、オラの知らない時間を、一緒にいたかと思うと」 「悟空……」 それは――と口を開こうとするが、キスされて音にならなかった。 何度も何度も口内を蹂躙され、完全に息が上がる。 彼の舌の動きに理性を飛ばしそうになりながらも、何とか耐える。 やっとのことで口唇を離した悟空に、は言った。 「ご、くう……ヤキモチ、焼いてくれたんだ……」 「?」 意味が分からないという顔をする彼に、は説明する。 「悟空が今持ってる気持ちは、ヤキモチって言うんだよ」 「この、何かよく分かんねえモヤモヤがか?」 「そう。私のこと、大事に思ってくれてるって証拠みたいなものかな」 小さく笑む。 それを見てほんの少し頭が冷えたのか、 「……、オラ……悪ぃ……」 気持ちのままに寝室直行を謝った。 は悟空の頬を優しく撫でる。 「ううん、ヤキモチ焼いてくれるなんて、ちょっと嬉しい。ねえ悟空。私、ちゃんと克也に言うから。私は悟空と一緒にいたいし、離れたくないから」 「……」 2人、顔をあわせて笑む。 「チチさんに、ちゃんと謝らないとね」 「そうだなぁ」 言って、悟空は再度口付けを落とした。 彼女は自分を想っていると認識するかのように。 2004・8・24 |