同じ世界




 昨日の今日で、いきなり克也が自宅に来るとは思わなかったは、少々面食らいながらも悟空と克也にお茶を出した。
 向こうのお茶とは少し違うけれど、飲めなくはないはずだ。
 パオズ山産出の茶葉は、少し癖があるけれど美味しいから。
 それにしても、悟空がちゃんとした接客をできるとは思っていなかったが、まさか客人の前でご飯を平らげたとは……。
 まあ、克也は友達だし、別にそれに関してどうこう言うような性格でもない。
 何しろ向こうの世界では、顔良し性格良しで相当モテていたし。
 一緒にいたなど、言われもないことで囲まれたりしたものだ。
 今となってはそれすら懐かしい思い出だが。

「で、克兄ちゃん一体どうしたの?」
 私に何か用事かと問えば、克也は首を横に振って優しい笑顔を向けた。
「いや、どうしてるかなと思って……住んでるところにも興味があったし、それでタド先生に聞いて来たんだ。街へ行ってたんだって?」
「うん」
 こくんとお茶を飲み、ふぅ、と息を吐く。
 お茶菓子がなかったことを少々悔やみつつ、話を続ける。
 先ほどから悟空はテーブルに突っ伏して、何を言うでもなくと克也を見続けている。
 それ自体は、別段いつもと変わらない様子なのだが、ちょっとつまらなさそうにしているのは分かっているし、申し訳ないとも思うが……折角来てくれた克也を無視して悟空と話をするというのもどうか。
 結局、少ししこりを持ちながらも克也と話を進める。
「街で何を? あ、いや、聞いちゃマズいことなら言わなくても」
「ううん、別に平気だよ。仕事に行ってたの」
「治療師をしてるって聞いてるけど」
「そう。月に何度か仕事と買い物しに行くの。こっちの方まで来れない人がいるから、往診ってところかな」
「そうか……」
 凄いんだなと言われ、は少々苦笑いした。
 克也がどういう風に自分の仕事を聞かされているか知らないが、治癒能力で患者を治していると知っていて凄いと言っているならば、何となく心地が悪い気もする。
 以前は普通だった友達との隔たりが出来てしまうみたいで。
 そんな気持ちを知らず、克也はにこやかに笑んだ。
「俺も頑張んないとな」
「……あの、兄ちゃん……本当に帰りたくないの?」
 前も言った質問。
 何度も聞くにはちゃんと理由があって……克也の妹の由依のことがあるからだ。
 気になるのだ、非常に。
 一緒のクラスで、が虐められていた頃からの友達である由依の兄が克也。
 その兄が急にいなくなってしまった向こう側。
 は由依が克也を嫌っていなかったことを知っているし、尊敬すらしていたことも知っている。
 だから、気になるのだ。

 街から帰る際、ちょこっと寄り道して父である界王に話を聞いたところによると、やはり克也は、がこちらの世界へ来た時に出来た、小さな歪みに飲み込まれたらしい。
 偶発的に開いた道とはいえ、それを放置しておけば、いつまた克也のような人が現れるとも知れない。
 完全に閉じてしまう前に、父の力で何とかならないかと懇願したところ、戻すには、<意志力>が必要だと言われた。
 即ち、こちらではなく、向こうが自分の世界だと認識する心が必要なのだと。
 は悟空がこちらにいるから、向こうへ戻るという意志力は限りなく低い――いや、既にないと言ってもいい。
 克也もつい昨日会った時に 『帰りたいとあまり思っていない』 と言っていたが、帰れるならば――どうなのだろう。
 完全に閉ざされてしまう前に、聞いておかなければいけない。

 不思議そうな顔をしている克也に向かって、再度言う。
「帰れるかも知れない。それでも、こっちにいる?」
 克也は暫く考える素振りを見せ――問う。
「それは、どういう方法だ?」
「……詳しくは言えないけど……克兄ちゃんが向こうへ帰りたいっていう気持ちを、強く持っていないと、帰れないの」
 首を横に振った。
 少し、寂しそうな……でも決意を持った目を向ける。
「だったら多分俺は帰れないよ。こちらの世界にいたいっていう気持ちが強いから」
「そんな……由依はきっと待ってる。ご両親も。 克兄ちゃんは私と違ってちゃんとした家族がいるんだよ?」
 辛い言葉を口にしているかも知れない。
 けれど、は克也の決定が納得いかない。
 彼にとっての大事な人たちは、全員向こう側なのに。
 どうしてそこまでこちら側に固執するのか――。
 には悟空がいた。
 けれど克也は違うはず。
 それなのに。
「克兄ちゃん……」
、三度目だぞ」
「え?」
 彼は少し口の端を上げ、笑う。
「俺はがいるこの世界なら、悪くないと思えるんだ。帰らない理由としては、それで充分なんだよ」
「あ……えっと、ありがとう……」
 よく分からないけれど、お礼を言ってしまう。
 どうあっても克也の気持ちは動かないらしいと、以前からの付き合いで認識する。
 考え込んだに、克也が微笑む。
「それよりさ、今度一緒に出かけないか?」
「え?」
 いきなり話が飛んで、展開についていけずに思わず聞き返す。
 ポカンとした表情をしていたらしく、克也が相変わらずだと笑った。
「俺、まだこっちのことよく分からないし……それにほら、久しぶりに一緒にどこか行ってもいいだろ?」
「それは、まあ……でも、うーん……彼女とかいないの?」
 以前、あれだけ人気があった克也だ。
 もう既に彼女がいてもいいのではと勝手に思って、そんなことを言ってみる。
 彼は顔をしかめた。
「あのな。……まあいいや。いないよ。だから誘ってる」
 優しい瞳で言われ、は知らず頬を染めた。
 自分が中学生の頃からしたら、随分と大人っぽい笑みを浮かべる彼が、何だかちょっとだけ恥ずかしくて。
 そのの表情を見た悟空は、ほんの一瞬、むっとした。
 気持ちの動きがおかしくなったことに気づく。
 意味不明な衝動が体をもたげた。
 何か――非常に靄ついたものが、自分の中にある。
 それが何とは分からなかったけれど。
 でも、これ以上と克也だけで話をしているのを、我慢できそうになかった。
 突っ伏していていた体を戻し、後ろ頭に手をやる。
「ずりいよ。、オラの修行に付き合ってくれよー」
「え、うん、いいけど……手加減してよ?」
 まだ死にたくないから、と軽く笑うに、克也が驚いた。
「修行って……危ないんじゃ……」
「大丈夫。これでも結構強いんだよ?」
 くすくす笑う
 克也は眉根を寄せた。
 殆ど弱かった彼女しか見ていないから無理もないし、それでなくとも、女性は守るものだを地でいっている彼は、女性を修行に巻きこむ、同居人悟空の気持ちが分からない。
 だからといって、何を言うでもなかったが。

 ふと時計を見ると、昼を大幅にまわってしまっていた。
「あぁ、そろそろタド先生の手伝いに行かないと……」
「あ、そっか。今先生のところで仕事してるんだっけ」
「ああ。ここから山村まで結構歩くからな、もう行くよ」
「うん。じゃあまた」
 そういってドアを開けると――

「え、チチ……さん?」

 チチはノックの体勢のまま、固まっていた。

「び、ビックリしただ……」




2004・8・3