無色透明の恋




 親不孝な娘でごめんね、母さん。
 でも、この地から…この地球から、冥福を祈ってるから。
 だからどうか、見守っていて……。

「……?」

 夜も更け、眠りに落ちていた悟空は、ゴロンと転がった拍子に、ベッドから落ちた。
 いつもならば、そのまま起きる事もなく眠ってしまうのだが、窓から入って来る不思議な光が彼の閉じた目からも感じられ、瞳を開ければ隣のベッドで寝ているはずのの姿が見当たらないので、頭をかきつつ、寝ぼけたまま、光に誘われるように、外に出てみた。

「ん? ??」
 悟空の小さな呟きは、彼女に届く事はなかった。
 は両手を大きく広げて、ゆっくりと呼吸しながら、気を高めているように見える。
 不思議なのは、その彼女を包むように淡い緑色の光が出で、その煌めきはから夜空に昇って、溶けるように消えている事だった。
 声をかけるのが躊躇われるほど綺麗で、神秘的な輝き。
 悟空はその光景に目を奪われていた。
 光の中心にいるが綺麗で。
 緑色の煌めきが綺麗で。
 とても優しい空間があって、踏み入れたら壊れてしまいそうで。
 いつまでも、ずっと、見ていたい光景だった。

「…あれ? 悟空」
 腕を下げ、ひと段落してやっとこ気配に気づいたのか、を取り巻く神秘的な空気が、ふつりと途絶え、光が消えた。
 彼女は振り向き、彼の方を見ると手招いて自身の側に呼ぶ。
 何となしに、二人とも、床に腰を据えた。
「おめえ、さっき何してたんだ? 光ってたぞ」
「うん…治癒の訓練…えーと、怪我を治す力を溜めて、外に出してたの。ホントはアレを集中させて、怪我したトコに集中させると、余程のものでなければ、治ったりするんだけどね」
「ふぅん……あ、もしかして、カリン様んトコでオラに使ったヤツか?」
 カリン様? と不思議マークを飛ばすに気づかず、悟空はその時の事を思い出して、話し始めた。

 カリン塔――この天界の下にある場所だが、そこで超神水を飲んで苦しんでいた時、少女が現れたらしい事。
 そして超神水を克服して、悟空がその少女の事を聞くと、ヤジロベーとカリンが、 『確かにいた』と言った事。
 その後の、ピッコロ大魔王との戦いの事まで。

「って訳で、オラ、ピッコロを倒したんだ!……って、話がずれちまったな」
「ううん」
 悟空がそんな凄い経験をしていたなんて知らなかったので、ちょっとだけ、知らない間のことを理解できた気がして、嬉しく思った。
「まあとにかく、超神水飲んだ時に来たヤツって、やっぱだったんだろ?」
「うん、そうみたい。…悟空が苦しんでるって思って…助けたくて来ちゃったみたいだったけど…」
「オラ、あん時助かったぞ〜。うっすらだけど、の手、覚えてっぞ。あったかくて、気持ちよかった」
 その言葉だけで、あの時学校の先生に怒られた苦労は報われるなぁ、なんて思う。
 居眠りしてた、と勘違いされていたが、実際、突っ伏して眠っているような格好だったし。
 まあ、それでも悟空の助けになれたから…。

 悟空がコロンと仰向けに寝そべったのを見て、も同じように寝そべる。
 周りに雲もないような高みから見る星空は、凄く綺麗だ。
 自分が、向こう側の地球で見ていた、淀んだ空気の層の上にある星とは大違い。
 三日月の輪郭は、見事なまでに美しい。
 育った地球とは、違う地球。
 でも、どちらの世界も自分を産み、育み、育ててくれた、大切な世界。
 こちらに残ると決めた後でも、にとって無二の故郷なのだ。
 どちらの、世界も。
「…悟空、あのね。私…弱っちくて、目の前の現実から逃げてばっかで…悟空に逢えば、泣くの、止められると思った…」
 彼は無言のまま起き上がり、話し続けるの顔を見ている。
「悟空に逢えば、また弱い私を捨てられると思った…。きっと笑顔で迎えてくれるって、思ったから…」
 その通り、悟空は笑顔で迎えてくれた。
 それは嬉しい事だし、ありがたくもある。
 けれど…。
「…でも、それじゃ、いつまで経っても変わんない、よね…」
?」
「ここに残ろうって、そう決意した私の心は、大事にしたいんだ…。だって、私は……」
 悟空のことが、大好きだから。
 中学生ともなれば、自分の想いが何なのか、しっかり理解する事ができる。
 初恋は、まだ続いている――だからこそ。
(…まだ、私は…強くなれてない。第一歩目を、踏み出してない。――ここで、悟空といる限り…多分、ずっと…)
 は、すぅっと胸いっぱいに息を吸い、吐く。
 こうするだけで、悩みも不安も、全部溶けて消えてしまえばいいのに…。
 ――答えは既に、手の中にある。
「おーい、ー?」
「うわっ!」
 いきなり覆いかぶさるようにして顔を近づけてくる悟空に、慌てて起き上がろうとし、その勢いのまま思い切り額同士をぶつけてしまった。
「いっ…つぅぅぅ……」
 は両手で額を押さえ、痛みに涙さえ浮かべる。
 相変わらずの、石頭だ。
 悟空の方は、「痛ぇ」と言いながらも、片手でさするだけ。
 だが、赤みがさしてる。
 ともあれ、体制は先ほどと変わらず、の顔を、悟空が覗き込んでいるままだ。
「何よぅ…」
「んー、何か、悩んでるみてえだったからよ」
「…悩んでたら頭突きするの、アンタは…」
 苦笑いしながらも、右手で、ぶつけてしまった彼の額――赤みのさしているそこ――に、癒しの力を行使する。
 悟空は逆らう事も身じろぎもせず、不思議そうにを見続けていた。
 ふっと赤みが消える。
 ぶつけたくらいの外傷なら、数秒で癒せる。
 手を外したに、悟空がにかっと笑った。
「おめえの手、気持ちいいなぁ」
「そぉ?」
「ああ!」
 元気がいいのはよいのだが、いい加減上からどいて欲しかったり…。
 好きな人に押し倒されているような状態というのは、心臓に悪い。
 平静を装っていても、さっきからドクドクと、心が跳ね上がっている。
 彼の方は気づきもしないだろうが……。

「ね、ねえ悟空、いい加減、上から――」

 どいて。
 その言葉は、告げられる前に、止められた。
 悟空の――彼の、口唇によって。

(………な、に? え??)

 何事が起こっているのか分からなくて、目をパチパチさせる。
 ピントが合わないほど側にある、大好きな人の顔。
 キスされているのだと気づいた時、悟空はそれを止め、離れるところだった。
「なっ…なっ……」
 真っ赤になり、まだ上にいる悟空を見つめる
 一方の彼はというと、彼女をいつもの顔で見つめたままだった。
「…オラ、なんかよく分かんねえんだけど…の事見てたら、こうしたくなったんだ」
「ち、チューってのは、好きな人とするものでっ……!!!」
「へえー、チューってのかぁ、今の。初めてしたんだけどよ〜」
「…正式名称は、チューじゃなくて、キス、だけど」
「ふぅん」
 物知りだなぁと爽快に笑う悟空。
 は彼が好きだから、キスされる事に異議はない。
 だが、彼の気持ちが分からない。
 悟空の ”好き” は、万人に対して使われそうな ”好き” だと思っているから…。
 それに、よく分からないと言っている辺り…多分本当に、よく分からないんだろう。
 キスした事とか、意味とか。
「悟空、あの…さぁ…私の事、好きで、したの…?」
「オラ、の事好きだぞ?」
 ………どういう意味合いのか、わかりゃしない。
 ため息するに、彼は真剣な目で、を見た。
が消えちまった時、寂しかった。絶対忘れるもんかって思った。…そういう気持ち、オラ、自分でもよくわかんねえ…でも、今がこうしてここにいるの、すげえ嬉しい」
「悟空……」
 その言葉だけで、は、彼の気持ちが恋なのかどうかなんて、考えるのもバカらしくなった。
 自分は、彼が好き。
 だから、キスされても、文句なんて言う必要なんか、ない。
 ファーストキスが、ずっと想い続けてきた人なんて、最高じゃないか、と。
「なあ、今のもっぺんして、いっか?」
 今にも触れそうな程近づいてくる悟空に、はちょっと苦笑いした。
「う…うん…」

 そうして、二人は可愛らしい口付けを交わした。
 そっと触れる、優しいキスを。

 満天の星空と、弧を描く月の下で。


 大切だから。
 強く、想っているから。
 一歩目を踏み出す、勇気が欲しい。
 母さん、どうか、どうか、見守っていて。




2003・12・13